
イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ17:20)
「からし種」で「信仰は小さなもので良い」と書いていたのですが、今朝、通読でマタイから同じようなたとえの箇所を読みました。
そこで、信仰は大小ではなく、有るか無いかなのだと教えられました。
「辛子種ほどあれば・・、どんなことでもできる」と書かれてあったからです。
でも、人にはそのような信仰はないとわかります。
しかし、「主の御名はほむべきかな」助け主なる聖霊が導いてくださいます。聖霊は主を知ることを導いてくださいます。そうして、いつしかキリストの信仰に導き入れられて行くのです。
それは、ただ聖霊の助けによることです。
信仰生活は、日々に主のいのちの中で成長して、昨日と今日は違うことを発見します。知らないことがいっぱいなので、礼拝の内に御国に行くまで親しく教え続けてくださるでしょう。
不思議ですがだんだんに分かってくることは、自分が何も出来ない者だということです。
その弱さのうちに主の力が完全に働いてくださるので、弱い者にはどんなことでもできるのです。それが山をも移す信仰なのでしょう。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)