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12月15日の礼拝の内容です。

2024-12-14 20:02:00 | 日記
12月15日の礼拝の内容です。讃美歌は、241.242‣3.459.476.91‣1です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/PahqQvRMUAM?feature=shareです。

礼拝説教      使徒13:16~25「救い主を送ってくださる」   2024.12.15

 私たちは今、瀬戸永泉教会で、日曜日に集まって、神を礼拝しています。ふと、これはとても不思議なことだと考えてしまいます。私たちは今、聖書では使徒言行録を読んでいます。これは、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であったローマにまで伝わっていくことが書かれてあります。その福音の流れは、今、日本の愛知県瀬戸市にある私たちの教会まで伝わっているということです。ここまで約2000年という時の流れがありました。時を越えて、イエス・キリストの福音は全世界に伝わっていったのです。使徒言行録の中心的な聖書の箇所があります。

使徒1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 この言葉がその通りになっていくのです。すごいことだと私は考えます。使徒言行録は全部で28章あります。1章~12章は、イエス・キリストの福音がユダヤ人にむけて語られています。13章~28章は、異邦人にむけて語られているのです。今日、私たちは使徒言行録の13章を読んでいます。聖書の後ろに聖書地図がありますが、7、パウロの宣教旅行1には、パウロの第1回伝道旅行の様子が書かれてあります。地図を見ると、パウロの行程が見えてきます。アンテオキア教会から出発して、キプロス島に渡ります。そして、船でパンフリア州のベルゲに渡ります。ここで、パウロとバルナバと共に一緒にいたマルコが、伝道旅行の困難さに負けて、エルサレムに帰ってしまったことを前回見てきました。旅行の様子を見ると、ベルゲで伝道をしたかといえばしなくて、すぐにピシディア州のアンテオケに行っていることが分かります。後にパウロは、マルコが伝道旅行の途中で帰ったことを批判しています。

 そのパウロですが、このベルゲで伝道しなかった理由がありました。それは、パウロは素晴らしい伝道の働きをしていくのですが、大きな困難を抱えていたのです。それはパウロ自身の肉体のとげといわれる病気のことです。このパウロの病気はしばしば、パウロの伝道旅行の歩みを止めることになっていくのでした。そのためにパウロは神に、自分の病気を癒してくださるように祈ったのですが、適いませんでした。そのパウロの肉体のとげですが、マラリア熱だったのではないかといわれています。この病気によって、ベルゲでは熱で苦しみ、高い場所に移動する必要があって高地にあるピシディア州のアンテオキアへ行く必要があったのです。パウロの命に関わる問題が起っていたと思われます。でも、そのアンテオキアで、パウロは伝道していくのです。

 ピシディア州のアンテオキアで、まずユダヤ人の会堂に入っていきます。その日は安息日でした。そこでは律法と預言者の書が朗読されました。その後で会堂長が人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と勧められています。そこで、パウロは立ち上がって、手で人々を制して話し始めます。これが、使徒言行録に残るパウロの完全な形での説教といわれています。パウロが語っている相手はイスラエルの人々です。ピシディア州のアンテオキアのユダヤ人会堂で安息日に、ユダヤ人に語っているのです。「イスラエルの人たち、神を畏れる方々、聞いてください。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもって、そこから導き出してくださいました」と、まず話しています。パウロがまずユダヤ人に語っていることは、神がイスラエルの民を選び出してくださったこと、エジプトで長い間、奴隷の状態であったことを高く上げた御腕を持って、そこから導き出してくださった、つまり出エジプトの出来事をいっているのです。

 さらに「神はおよそ40年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では7つの民を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです」といいます。出エジプトから、荒れ野の旅を40年間したこと、その間に、イスラエルの人々の行いを耐え忍んでくださったといって、罪の深さを強調しています。それと共に神のイスラエルの人々に対する深い忍耐を思うのです。これは450年に渡ることだといい、「その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました」といっています。これはまさに士師記の内容になります。今、祈祷会では、この士師記を読んでいます。士師の登場と、イスラエルの人々の罪の深さを書いています。

 そして、「後に人々が王を求めたので、神は40年間、ベニヤミン族の者でキシユの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ」と、いっています。これはサムエル記の内容になっています。イスラエルの人々は、繰り返される諸民族の戦いがあって、自分たちの指揮官である王を求めたのでした。その最初の王がサウルでした。そのサウルは、神に従うことがなくなって、サウルを退けて、新しくダビデを王として選ばれたのです。そのダビデについて、「わたしはエッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです」と、いっています。ここでパウロがいっているように、ダビデの子孫から救い主イエスを送ってくださったと宣言しているのです。

 そして、パウロは、洗礼者ヨハネのことを取り上げています。「ヨハネはイエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました」と、伝えています。更に、パウロは洗礼者ヨハネのことを「その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこういいました。わたしを何者だと思っているのか。わたしはあなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない」と、いっています。

 パウロの説教はまだ続いていきますが、神は、多くの民の中から、イスラエルを選び、人間の救いの業を行ってくださっているとことを、イスラエルの人々に語っています。エジプトでの奴隷の時、荒れ野の旅の苦しみ、約束の地に入るための準備とその後、約束の地に入ってからの士師時代、預言者サムエルの時代に、王制が始まり、サウル、ダビデと続いていくこと、時に、ダビデの子孫から、救い主が生まれることを語り、それがイエス・キリストであることを告げるのです。

 私たちは祈祷会で、旧約聖書を読み続けています。創世記から始まって今は、士師記を入っています。そこには、神に選ばれたイスラエルの人々の苦しみ、特に、罪の歴史を見続けています。神によって選ばれたのに、神の期待に反して、神に反逆し続け、罪を犯し続けている姿です。どうして、このような罪深いイスラエルの人々を神は選ばれたのだろうかと考えてしまいます。でも、罪深いから神はイスラエルの人々を選ばれたのでしょう。人間とは何か。いかに、人間は神に対して、罪を犯し続ける者か、いかに神に従うことができないかを、旧約聖書を通して、教えてくれるのです。

 神が、私たち人間の罪の救いのために、本当に長い時間をかけてご計画してくださることを改めて知ることができました。神は、この世界を創造し、人間を造られ、そして、人間が神に反逆し、罪を犯して、神から離れて、苦しんでいく。人間は自分たちが犯した罪によって、自分自身を苦しめ、他者を苦しめていく。このままでは人間は完全に滅んでしまいます。そのような人間の滅んでいく姿に、神は行動されていくのです。旧約聖書を通して、イスラエルの人々を選び、神の民として生きることの意味を教えてくださいました。神の教えである十戒を中心とした律法、幕屋は祭司制度など、イスラエルの人々の生活に即したものとなっていきました。ダビデを選んで、その子孫から救い主であるイエス様が生まれて来ることを預言してくださったのです。

 今、私たちは教会暦で、イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節を過しています。来週には、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス礼拝を守ります。今から2000年前に、ユダヤのベツレヘムで、神の子イエス・キリストがお生まれになるのです。家畜小屋の中でお生まれになり、家畜のえさが置いてある飼い葉桶の上に、神の子は寝かせられるのです。寂しい場所で、誰にも知られない場所で、静かにお生まれになりました。その神の子は、私たちのすべての罪を背負って十字架につけられて死ぬために、お生まれになったのです。神の救いの業が、このイエス・キリストの誕生と、その後の十字架の死と復活につながっていきます。私たちは今日、パウロの言葉を聞いて、救い主の誕生を、心からお祝いしようではありませんか。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの説教を聞きました。それはあなたの深い救いの業を見ることができました。長い長い時間をかけて、あなたは、私たちのために救いのご計画をしてくださいました。今、私たちはクリスマスを待つ日々を過ごしています。あなたが私たち1人1人のためにしてくださったこと、そして、そのあなたの救いの業がどのように完成されるのかを、希望と期待を持って、待ち望むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


12月11日の祈祷会の内容です。

2024-12-10 19:51:00 | 日記
祈祷会    士師記18:21~31「ライシュの人々のことを考える」  2024.12.11

 士師記17~21章までは、士師のいない時代のことが書かれてあります。その中心は「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいことを行っていた」(士師記17:6)です。17章では、エフライムの山地にミカのいう人が登場して来ます。ミカの母親は、ミカのためにお金を出して、銀細工人に彫像と鋳像を造らせるのです。また、ミカの家には神殿があり、エフォドとテラフィムがありました。そして、自分の息子を祭司にしていましたが、途中で、自分の家にレビ人がやって来たので、そのレビ人に、自分の家の祭司になって欲しいと頼み、そのレビ人がミカの家の祭司となっていきました。

18章では、ダン族は、自分のために住み着くための嗣業の土地を捜し求めていました。かつてヨシュアの時代には、土地は与えられていましたが、それを失ってしまったので、この時には土地がない状態だったと考えられます。ダン族は土地を探り、調べるために、自分たちの中から5人の勇士を選んで、「行って、土地を調べよ」と命じて、遣わします。5人はやがてミカの家に行きます。そこにいる祭司に声をかけて、自分たちの進めている旅の成功を尋ねていきます。祭司は、あなたがたの旅は主によって見守られているといいます。5人は、喜んで旅を続けて行きます。5人は進んでライシュに着きます。その地の民は、シドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っているのを見るのです。その地には、権力を握る者が全くなく、シドン人からも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったとなっていました。

5人は帰って、ダン族にライシュの土地のことを説明します。「ライシュに向かって攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわず出発し、ライシュの土地を手に入れるべきだ。行けば穏やかな民のところに行くことができる。神が与えてくださっている。その土地は大手を広げて待っている。その土地は、この地上のものが何一つ欠けることがない土地だ」と。ダン族の人々は600人の兵士を派遣します。兵士は皆、武器を帯びています。5人と600人の兵士たちは出発します。彼らはエルライムのミカの家に寄って、祭司、彫像と鋳像、エフォドとテラフィムを奪います。

ここからが今日の聖書の箇所になります。ミカは自分が持っていた彫像と鋳像、エフォドとテラフィムをダン族に奪われてしまったので、取り返すために、近くに住む家族の者が呼び集められました。そしてダン族を追っていくのです。もちろん、自分の物を取り返すためです。ミカはダン族に呼びかけます。するとダン族は「兵をそろえて何事か」と問います。ミカは「あなたたちはわたしの造った神々と祭司を奪って逃げた。わたしには何もない。何事かとはよくいえたものだ」といいました。ダン族は「そのようなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ち付け、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう」といいました。ダン族は旅を続けます。ミカはダン族が強いと見て、引き返し、家に帰って行くのです。

ダン族はミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かいます。その静かで穏やかな民を襲って、剣にかけて殺し、町に火を放って焼きました。そのライシュの町はシドンからも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者はなかったのです。ダン族は、その町を再建して住み着き、町の名をダンと付けました。その町の元の名はライシュでした。ダン族は、自分たちが拝むためにミカの彫像を立てることにしました。また、モーセの孫でヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日まで、ダン族の祭司を勤めていくことになりました。この捕囚の日とは、前733年ごろのアッシリアによるものと考えられます。また、神殿がシロにあった間、ダン族はミカの造った彫像を保っていたとあります。細かいようですが、神殿ができたのはソロモンの時代のエルサレムです。でも、ここでは神殿と書かれてありますので、そのまま使います。神殿がシロにあった間とは、ヨシュアの時代に、会見の幕屋がシロに建てられています。(ヨシュア18:1)また、次のサムエル記の時代にもシロが聖所でした。(サムエル上1:3)

この士師記18章はダン族が新しい土地を手に入れることが書かれてありました。そのためには、ミカの家にあった彫像と鋳像、エフォドとテラフィム、また祭司を奪って、自分たちのものとしたこと、手に入れた土地を一度は燃やしてしまいましたが、再建し、住み着くようになっていきました。それからずっとミカから奪った彫像を自分たちが拝む対象としていたのです。神の教えはどこにいってしまったのかという思いです。ここまで読んできて、私が気になったのは、ライシュの町のことです。ライシュの町は理想的な環境にあると思いました。振り返ると、ライシュの町は、静かに、また穏やかに安らかな日々を送っていました。人をさげすんで権力を握る者も全くなく、シドン人からも遠く離れていて、またどの人間とも交渉がなかったというのでした。ダン族の5人は、このライシュの町の様子を見て、簡単に攻め落とすことができると考えました。そして、実際に、その通りだったのです。ライシュの町は、この地上のものが何1つ欠けることがない所だとありましたが、突然のダン族に攻め込まれて、何もすることもできず、襲われて、剣かけて殺され、町に火を放たれて滅んでいきました。

このライシュの町の人々のことで、自分たちだけで平和に暮らしていて、どの人間との交渉もなかったというのが印象に残りました。自分たちだけで平和であればいいというだけでなく、他の人間との交渉もとても大切なように思います。このことをどのように考えればいいのでしょうか。私たちの歩みの課題でもあると思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ミカとダン族の勝手な振る舞いを見てきました。神の民でありながら、神のなしに生きている現実の罪が見えて来ます。また、ライシュの人々のことを考えます。理想的な社会だと思いますが、何か大切なものが欠けていたのでしょうか。その欠けているものを見つけることができますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


12月8日の礼拝の内容です。

2024-12-07 20:22:00 | 日記
12月8日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.242‣2.200.403.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/ZRfpr572Ag0?feature=shareです。

礼拝説教        使徒13:13~15「失敗から学ぶ」     2024.12.8

 「失敗から学ぶ」という説教題で、今日の聖書の箇所から考えてみたいと思います。皆さんは失敗したことがあるでしょうか。おそらくですが、ここにいる方はすべて失敗したことはあると思います。自分は今まで一度も失敗したことはないという人はいないと考えます。失敗にもいろいろなものがあると思いますが、絶対にしてはいけない失敗もあると思います。例えば、人を殺すなどということです。極端な話ですが、そのような絶対にしてならない失敗もありますが、私たちが多くする失敗はいろいろです。昨日でも忘れることのできない失敗をすることは起って来ます。

 新型コロナウィルス感染症からYouTube配信を始めました。初めは手探りで失敗ばかりでした。配信ができない、音が出ていない、ノイズが起っているなど、きりがありませんでした。新しい配信手段を始めた時に、画質はいいのですが、音がまったくダメだった時がありました。その時には、音響関係を新しい設備にしていただきました。今でも、配信を始める時はドキドキです。必ず祈ってからしているのです。また、その他にもいろいろな失敗があります。失敗しない方がいいのですが、失敗することは避けることができないものです。問題は、そのしてしまった失敗をどのように受け止めるかだと考えます。

 今日の聖書の箇所は、ヨハネの失敗のことを取り上げてみます。このヨハネは別の名前をマルコといいます。これからのことを考えてマルコといわせていただきますことをお許しください。使徒言行録は13章に入って、異邦人伝道が本格化していきます。異邦人の初めての教会としてアンテオケ教会が誕生しました。そこには多くの人々が集まっていました。教会の人々が神に礼拝をしている時に、または断食をしている時に、聖霊が「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって2人に決めておいた仕事にあたられるために」という言葉によって、教会の人々は断食して祈り、2人に手を置いて出発させるのです。

 第1回伝道旅行のスタートです。聖霊によって送り出されたバルナバとサウロはアンテオケ教会を出発し、キプロス島に向かって船出しました。このキプロス島はバルナバの出身地です。故郷伝道ということになるでしょうか。この時に、2人はマルコを助手として連れて行きました。このマルコはバルナバの親戚にあたります。キプロス島の伝道が終り、キプロス島のパフォスから船出し、パンフィリア州のペルゲに来ました。ここで、マルコはバルナバとサウロの一行から離れてエルサレムに帰ってしまったのです。このマルコがどうして急に伝道旅行の際に、途中で帰ってしまったのか、これが後で大きな問題となってしまいます。このマルコの伝道旅行の時の失敗といってもいいと思いますが、この点を考えていきたいと願います。どうして、マルコは第1回伝道旅行が始まって、一緒に同行できるという状況だったのに、途中で挫折してしまったのでしょうか。とても残念なことだと思います。

 マルコの挫折の理由ははっきりとは分かっていません。だから、失敗の理由は分からないということになってしまいます。考えられることが、マルコはバルナバの親戚といいました。実は、第1回伝道旅行が始まった時は、リーダーはバルナバでした。ところが途中から、それがパウロに変っていきます。使徒13:4、7には「バルナバとサウロ」となっています。使徒13:9には「パウロとも呼ばれたサウロ」となっています。その後、使徒13:14では「パウロとバルナバ」と変わっているのです。そのリーダーがバルナバからパウロに変ったことがマルコによって気に入らなかったからというのが、挫折の1つの理由といわれています。次が、伝道旅行には様々な困難があって、その伝道の困難にマルコは耐えることができなかったというのがその理由になっています。このマルコの挫折が、大きな問題になって行くといいましたが、それは、第2伝道旅行が始まる時に起って来ます。

 使徒15:36~41です。第1回伝道旅行が終って、異邦人への伝道についての協議を行ったエルサレム会議が終ってから、第2回伝道旅行に出発することになりました。それはパウロの言葉から始まっていきます。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って、兄弟たちを訪問しどのようにしているかを見て来ようではないか」というものでした。パウロの提案は、第1回伝道旅行に行った後の様子を知りたいということだったと思います。この時に、問題が起って来ます。それは、バルナバはマルコを連れて行きたいと思ったのです。一度は挫折して、伝道旅行の途中で帰ってしまったけれど、成長するチャンスを与えたいと考えたのです。バルナバらしい考えだと思います。パウロが回心でして、キリスト者になった時に、エルサレム教会の人々は、パウロを警戒して受け入れようとはしませんでした。その時に仲介したのがバルナバでした。バルナバの考えはマルコにとって、とても嬉しい事だったと想像します。しかし、反対する人がいました。それは第2回伝道旅行を計画したパウロです。パウロの言い分は、前にパンフリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は連れて行くべきではないと考えたからです。パウロの考えも理解できますし、バルナバの考えも理解できます。どうすればいいのでしょうか。

 この時に、バルナバは自分の考えを曲げなかったのです。慰めの子といわれたバルナバは、しっかりと自分の考えを持ち、必要ならそれを実行する強い思いは持っていたのでした。ここで、パウロとバルナバの意見が激しく衝突してしまいます。ついには別行動をとるようになってしまいます。第1回伝道旅行で一緒に行った者同士が、ここで激しい意見の対立によって、別行動してしまうことは大きな悲しみだと思います。何とか仲直りすることはできなかったのでしょうか。残念なことです。初代教会にこのような激しい対立があったことは忘れてはいけないと思います。バルナバはマルコを連れて、キプロス島に向かって船出します。ここからバルナバの記録は途絶えてしまいます。一方でパウロはシラスを選び、教会の兄弟たちから主の恵みに委ねられて出発します。このように第2回伝道旅行は、パウロはバルナバと離れて、伝道旅行を続けていきます。使徒言行録は、その後、パウロの旅を追っていきます。パウロはシリア州やキリキア州を回って教会を力づけていきます。考えみれば、パウロとバルナバの対立は、伝道旅行が2つ行われるというメリットにもつながっていきます。

 その後のマルコはどのようになっていくのでしょうか。実は、マルコはパウロの伝道にとって大切な役割を担いようになっていくのです。

2テモテ4:11
ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。

 第1回伝道旅行の途中で、伝道旅行の困難さのために挫折して、途中で、エルサレムに帰ってしまったマルコ、彼はその後、どのような気持ちでいたのでしょうか。また、第2回伝道旅行が始まる時に、自分を連れて行くかどうかでバルナバとパウロが激しく対立し、別行動をとることになってことをどのように受け止めていたのでしょうか。使徒言行録は第2回伝道旅行の様子を、パウロを中心に書いていますので、バルナバとマルコの働きについては書いていませんので分かりませんが、おそらく最後まで、バルナバと共にマルコはその伝道の働きを全うしたのでしょう。それから時が流れて、パウロの伝道の働きに同流することになっていったのでしょう。マルコの働きは、パウロにとって良きものだったのでしょう。それがパウロの手紙の中に書かれてあります。

 人は生きていく中で、いろいろな失敗をしていきます。その失敗の中で成長していくのです。そういうパウロ自身も、かつては熱心なユダヤ教徒として、教会を攻撃し、迫害を加えていました。そのようことから、イエス・キリスト出会い、アナニアやバルナバの働きによって、教会の伝道者として働くことができるようになったのです。そういう意味で、パウロ自身も失敗を経験しています。

 今、私たちは教会暦で待降節を歩んでいます。イエス・キリストの誕生を待ち望んでいます。神の子イエス・キリストがわたしたちのために、この世に来てくださるのです。それは、私たち1人1人のために、罪を贖い、永遠の命を与えるためです。神に感謝しながら、私たちは、自分たちができることをして、神の恵みに応えていきたいと思います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができますことを心から感謝します。マルコの失敗のことをみてきました。人は多くの失敗をしてしまいます。でも、その失敗を通して、成長していきます。私たち1人1人が、神に愛されていることを知っています。小さな私たちですが、あなたのために働くことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


12月4日の祈祷会の内容です。

2024-12-03 20:04:00 | 日記
祈祷会      士師記18:1~20「ダン族の移動から」    2024.12.4

 士師記17章~21章は、士師のいない時代のことが書かれてあります。その様子は「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(士師記17:6)と、ある通りです。それまでは士師たちによって、イスラエルの人々は導かれていました。以前には、ヨシュア、モーセなどの力強いリーダーがいました。そのような神の教えを語り導くリーダーがいなくて、それぞれが自分の目に正しいことを勝手にやっていたということです。

 士師記17章では、エフライムの山地にミカという男が登場してきます。ミカの母親は、ミカのために彫像と鋳像を造ってもらおうとして、銀200シェケルで銀細工人に渡し造ってもらいました。ミカの家には彫像と鋳像が置いてありました。また、ミカの家には神殿があって、エフォドとテラフィムを造って、自分の息子を祭司にしていました。そこに、若いレビ人がやって来ます。ミカはそのレビ人に、自分があなたを養いますから、父となり、祭司となってくださいとお願いして、ミカはこの若いレビ人を自分の家の祭司にしたのです。すると、ミカは「レビ人がわたしの祭司になったのだから、今や主がわたしを幸せにしてくださることが分かった」といって、喜んでいます。

士師記18章では、ダン族の移動のことが書かれてあります。ダン族の土地の割り当てについては、ヨシュア記19:40~48に書かれてあります。そこには、ダン族の人々は一度、土地は奪われましたが、攻めてこれを占領し、剣を持って住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだとあります。ですから、すでに土地を手に入れていたと思います。しかし、この士師記18章では、ダン族は住み着くための嗣業の土地を捜し求めていたとあります。その頃まではダン族は、イスラエルの諸部族の中で嗣業の土地が割り当てられなかったからとなっています。手に入れていた土地を奪われてしまったのでしょうか。詳細は分かりませんが、新たに自分たちの住む土地を捜す必要があったのです。

 ダンの人々は、土地を探り、調べるために自分たちの中から勇士5人を自分のところから遣わして「行って、土地を調べよ」といいました。そこで、5人はエフライムの山地のミカの家まで来て、そこで一夜を過ごします。5人はミカの家の近くに来て、あの若いレビ人の声がするのを気づいて立ち寄ります。そこで、「誰があなたをここに連れて来たのか。あなたはここで何をしているのか。ここでのあなたの務めは何か」と尋ねます。レビ人は「自分はミカに雇われて、ミカの祭司になった」と答えました。5人はそのレビ人に聞きます。「我々が進めている旅がうまくいくかどうか知りたいのだが、神に問うていただきたい」と聞きます。祭司は「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と励ましています。5人は、自分たちの行動の正しさを心配して、ミカの家の祭司に聞いたのでしょう。聞いて安心して、5人は旅を進めていったのです。

 5人はライシュに着きます。その地の人々は、静かに、また穏やかに安らかな日々を送っているのを見ました。その地は人をさげすんで権力を握る者は全くなく、周りの人々からも遠く離れていて、どの人間とも交渉がなかったというのです。そのような土地があるのかと不思議に思いますが、そうだったのでしょう。5人はダン族のもとに帰ります。人々が「どうだった」と聞きますと、5人は「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。ためらわず出発して、あの土地を手に入れるべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな人々の所に行くことができる。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ」といっています。とにかく素晴らしい土地だというのです。

 ダン族600人は武器を身に帯び、出発して、上って行って、ユダの地に陣を敷きます。600人はミカの家までやって来ます。ライシュの地を巡り歩いた5人が600人にいいます。「この建物の中にエフォドとテラフィム、彫像と鋳像があるのを知っていますか。今、どうすべきか決めてください」と。5人はミカの家に向かうことにしました。若いレビ人の家、ミカの家に入り、変わりはないかと尋ねます。武器を帯びた600人は、家の門の入り口に立たせておきます。5人は、ミカの家に入り込み、彫像、鋳像、エフォド、テラフィムを奪います。その時、祭司は「何をするのか」といいましたが、5人は「口を手に当てて、一緒に来てください。わたしたちの父となり、祭司になってください。1個人の家の祭司であるよりも、イスラエルの1部族、ダン族の祭司である方がいいのではありませんか」といいます。祭司はこれを快く受け入れ、エフォド、テラフィム、彫像を取って、このダン族に加わっていきます。

 その後は、ダン族の人々は、ライシュを襲い、その静かで穏やかな人々を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼きました。ライシュの人々を助ける者はなかったのです。他のどの人間とも交渉することがなかったからでした。ダン族は、その町を再建して住み着き、その町をダンと名付けたのです。元の町の名はライシュでした。ダン族は自分たちが拝むためにミカの彫像を立てることにしました。こうして、神殿がシロにあった間、ずっとダン族はミカの造った彫像を保っていたということになります。それはソロモンの時代まで続いたということになります。ソロモンの時代に、エルサレムに神殿が建てられたのです。

 イスラエルの人々は、この時代、神を信じているといいながら、自分たちの目に正しいとすることを行っていました。現在の私たちはどうでしょうか。神を信じて生きていると思いながら、自分の思いを優先していることがあるのかもしれません。この聖書の箇所を読みながら、自分たちの神への信仰を考えるきっかけとしたいと思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。士師記の学びの中に、神を信じているとしながら、一方では、自分たちの目に正しいとすることを行っている姿を見ることができました。神のご意志から離れている姿がそこにはありました。人間の弱さがそのようにさせるのでしょうか。私たち自身の信仰を振り返る時も必要なことだと思います。自分の思いではなく、あなたの御心を求めて生きる信仰を与えてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                           」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)