中央小のマラソン大会を犀川で応援してその足で中村町小学校の秋祭りに参加する年長9名を連れてゆく。
当日朝に団扇で応援グッズを子ども達と作製していざ出発。小走りで子どもたちもうきうきマラソン気分。御影橋から早速走り抜ける小学生たちに団扇を叩いて「がんばれ!しょうがくせい!」との文字の配列に子どもたちが並び声援を送る。自分で決めた文字でもあり、自分たちでそそくさと並ぶのはさすがまつさん。3年生の卒園生の快走に声援を送ると、木の花卒園生たちも手を振って応えてくれるのがうれしい。(後日学校探検時に小学生に訊くと、このときの女子は1~3位が木の花卒園生たちだった、とか。応援効果かな・・・笑)

中村町の秋祭りでは地域の方や小学生に混ざってあちこちの小学生のお店を堪能。木の花祭りに向けて刺激を受けた模様。(小学生ならではの面白いお店もあったしねえ。)卒園生たちもそれぞれ奮闘する姿が垣間見えてうれしい。お土産(景品)もいくつかもらえて満足気な子ども達。

足取り軽く犀川に行けば6年生がマラソンスタートの場面。トイレに行きたい、という子もいたので、今度は犀川べりに下りて至近距離で応援。さすがに6年生、迫力のある走りで目の前を駆け抜けると、木の花っ子たちもつられて後を追ってみんな走っていく・・・。これまたすごい刺激だね。御影橋付近でストップしてもらったが、声をかけなかったらずっと追っていったかも・・・笑

夕方は近隣のこども園さんが今年金沢市の幼保小連携事業に採択され、中央小との交流事業を実施。地域の保育園、幼稚園、子ども園、中央小との教師間の意見交換会に参加。事前アンケートにあった「就学に向けて」という文言にこの会のコーディネーターで作成された大学の先生に「誤解を与えかねないのでは?」と噛みついたところ(失礼しました)、同じような想いでいた子ども園、幼稚園関係者には多かったのが心強く、研究者との温度差を感じる要因でもあった。「義務教育、及びその後の人生の土台の基礎を築く」教育としての幼児教育の「義務教育」だけに特化されそうな意味合いにとられがちなので、誤解を受けかねない。一方、学校の先生の受け取り方も、幼少連携にとても理解があるいい先生であるのだが、学校教育に活かされている姿への回答は、時間観念だったり、文字(識字)だったり、等々の姿を挙げられると、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」とは全く、ではないにしろ、矮小化された姿では・・・?と率直に感じる。幼保小の共通する「糊代」であるはずの10の姿への理解は如何なものか?と学校教員側との学習指導要領改訂の研修の説明との基盤がそもそも違うと考えざるを得ない(気がする)。
・・・という諸々のギャップを改めて分かって、ある意味有益でもあった会合である。幼児期の育ちを小学校に繋げるにはまずはここの幼保こども園と学校との先生の感覚のギャップをまず認識するところからだなあ・・・。
当日朝に団扇で応援グッズを子ども達と作製していざ出発。小走りで子どもたちもうきうきマラソン気分。御影橋から早速走り抜ける小学生たちに団扇を叩いて「がんばれ!しょうがくせい!」との文字の配列に子どもたちが並び声援を送る。自分で決めた文字でもあり、自分たちでそそくさと並ぶのはさすがまつさん。3年生の卒園生の快走に声援を送ると、木の花卒園生たちも手を振って応えてくれるのがうれしい。(後日学校探検時に小学生に訊くと、このときの女子は1~3位が木の花卒園生たちだった、とか。応援効果かな・・・笑)


中村町の秋祭りでは地域の方や小学生に混ざってあちこちの小学生のお店を堪能。木の花祭りに向けて刺激を受けた模様。(小学生ならではの面白いお店もあったしねえ。)卒園生たちもそれぞれ奮闘する姿が垣間見えてうれしい。お土産(景品)もいくつかもらえて満足気な子ども達。


足取り軽く犀川に行けば6年生がマラソンスタートの場面。トイレに行きたい、という子もいたので、今度は犀川べりに下りて至近距離で応援。さすがに6年生、迫力のある走りで目の前を駆け抜けると、木の花っ子たちもつられて後を追ってみんな走っていく・・・。これまたすごい刺激だね。御影橋付近でストップしてもらったが、声をかけなかったらずっと追っていったかも・・・笑


夕方は近隣のこども園さんが今年金沢市の幼保小連携事業に採択され、中央小との交流事業を実施。地域の保育園、幼稚園、子ども園、中央小との教師間の意見交換会に参加。事前アンケートにあった「就学に向けて」という文言にこの会のコーディネーターで作成された大学の先生に「誤解を与えかねないのでは?」と噛みついたところ(失礼しました)、同じような想いでいた子ども園、幼稚園関係者には多かったのが心強く、研究者との温度差を感じる要因でもあった。「義務教育、及びその後の人生の土台の基礎を築く」教育としての幼児教育の「義務教育」だけに特化されそうな意味合いにとられがちなので、誤解を受けかねない。一方、学校の先生の受け取り方も、幼少連携にとても理解があるいい先生であるのだが、学校教育に活かされている姿への回答は、時間観念だったり、文字(識字)だったり、等々の姿を挙げられると、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」とは全く、ではないにしろ、矮小化された姿では・・・?と率直に感じる。幼保小の共通する「糊代」であるはずの10の姿への理解は如何なものか?と学校教員側との学習指導要領改訂の研修の説明との基盤がそもそも違うと考えざるを得ない(気がする)。
・・・という諸々のギャップを改めて分かって、ある意味有益でもあった会合である。幼児期の育ちを小学校に繋げるにはまずはここの幼保こども園と学校との先生の感覚のギャップをまず認識するところからだなあ・・・。