石ころ

自分のことを心配しないヨシュア (ヨシュア記19章)

 

地を地域ごとに相続地として割り当て終えたとき、イスラエルの子らは、自分たちの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。(49)

 

ヨシュアはみなに割り当て地を与えたが、自分の地は求めていなかったのである。割り当て地が1つでは足りないとヨセフ族は苦情を言ったときも、ヨシュアはその一つも得ていなかった。

 

主の命により、ヨシュアが求めた町、すなわち、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼は町を建てて、そこに住んだ。(50)

 

民がヨシュアに与えた地は、ヨシュアが求めたのではなく主の命によって受けたのであった。ヨシュアは与えられるままに受けてそこに住んだ。

ヨシュアは主にたまわった役割によって、民に割り当て地を与えることに専念して、自分の分を心配することはなかった。これこそ民と、主に立てられたリーダーの差なのだろう。

 

みことばに専念して自分のことを忘れている時は、主が必要を備えてくださる。召される日までの命の必要は主の方がよくご存じであり、何一つ欠けることのない備えは、主だけがご存じなのだ。

 

人は不要なものまでかき集めて、身に合わない富は諍いや災いを生み、多くの物への気遣いは大切な命の時間をすり減らして行き、主を忘れ去ることになる。

 

これらは祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、そしてイスラエルの諸部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入り口、すなわち主の前で、くじによって割り当てた相続地である。彼らは地の割り当てを終えた。(51)

 

一番最後にヨシュアが民から地を与えられて、すべての地の割り当てを終えた。此処にヨシュアがどのようなリーダーであったかが現れている。

 

自分のことを心配しないのは、養っていてくださる主に信頼しているからである。それは何と自由なことであろう。
神が心配してくださる人生はなんと豊かで平安なことであろう。これぞキリスト者がたまわっている祝福である。

 

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ5:7)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事