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方言に残る「は=あり、が=持つ」(1)「どうしたが、ざまに疲れちょうね」

2024-05-28 23:26:01 | 日本語文法
高知県(土佐弁、幡多弁)は「は=あり、が=持つ」がいっぱいある。

幡多(はた)地方はとても不思議な地域で、
「平城宮跡で出土した木簡に、「播多郡嶋田里」と記されたのが、
 幡多郡の存在を示すもっとも古い証拠である[1]。…wiki」
と歴史は古いが、しかしよそ者には「幡多」地名は見つけられない。

どこかの地域名が時代と共に、だんだん立身出世して
その地域一帯を代表するものだけど、幡多はそうじゃないようだ。
だけども「幡多郡」と木簡にズバリ記されている。実に不思議だ。

幡多弁
>どうしたが、ざまに疲れちょうね 
=どうしたの?すごく疲れているね。
※ざまに=すごく、大変に

=どうした(疑問文)+が+ざまに疲れちょうね。
=どうした+持つ+大変疲れちょうね。

 「どうした」という疑問文は
 「大変疲れちょうね」を持つ・持っている。
=大変に疲れてるのは、どうしたの?(なぜなの?)

あるいは「どうしたが」の後続をちょん切っても良いと思う。
「どうしたが」
=どうした(疑問文)+が+φ(空集合、空文、何も無し)
=どうした+持つ+φ

「どうした(疑問文)」はφを「持っている」
→どうしたは何を持っているか、これでは不明だが、
→会話する同士ではわかっているので省略している。
→疑問文「にも」なる。

>今日は遊びに行かんが? =今日は遊びに行かないの?
=今日は遊びに行かん+持つ+φ ← この文には「が」以降に文がない=φ。
=今日は遊びに行かないのですか?

>なしそんなに飲んだが?
=なぜそんなに飲んだの?
※なし=なぜ=why

=なしそんなに飲んだが?
=なぜそんなに飲んだ+が
=なぜそんなに飲んだ+持つ+φ(空集合だが、飲んだ理由がある)
=なぜそんなに飲んだの?



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (4)

2024-05-26 23:27:12 | 日本語文法
(1)ご飯は僕が食べる
(2)僕はご飯を食べる

(1)の文は食べられるご飯に「は=あり」が付いて、主語・主題になっている。

そういう意味では「象には長い鼻が付いている=日本語的受動態」と同じだ。
「ご飯は僕が食べる」は日本語的受動態だ。
この文の「ご飯」が目的格・対象格であることをはっきりさせるために

(1)ご飯は僕が食べる
= ご飯をば 僕が 食べる 「ご飯は → ご飯をば(をは)」と変更
= 僕が ご飯をば 食べる  語順を変えた
≒ (2)僕は ご飯を 食べる  (1)とほぼ同じだ。
= 僕は ご飯をば(をは) 食べる  「ご飯を → ご飯をば」と変更

(1)と(2)二つの文は目的格・対象格の「を」省略した形だ。
(1)と(2)は同じ文だ。

「象には長い鼻が付いている」
=象は 長い鼻が 付いている
=長い鼻が 象には 付いている
=長い鼻が 象は  付いている

こう言っても同じだね。
目的格を表す「を、に」を省略しても大丈夫なのか?

全約古語辞典
>「に」=格助詞、接続助詞。
>    位置、行先、相手、原因理由、手段方法、状態、目的、添加…

「に=ni=n+i(い)」となっている。
つまり「に=ni=n+i(い)」はもともと「い(i)」であって
「n」は二重母音化を防ぐために挿入したと考えても良い。

つまり「に=い」と言っても良い。
そういう目で格助詞「に」を解釈すると

「象には長い鼻が付いている」
=象(という物) あり 長い鼻 持つ 付いている」

位置、空間的な場所を示す
>https://keirinkan-online.jp/high-classic-japanese/20201209/1004/3/
>この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
>(訳) この人は、国司の役所で必ずしも召し使っている者でもないようである。

 この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
=この人、国(という組織)必ずしも言ひ使ふ者(者)もあらざなり。

もともとは「i」であったが、「ni=n∔i」になって位置を表す格助詞に
使われるようになった、のであろうか。わからんな。





「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (3)

2024-05-24 20:56:24 | 日本語文法
「公理(4)主語と動詞は隣り合っていれば良い。」

主語と動詞は隣り合っている必要がある。例えば
「は」は「あり」の娘元素だが活用をなくして係助詞と呼ばれている。
「が」は「持つ」の娘元素で活用をなくして格助詞になった。

「私は → 私+は → 私+あり → 主語+動詞」
となり、ちゃんと主語と動詞は隣り合っている。

「私が → 私+が → 私+持つ → 主語+動詞」
となり、ちゃんと主語と動詞は隣り合っている。

主語を名詞に拡大解釈すると、例えば
「ご飯を → ご飯+を →ご飯+動詞? → 名詞+動詞?」
こうなっていてもおかしくない。あるいは

「ご飯を → ご飯+を →ご飯+名詞? → 名詞+名詞?」
名詞を重ねる場合もあり得るね。

名詞を重ねる場合では、例えば「東京特許許可局」の場合、
「東京特許許可局 → 東京+特許許可+局 → 名詞+名詞+名詞」
のような例はスンナリと東京特許許可局の実態を想像できる。この例は
名詞の積み重ねだとなんとなくわかる。

「東京特許許可局 → 東京の特許許可の局」
こういう意味であって、名詞と名詞の間に「の」を挟んで考えている。
んじゃ「の」とは何ぞや?



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」 (2)

2024-05-21 23:27:33 | 日本語文法
(1)  ご飯は僕が食べる
(2)  僕はご飯を食べる

この文で「は」を係助詞で「題目、目的語」ととらえ、
「が」を「連体修飾語、主語、接続」ととらえているのが問題だ。

「は」や「が」の出自を考えるとわかりやすい。
「は=あり」、「が=持つ」に置き換えると

(1)  ご飯 あり 僕 持つ 食べる
(2)  僕 あり ご飯を 食べる

こういう風にわかりやすくなる。

「を」の出自がわからない。
それをちゃんと説明できれば、
もっとわかりやすくなると思うけど。

(1)  ご飯は僕が食べる
= ご飯+あり+僕+持つ+食べる
= 名詞+動詞+名詞+動詞+動詞
= S+V+S+V+V

(2)  僕はご飯を食べる
= 僕+あり+ご飯+格助詞「を」+食べる
= 名詞+動詞+名詞+格助詞「を」+動詞
= S+V+S+格助詞「を」+V

ドイツ語ならば「を」は4格になり簡単に思えるが
英語だと何だろう。



「ご飯は僕が食べる」、「僕はご飯を食べる」

2024-05-20 22:52:34 | 日本語文法
(1)  ご飯は僕が食べる
(2)  僕はご飯を食べる

対で挙げられる文の様です。なんでも係助詞「は」が
主格と目的格に使われている…だったかな?

(1) ご飯は僕が食べる
=  ご飯+あり+僕+持つ+食べる

「は=あり、が=持つ」に置き換えました。

この文の意味は、文頭で「ご飯があります、ご飯が存在します」
と言っています。

そして「僕が食べる」ですから
「僕は食べる(行為)を持つ・持っている」と言う意味です。

この文は「持つ+食べる」で
「持つ(have)+動詞」の面白い構造になっています。

それで僕は何を食べるのか?というと
文頭で「ご飯は=ご飯あり」と言っていますから
食べられるのは「ご飯」です。僕が食べるのは「ご飯」です。

(2) 僕はご飯を食べる
=  僕+あり+ご飯を+食べる

「は=あり」に置き換えました。

「僕があります・僕がいます・僕が存在します」と文頭で言っています。
「あり」で文を切ると、二文が一つになったと見なせます。

次ぎに「ご飯を食べる」と言っています。

>格助詞「を」は大きく分けて【対象】【起点】【経過域】の
>3つの用法があります。

ご飯を食べるのは誰かというと、「僕は=僕あり」ですから
僕こそがご飯を食べる主体です。

「ご飯を」=「対象となるご飯」という意味だ。