くりかえし
娘がまだ5歳だったころ、僕は毎日、車で幼稚園に迎えに行っていた。
午後の光がフロントガラスに斜めに差し込んで、車内は少し暖かかった。
ラジオではエラ・フィッツジェラルドが「Someone to Watch Over Me」を歌っていた。彼女はその曲に特に興味を示さなかった。
助手席のチャイルドシートに座ったまま、彼女はふいに言った。
「今からおうち帰って、バレーの学校行って、おふろ入って、ごはん食べて、寝て、起きて、また明日もようちえん。同じことのくり返しだね」
僕はハンドルに手を置いたまま、一瞬、何も言えなかった。
彼女の口調には、かすかな疲労のようなものがあった。
それは5歳の子供が持つには少しばかり大人びた響きで、まるでずっと以前から人生の構造を見透かしていたかのようだった。
僕たちはその後、信号を二つ曲がって、コンビニの横を通り、家までの道を進んだ。
彼女は飴を口に入れて、包み紙を丁寧に畳んでいた。
車内には、甘いストロベリーの香りが漂った。
その日から、僕は毎日が「くり返し」であるということに、少しだけ意識的になった。
そして、くり返しというものが、もしかすると世界を回しているのではなく、僕たちを静かに絡めとっているのかもしれない、とも思った。
子供は時々、人生の深い井戸の底を、覗き込んでしまうことがある。
僕たちが、できるだけ見ないようにしてきたその井戸を。
娘がまだ5歳だったころ、僕は毎日、車で幼稚園に迎えに行っていた。
午後の光がフロントガラスに斜めに差し込んで、車内は少し暖かかった。
ラジオではエラ・フィッツジェラルドが「Someone to Watch Over Me」を歌っていた。彼女はその曲に特に興味を示さなかった。
助手席のチャイルドシートに座ったまま、彼女はふいに言った。
「今からおうち帰って、バレーの学校行って、おふろ入って、ごはん食べて、寝て、起きて、また明日もようちえん。同じことのくり返しだね」
僕はハンドルに手を置いたまま、一瞬、何も言えなかった。
彼女の口調には、かすかな疲労のようなものがあった。
それは5歳の子供が持つには少しばかり大人びた響きで、まるでずっと以前から人生の構造を見透かしていたかのようだった。
僕たちはその後、信号を二つ曲がって、コンビニの横を通り、家までの道を進んだ。
彼女は飴を口に入れて、包み紙を丁寧に畳んでいた。
車内には、甘いストロベリーの香りが漂った。
その日から、僕は毎日が「くり返し」であるということに、少しだけ意識的になった。
そして、くり返しというものが、もしかすると世界を回しているのではなく、僕たちを静かに絡めとっているのかもしれない、とも思った。
子供は時々、人生の深い井戸の底を、覗き込んでしまうことがある。
僕たちが、できるだけ見ないようにしてきたその井戸を。