
「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。
カナン人の女の叫びをイエスさまは無視された。愛のキリスト・イエスがこのように言われるときは、必ずご計画を持っておられる。長血の女の時も彼女を追い込んで癒された。
しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
厳しいお言葉を受け入れて、イエスさまに女はひれ伏した。そうして動じることなく救いを求めた。
すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
ここでも女は、「何の権利もない」と言われるイエスさまのお言葉をそのまま受け入れた。
そうして、「主の御救いはテーブルにあふれて、こぼれ落ちるほどに豊かです」と告白したのだ。
そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
イエスさまは彼女の信仰の告白を、お弟子と私たちに聞かせたかったのである。
この後、再びパンの奇跡が行われる。以前の経験を忘れた弟子たちは「足りない」と言う。
聖書を読んでいて、なぜ悟らないのかと思ってしまうけれど、実際に暮らしの中で幾度も主の豊かさを経験しながら「足りなくなるかも・・」と将来を思い煩うのを見た。
たった5つのパンと2匹の魚で、5000人以上の人が満腹をして12籠もパンが残ったのだ。思い煩うのは聖書を信じていないからである。
「ああ、あなたの信仰は立派です。」とイエスさまはお言葉を準備して導いてくださっている。
祝福をもって溢れる恵みを体験させたいと、「信仰による告白」を待っていてくださる。
その告白とは、私たちがどの様な者かではなく「主はどのようなお方であるか」という告白である。