
偽善者のように、律法で互いに縛りあって、人の目ばかり気にしていては見つけられない神の国。
何が真実であるのか、それを自分で努力して見つけ出しなさいと言われる。
それは、小道の奥にある狭い門ゆえに、人目には付かないのだから・・。
その入り口は、肉の目で見ようとしても見つからないだろう。
山のような世の問題に隠れて、からし種のように、パン種のように、小さなそれを見付け出すことは困難だけれど・・。
しかしその赦しの偉大さ、その包容力は入った者を圧倒するだろう・・だから、神の国の食卓に並ぶときを思って探しなさい。求めなさい。努力をして見つけ出しなさい。
時には限りがある・・入れなくなるときが迫っている。世の行いを持って迫ってもそれは通用しない。門はそんなことでは開かない。それらをすべて脱ぎ捨ててイエスさまを着なさい。
命のある間に・・。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)