ミンクス室内オーケストラ

1986年に結成されました。常任指揮者に、松岡究氏を迎えモーツアルト、ベートーベンなどの古典を中心に演奏しています。

県民による第九演奏会

2004-06-22 18:50:27 | ミンクスと第九

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鳥取県では1985年より、毎年県民による第九演奏会が開かれています。
年毎に、鳥取市、倉吉市、米子市、と開催される会場が移動します。 
ミンクス室内オーケストラは、米子公演において、地元の市民オーケストラ、米子管弦楽団とともに、第九オーケストラとして参加しています。
米子市においては、1985年、1987年、1990年、1994年、1996年,2003年に開催されています。

第九によせて

 人の一生には、たとえそれがどんなに短いものでも、必ず、春があり、夏があり、秋があり、そして冬がある。幕末の混沌とした時代を、その短い人生を駆け抜けていった思想家、吉田松蔭の言葉です。

 様々な天才たちが残していった音楽の中にも、それは見て取れます。ベートーヴェンのシンフォニーも例外ではありません。明るい春の喜びを、ひばりが精一杯歌うように、自分の才能を信じ、希望いっぱいに明るい和音を溢れさせる、一番。

 真夏の太陽が何もかも、熱く燃え上がらせ、夜には森で妖精が踊るなか、狂おうしい才能のうずきを、どうしようもなく、譜面の上に叩き付けていった、そんな感じのする、五番。

 秋、全てが色づき、日の暮れようとする中、豊かな才能の実りがあふれ、完成された音楽が、リズムが、和音が、溢れるように全て覆う収穫の季節。 それが八番です。

 そして冬。人生が冬を迎えたとき、人は何を思うのでしょう。

 

 この曲で、彼は、彼のシンフォニーとしては、殆ど例外的に、その始まりに、いきなり和音をぶつける事を止めます。冬の朝早く、不思議な気持ちにより、目覚めて窓の外を見る。山並みの上が、少しずつ色づき、金色の光を放ちながら、太陽が、その姿を現してきます。その中に、神の予感が・・・。第九はそのようにして始まるのです。 彼は、自分の人生が神に祝福されていた事を信じ、時に明るく、時に暗く、これまでの音楽を確かめるように、和音を、旋律を、積み重ねてゆきます。 シューベルトが、彼の最後のシンフォニーで、”ラヴェンダーいりませんか、ラヴェンダーはいりませんか”と売り歩く、ウィーンのラヴェンダー売りの音楽を、オーボエにこのうえなく美しく歌わせたように、木管が旋律を、精一杯歌います。 様々な人が、この中に、彼のこれまでの音楽の断片を感じます。

 

 しかし、この完成された音楽のなかに、その他のシンフォニーにみられるような、明確なモチーフを感じることができず、何かの不安感を感じるのは私だけでしょうか。

 そんな不安感の中で、終る、1楽章のあと、それを振り払うように、常道である、緩徐楽章ではなく、なんとヴィヴァーチェの2楽章が始まります。ここではもう彼は、自分を、押さえようとしません。全ての音楽が、前へ、前へと溢れかえるように進行します。七番のリズムが、エロイカの軽快さ、華やかさが、田園の歌が、全てがこれらを上回るように、繰り返し、繰り返し、現われては消えてゆきます。そしてやがて始まる、天国の音楽。3楽章は、まさに天国の響さです。ゆったりした美しい音の流れ。ここはまさに、別世界なのです。いつ果てるともない音の流れ。そこには苦しみもなく、時の流れもなく、そして死さえも、感じさせない、彼の音楽がたどり着いた理想の世界。

 しかし、彼はこの最後のシンフオニーでここまでたどり着いた音楽を、4楽章の冒頭で、いきなり全てを、破り捨ててしまいます。引き裂かれる、音。辺りに飛び散る音楽の断片。

 そしてついに彼は、人の言葉でこう歌わせます。

    ”おお友よ、この音楽ではない”

人生の最後の喜び、それはこの音楽ではないのだ、と。これはシラーの詩ではなく、ベートーヴェン自身の言葉なのです。

 人々はなぜ争いあうのか。なぜ圧政に苦しむ人々がいるのか。このような世界では、自分の天国の音楽さえ無意味ではないか。 これまで、頑なに、人間嫌いを装ってきた彼が、シラーの詩を借りて、激情を叩き付けます。

    ”人々よ、共に歓喜の歌を歌おうではないか。

     生くとし生くなるもの、それは全て友ではないのか。”

繰り返し、繰り返し、歌われます。

    ”そして、共に神の御前にたとう”

合唱が。オーケストラの全楽器が。共に全音符で、精一杯、息の続くかぎりのばします。すると空を覆っていた雲が、次第に薄くなり、雲の切れ間から、神の国が、現われてくるのです。 高らかに歌われる、勝利への行進曲。そして怒涛のような、歓喜の合唱。 第九はこのようにして終ります。

 ベートーヴェンがこの世を去って、何年になるでしょう。 私達は、はたして、べ一トーヴェンが残していったこの曲を、全世界の人々と共に歌えるようになるのでしょうか。


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