こんばんは。
hanayuです。
最近、お母さんとの思い出
家族と過ごした時間を考える時間が増えました。
そして
どこか
心が穏やかになるんです。
私、いい家族を持ってて幸せだなって。
誤解されたくないのは
私は決して裕福な家で育ったわけではないし
家族全員が‘善人’ではなく
どちらかというと、一人一人の個性が強い方だと思う。
だから、ぶつかる事や
未だ解決していない事もある。
だけど、それなりに面白い家族なんだ。
今夜は、お母さんの手料理のお話。
いわゆるおふくろの味だね。
そもそも酒飲みなんだから
キッチンドリンカーは当たり前だし
お母さんは料理して
味見して
私たちに食べさせたら終了。
「お味噌汁の味見て~」
って、毎度の事。
薄いとか、濃いとか
小学生の私が言ってた。笑
子どもの頃
出てきて嬉しかった定番料理は
混ぜご飯と茶碗蒸し。
あと、切干大根や
ひじきの煮物
お休みの日に作ってくれたトーストサンド
にんにくの芽炒め
卵蒸し
太刀魚のにんにく煮付け
かな。
特に今も昔も、茶碗蒸し好きな私としては
いつも、飛騨高山のどこだっけ
サービスエリア?道の駅みたいな…
そこで買った釜飯の器で大盛りにしてもらってたの。
美味しかったな。
家メシ定番のカレーで
忘れられない馬鹿した。
ご飯が多かったから
ルウをおかわりして、結局ボリューム増えるから食べられなくて、半べそかきながら食べてた。
なぁんか、あの時のお母さんの呆れた顔が忘れられないのは何でかな。
そんな感じな我が家の食卓だったから
時々お母さんがね
今なら分かる、〆に行きたがって。
誘い文句が
「フルーツパフェ行こうか」
なの。
1号線のデニーズに夜な夜な行くわけ。
私たち子どもは、フルーツパフェを
お母さんは〆を。
私が受験生だった時は
「お夜食行こうよ」
って、太平通の吉野家ね。
あぁ、そうやって私が出来上がったんだって思う。
ちなみに、受け継いだのは〆文化だけじゃなく
「朝ごはん食べなさい」
も。
私は今となっては
朝ごはん抜きこそ辛いものはない体質となったが
この頃からずっと言われ続けて育ったわけ。
言いながら作ってくれなくて
小学生の頃から
自分でパン焼いてたっけな。
こうやって振り返ると
なぁんか、おんなじなんだね。
不思議だね。
あ、そうそう。
私は料理好きではあるが
料理=実験として好き。
そういえばお母さんも同じところあった!
昼間見た料理番組を
レシピ控えないで感覚で再現して
最悪だった、あのミルク鍋。
私が高校生の時に
バイト先で教えてもらって
作ってたきんぴらごぼうに
勝手に横から
「何でも酒入れれば大丈夫」
ってどぼっと入れられた。
その時のきんぴらも再現不可能だったしさ。笑
ま、そんなこんなも
今の自分と何ら変わらないって思う。
親子なんだなぁ~
日曜にお見舞い行ってきます。
このお話しよっと。
お母さんの昔の「やらかした」ネタが我が家の笑いネタだから。
思い切り笑わかせてやるって決めたもんね。
次の更新は、我が家の旅ネタでも書こうかな。
今夜、hanaも私も元気です。
お母さんも無事です。
こんな日常がいつまでも続きますように。
ありがとう。
hanayuです。
最近、お母さんとの思い出
家族と過ごした時間を考える時間が増えました。
そして
どこか
心が穏やかになるんです。
私、いい家族を持ってて幸せだなって。
誤解されたくないのは
私は決して裕福な家で育ったわけではないし
家族全員が‘善人’ではなく
どちらかというと、一人一人の個性が強い方だと思う。
だから、ぶつかる事や
未だ解決していない事もある。
だけど、それなりに面白い家族なんだ。
今夜は、お母さんの手料理のお話。
いわゆるおふくろの味だね。
そもそも酒飲みなんだから
キッチンドリンカーは当たり前だし
お母さんは料理して
味見して
私たちに食べさせたら終了。
「お味噌汁の味見て~」
って、毎度の事。
薄いとか、濃いとか
小学生の私が言ってた。笑
子どもの頃
出てきて嬉しかった定番料理は
混ぜご飯と茶碗蒸し。
あと、切干大根や
ひじきの煮物
お休みの日に作ってくれたトーストサンド
にんにくの芽炒め
卵蒸し
太刀魚のにんにく煮付け
かな。
特に今も昔も、茶碗蒸し好きな私としては
いつも、飛騨高山のどこだっけ
サービスエリア?道の駅みたいな…
そこで買った釜飯の器で大盛りにしてもらってたの。
美味しかったな。
家メシ定番のカレーで
忘れられない馬鹿した。
ご飯が多かったから
ルウをおかわりして、結局ボリューム増えるから食べられなくて、半べそかきながら食べてた。
なぁんか、あの時のお母さんの呆れた顔が忘れられないのは何でかな。
そんな感じな我が家の食卓だったから
時々お母さんがね
今なら分かる、〆に行きたがって。
誘い文句が
「フルーツパフェ行こうか」
なの。
1号線のデニーズに夜な夜な行くわけ。
私たち子どもは、フルーツパフェを
お母さんは〆を。
私が受験生だった時は
「お夜食行こうよ」
って、太平通の吉野家ね。
あぁ、そうやって私が出来上がったんだって思う。
ちなみに、受け継いだのは〆文化だけじゃなく
「朝ごはん食べなさい」
も。
私は今となっては
朝ごはん抜きこそ辛いものはない体質となったが
この頃からずっと言われ続けて育ったわけ。
言いながら作ってくれなくて
小学生の頃から
自分でパン焼いてたっけな。
こうやって振り返ると
なぁんか、おんなじなんだね。
不思議だね。
あ、そうそう。
私は料理好きではあるが
料理=実験として好き。
そういえばお母さんも同じところあった!
昼間見た料理番組を
レシピ控えないで感覚で再現して
最悪だった、あのミルク鍋。
私が高校生の時に
バイト先で教えてもらって
作ってたきんぴらごぼうに
勝手に横から
「何でも酒入れれば大丈夫」
ってどぼっと入れられた。
その時のきんぴらも再現不可能だったしさ。笑
ま、そんなこんなも
今の自分と何ら変わらないって思う。
親子なんだなぁ~
日曜にお見舞い行ってきます。
このお話しよっと。
お母さんの昔の「やらかした」ネタが我が家の笑いネタだから。
思い切り笑わかせてやるって決めたもんね。
次の更新は、我が家の旅ネタでも書こうかな。
今夜、hanaも私も元気です。
お母さんも無事です。
こんな日常がいつまでも続きますように。
ありがとう。