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上代語「はも」(7)

2024-04-10 12:21:31 | 日本語文法
>https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2723
>「春日野の雪間を分けて生ひ出で来る草のはつかに見えし君はも」

>「春日野に積もった雪の間から萌え出てくる草の姿はほんのわずか。
>わずかに姿を見せたあなただった」という意味です。

>この場合、「春日野の雪間を分けて生ひ出で来る草の」までが序詞です。
>わずかにという意味の「はつかに」という言葉を導き出す序詞になっています。
>この序詞は、確かに「はつかに」を導き出すためだけに用いられていますが、
>全くこの場と関係ないわけではありません。むしろ非常に深く関わっています。

>https://manapedia.jp/text/2182
>春日野の雪の間を分けて生えて出てくる草がわずかに見えるように、
>わずかに見えたあなたの姿であったよ。

>https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/waka08
>訳
>春日野の残雪の間をおしわけてわずかに萌え出てくる若草、
>その若草のように、ほんのわずかにお見かけした初々しいあなたでしたよ。

>https://ameblo.jp/y-hono-n-1506/entry-11824772806.html
>意味
>春日野の残雪の消え間から、萌え出てくる草(の芽)がわずかに見えるように、
>ほんのちらりとだけ姿が見えたあなたよ

この歌の文末の「はも」を「あり、共にあり」に置き換える。

「見えし君はも」
=見えし君+はも
=見えし君+あり、共にあり
=見えし君あり、共にあり

全体として
「春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草のはつかに見えし君はも」
=春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草のはつかに見えし君あり、共にあり
=春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草が ちらりと見えたそこに 君の姿が共にあります。

こういう解釈だね。

上代語「はも」(6)

2024-04-10 12:21:31 | 日本語文法
>https://sanukiya.exblog.jp/29647646/#goog_rewarded
>3569 防人(さきもり)に立ちし朝明(あさけ)の金門出(かなとで)に
>     手離(たばな)れ惜しみ泣きし児(こ)らはも
> ※「立ちし」出発した。旅に出た。
> ※「朝明」夜明け方。
> ※「金門出」門を出ること。門出。
> ※「手離れ」手から離れること。遠ざかること。
> ※「児ら」東国方言。女性を親しんで呼ぶ語。
> ※「はも」強い詠嘆。~よ。
>(訳)防人として旅に出て行く 夜明けの門出のあのときに
>   手から離れることを惜しんで 泣いていた娘(こ)よ わが妻よ

>http://hiro-ks.jp/manyou/manyou/MK14-3569.htm
>・防人に 立つ朝明けの 門出にて 別れを惜しみ 泣いた妹子よ

>https://manyoshu-japan.com/10009/
>(訳)防人として出発するにあたり、朝明けの門を出るとき、
>   つないだ手を離す際、それを惜しんで泣いたよな、あの子はなあ。

この歌の文末の「はも」を「あり、共にあり」に置き換える。

「防人に立ちし朝明の金門出に手離れ惜しみ泣きし児らはも」
=防人に立ちし朝明の金門出に手離れ惜しみ泣きし児ら+あり、共にあり
=防人に出発する 明け方の門出に 別れを惜しんで 泣いた女性あり、共にあり

それぞれの解釈や訳から想像できるシーンは、どの訳でも変わりないだろう。


上代語「はも」(5)

2024-04-09 14:36:32 | 日本語文法

>https://sanukiya.exblog.jp/29616767/
>3513 夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし児(こ)ろはも

> ※「夕されば」夕方になると。
> ※「あぜか絶えむ」絶えてしまうことはない。〈か〉反語。
> ※「布雲」布を敷いたようにたなびいている雲。〈にのくも〉は東国方言。
> ※「児ろ」女性を親しんで呼ぶ語。〈ろ〉接尾語。

>夕べになると布敷くような 雲が山から離れない
>私も離れて行かないからと あの娘(こ)は言ったてくれたのに

>https://art-tags.net/manyo/fourteen/m3513.html
>意味: 「夕方になると山から離れずにたなびいている布雲(にのぐも)のように、
>どうして絶えることがありましょうか」と言ったあの娘は。。。

>意味: 「布雲(にのぐも)」は布のように広がって続いている雲のことで、
>「(二人の間が)切れない・絶えることが無い」ことのたとえに詠み込まれています。

>https://manyoshu-japan.com/10065/
>夕方になるとみ山にかかった布雲のように、なぜか去らず耐えられない、
>とあの子は言ったよな。

>https://miebaba.hatenablog.com/entry/20170326
>夕方になると山にたなびいて離れない布雲のように、
>何であなたとの仲が絶えることがありましょうか
>と言ったあの子は、あぁ (どうしていることであろう)。

いろんな解釈がありますね。
「はも」に「あり、共にあり」を代入すると

「言ひし子ろはも」
=言ひし子ろ+はも
=言ひし子ろ+あり、共にあり
=言ひし子ろあり、共にあり

全体としては
「夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろはも」
=夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろあり、共にあり

前方部分疑問文、この場合は反語だけど。
「あぜか絶えむ」=絶えることがありましょうか=絶えることがない
=あぜ+か+絶え+む
・あぜ=なぜ、名詞
・か=共にあり?動詞
・絶ゆ=絶える、下二段、未然形
・む=…だろう、推量助動詞、未然形接続、連体形

あぜ+か+絶えむ=あぜ(なぜ)と「絶ゆむ(絶えるでしょう)」が共にあり?…疑問文
あぜ+絶ゆむ+か=あぜ(なぜ)と「絶ゆむ(絶えるでしょう)」は共にあり…平叙文

この歌の私の解釈は
「夕方になると み山にかかる布雲が なぜ絶えるでしょうか?と言った子が 共にいます」

つまり
「み山?にかかる雲のように、あなたから離れませんと言った子が共にいます」
という風になるのかな。

作者不詳だから「み山」がどこかわからない。
私が誰であなたが誰かもわからない。

万葉集に採用されるくらいの和歌というか
そういう地位と立場の人の歌だから、わからないはずがない。
わざと消したのでしょうね、たぶん。


上代語「はも」(4)

2024-04-09 14:22:42 | 日本語文法
文中の「はも」の二首の一つは…
「夜はも夜のことごと昼はも日のことごと」で、このフレーズは↓からのもの。

>https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=155
>やすみししわご大君の恐きや御陵仕ふる山科の鏡の山に
>夜はも夜のことごと昼はも日のことごと
>哭のみを泣きつつありてやももしきの大宮人は行き別れなむ

「夜はも夜のことごと昼はも日のことごと」の「はも」に
機械的に「あり、共にあり」を代入すると

「夜はも夜のことごと昼はも日のことごと」
=夜+はも+夜のことごと、昼+はも+日のことごと
=夜+あり、共にあり+夜のことごと、昼+あり、共にあり+日のことごと
=夜あり、共にあり、夜のことごと、昼あり、共にあり、日のことごと

これはこれで、なかなかの現代語訳だと思う。

「夜は夜の事々(雑事?雑用?あれこれ?)と共にあり
 昼は日の事々(あれこれ?)と共にあり」

こういう意味だと思う。
しかしながら、原文は「夜+はも+夜のことごと」とある。

「も」の出自は「co- ko- 共- こ-」の接頭辞であるので
「co-動詞/名詞」の意味で話者が書いたであろう。
この場合は「こ」が「も」に音韻変化して「co-名詞=も+夜のことごと」であろう。

すなわち
「夜はも夜のことごと昼はも日のことごと」
=夜+はも+夜のことごと、昼+はも+日のことごと
=夜+あり、共に+夜のことごと、昼+あり、共に+日のことごと
=夜あり、夜のことごと(と)共に、昼あり、日のことごと(と)共に

こういう風に訳してやるのが良いのではないか。

次の歌も同様で、文中に「はも」がある。

>https://ameblo.jp/kk28028hrk/entry-12478341494.html
>0761 早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ

> 「早川の瀬」は「急流の瀬」のこと。
> 「よしをなみ」は「~ので」のみ。

> 「急流の川で暮らす鳥には止まるところ(よりどころ)がないように、
> 心細げな我が娘が心配」という歌である。

「はも」に機械的に「あり、共にあり」を代入すると
「我が子はもあはれ」
=我が子+はも+あはれ
=我が子+あり、共にあり+あはれ
=我が子あり、共にありあはれ

全体としては
「早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ」
=早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子あり、共にあり、あはれ

これでも良い気がする。
しかし「我が子はもあはれ」とあるので接頭辞として扱って
「我が子あり、共に+あはれ」と訳すべきだろう。
「co-名詞」=共に+あわれ

=早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子あり共にあはれ

「どうしようもない思いであった我が子あり、あわれと共に」
なんか状況が良くわからない。


上代語「はも」(3)

2024-04-08 20:22:20 | 日本語文法
これらを踏まえて、万葉集の歌にあたってみたい。

・さねさし相摸(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

・夕さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶えむと言ひし子ろはも

・防人(さきもり)に立ちし朝明(あさけ)の金門出(かなとで)に
  手離(たばな)れ惜しみ泣きし児(こ)らはも

・春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草のはつかに見えし君はも

・ささの葉にふりつむ雪のうれを重み本くだち行くわがさかりはも

・夜はも夜のことごと昼はも日のことごと ← (これはちょっと違う)

・早川(はやかわ)の瀬に居(い)る鳥のよしをなみ
  思ひてありし我(あ)が子はもあはれ ← (これはちょっと違う)

これくらい例を挙げれば、
公理(1)と公理(3)を、規則性と法則性を、感じ取ってくれるでしょう。

>http://575.jpn.org/article/174793941.html

>さねさし相摸(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
>   弟橘比売命
>■ 訳
>ああ、相模の野原で火に囲まれた時、
>火中に立って私を気遣ってくださった(愛しい)あなた。
>(どうかご無事でありますよう。)

>「さねさし」は相模に掛る枕詞
>(”さねさし”は意味もなぜ相模に掛るのかも確実な理由は分かっていません)、
>「相模(さがむ)」は現在の神奈川県(小田原市周辺)、
>「問ひし(とひし)」は見舞った、
>「君はも(きみはも)」は貴方よ(”はも”は強い詠嘆)、
>をそれぞれ意味します。

「ヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが辞世の句」云々の件は出鱈目だろう。

「問ひし君はも」
=問ひし君+は+も(co- ko-)
=問ひし君+あり+共に・一緒に+あり
=問ひし君あり、共にあり

全体として
・さねさし相摸の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君あり、共にあり

ほぼ現代文で、解説が不要なくらいにしっくり来てると思う。
これを読んでわからない人がいるかな。