私も若い頃は女性の多い職場で
働いていた事があり先輩或いは
上司として業務を指導したりし
ていました。若い女性が多くて
中には魅力的な人もいたりしま
したが、優位的な立場を利用し
て女性の歓心を惹こうだとかは
思いもよらない事でした。ただ
今で言うセクハラがなかったの
かと云うと、していないと断言
出来るか自信はありません。
そういう事を普通にやってしま
う社会の風土や、人間性の問題
もあるとニュースを見て思いま
した。功なり名を遂げた人なら
尚更の事こういう問題には無縁
だと思うのですが、逆の場合が
多いのが実際の事なのかとも思
ったりしました。私が30代の頃
の女性観は学生時代のウーマン
リブ運動等が影響してか女性は
強い存在であるという思いもあ
り、旧約聖書のアダムとイヴの
イメージが強く残っていた私に
とって、女性は男性の肋骨から
作られたのに神の教えに背いて
知恵の木の実を食べてアダムに
も勧める悪い存在です。知恵と
善悪を知る事となった2人は神
の前で裸である事に羞恥心を覚
えてしまい、神に教えに背いて
しまった事を見破られて怒りを
被ってしまいます。
神に知恵の木を食べた理由を詰問
されアダムはイヴに、イヴは蛇に
各々責任転嫁します。神は三者に
各々罰を言い渡して楽園を追放し、
アダムとイヴは人類最初の罪人と
なり、これが人類の全てが背負う
原罪となります。アダムは労働の
罪、イヴは産みの苦しみと男性に
依存し服従すると言う2つ罪を背負
う事となります。
これが聖書にある失楽園のお話で
すが、これらが原始キリスト教や
イスラム教の考え方の元になって
いると云われています。
蛇に誘惑され知恵の木の実食べて
人類の原罪の張本人の様に描かれ
ている女性は忌むべき存在である
ようなイメージが思春期の私には
刷り込まれたのかもしれません。
旧約聖書では一見、女性は男性に
支配される存在であり、女性は罪
深いと人と云う描かれ方ですが、
私の母親は怖い存在でした。社会
に出ると女性である事を武器にする
ような女性にも出会いました。例え
ば、私はやる気のある女性に1日で
も早く一人前になって貰いたい思い
で厳しく指導するのですが、直ぐに
泣き出してしまう女性がいました。
それでも私は指導法を変えないので、
先方もやり方を変え、今度は甘えて
来るという風です。仕事場を離れて
こういう事をされると、余り女性と
付き合った経験のない私は大変困り
ました。
中学から大学まで女性のいない環境
で生活していたので、女性との接し
方も慣れていませんでしたが、これ
も女性にとってはセクハラみたいな
ものだったのかと思っています。
私の場合は男性と女性で付き合い方
は変わらず、全く同じスタンスで接
していましたが、女性には優しく接
する事も大切だというのは感じてい
ます。妻と人並みに結婚する事は
出来ましたが、優しく接して来たの
かと問われと自信がありません。
セクハラ問題もそういう点の欠如が
原因なのかとも考えたりします。
「男はタフでなければ生きていけない
優しくなければ生きている資格がな
い」という有名な探偵小説の言葉があ
りますが、作家のハメットは共産党
員だったそうです。最近の資本主義
モラルの荒廃は新しいマルクス主義
への回帰を勢いづける気がします。
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