石ころ

使徒の働き㉞ (使徒18章)

 

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。
彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。(24~26)

 

アポロは教えを受けイエスを正確に語ったとある。しかし、人がどれほどの才能を持って生まれて来ても、生まれつきのままでイエスを知ることはない。
イエスは人であるとともに神であり、イエスを知るには聖霊に拠らなければ、備えられたみことばが解けないのである。

 

目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。(Ⅰコリント2:9)

 

プリスキラとアクラは、パウロと共に働きながら、聖霊のバプテスマを受けたのだろう。その仕事場はどんなに聖い所であったことだろう。
何年も一緒にいても、霊のことについて分かち合うには、そこに聖い渇きがなければ伝えることができないからである。天幕作りのその職場は、体と霊の必要を満たす所だったのだ・・。

 

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。
彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。(27~28)

 

パウロがどんなに優れていて聖霊に満たされていても、彼一人では神のご計画を完成することはない。そのようには造られていないからである。
私たちは皆、それぞれのたまものが与えられていて、キリストのからだの各器官として共に働くのである。

 

「すでに恵みによって信者になっていた人をたち」をアポロは助けたとある。彼らにはイエスの正確な知識が必要であったのだ。
神はアポロからそれを得るように備えてくださった。恵みによって救われた者は、謙遜の中で知識を教わり、イエスを伝えるためのすべての備えとするのである。

 

聖霊によって導かれ、よく準備されたメッセージを聴くことは楽しいことである。感謝なことである。イエスさまのお話を聴くことはワクワクする。知らなかったキリストを教えられたら、「ああ、そうだったのか」と、隠れておられたイエスさまを見つけたような気分になる。

 

正確にイエスを知るのは聖霊によることであり、誰も未だにすべてを知ることはなく、日々の聖霊との交わりの中で教えを受け続けることである。
その時、人の交わりからも、その各器官によるたまものの教えを受けることができる。それがキリスト者の明日の喜びである。

 

今この終わりの時代に、神はすべての必要を備えていてくださっている。
以前はそれ相当の金銭的、時間的、人間関係による犠牲を支払わなくては得られなかったことが、今ではネットによって、何時でも、何処にいても即座に情報を得ることができる。それも、当てがわれたものではなく、選択する自由まであるのだ。

 

そこでは資格を問われることもなく、人品が相応しいかと探られることもなく、年老いて自由ではなくなった者にも何の障害もないのである。
皆、時を裂いて備えられた価値あるメッセージを、普段の生活の中に居ながらにして聴き、学ぶことができるとは、実に驚くべき時代である。

 

その中に在って、それぞれ自分のたまわりものを用いる時に、時が迫っている神のご計画は完成されるが、そのために私たちはあらゆる働き手が、主の促しの中で勇敢に行動を起こすよう、主に願って祈らなければならないのだ。

 

実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカ10:2)


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