しろ、うつ病と共に生きる

一流大学卒業後、大手企業に入社するも、社会人3年目でうつ病を患い離職。
現在も治療を続けながらニート生活。

病気になるまで(2011/6~8月)

2012-07-21 22:47:54 | 病気の発症経緯
【2011/6】
◇2日(木)
初めて会社の精神科の先生の受診。
まだ体調が安定していない事を理由に、休職を2週間延ばされた。

貫禄のある先生だったが、こちらの話を聞いてくれないような気がして、
正直なところ私は、あの先生は苦手だった。


◇20日(月)
体調も安定したし、仕事にも戻りたいと思えるようになったので、この日復職。
残業はまだ禁止だったけど。

これを機に、上司と案件管理や仕事量の調整の為、ホウレンソウは密になった。
交換ノートじゃないけど、今日一日やったことをノートに纏めて報告、それに上司がコメントする。
小学校か!!って感じだけど、そこまで管理されていた。
今思えば、この管理もストレスの一因だったんだろう。


【2011/7】
◇上旬~半ば
なんか身体とココロがおかしいなと思い始めたのはこの頃。

私としては産業医にもサインを出していた。
一度目の休職明けから2週間経った頃から
「ちょっとした事で涙が出る。人に会いたくない、土日になると塞ぎ込む」などと伝えていたのだが、
「復職して、丁度疲れの出てくる時期だから、そんなに心配する事はない。普通ですよ」と。
大学で部活をやっていた身であり、自分の健康管理にはそれなりに自信がある私の事である。
普通じゃないと思ったから相談したのに、一蹴された気分だった。

7月に入ってからだろうか、日付を書き間違える事が多くなった。
毎日かなりの書類に日付を入れているはずなのに、あれ?と思う事が増えた。
それから、人の目を見られなくなったのもこの頃。
上司と話をする時は無理にでも目を見て話をしていたが、普段、例えばレジで会計する時、顔が上げられない。
症状的に言うと、これは『対人緊張』というものらしい。


【2011/8】
◇1日(月)
正式にうつ病と診断が下ったのは、この日。
親から上司に電話を掛けてもらい、地元のクリニックに行った時だ。
その前日に泣き崩れて、生まれて初めて親に「死にたい」と言った。



一部、他の記事を引用しております。
重複する点がありますが、ご容赦ください。

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