3.11のとき、私はとある法律家団体の事務局長をしていたのですが、福島第一がああいうことになって、この問題に取り組む必要が出ました。
そのとき、名前が挙がったのが、秋元さんでした。原爆症訴訟や反核法律家協会などをやっていて、この問題に明るいというのが理由でした。
秋元さんは、持ち前のエネルギッシュさと培った知識とで、どんどん仕事をして行きました。
どちらかというと怠惰な私は、すごいなぁ、と感心するだけでした。
秋元さんが亡くなったという連絡を貰ったとき、どの秋元さん?、と思いました。それくらい、彼の日常の姿と死とは縁遠く思われました。亡くなる前日も、弁護団会議で議論していた、という話も聞きました。
ふと思い出したのは、日弁連の事務次長在職中に亡くなった矢澤昌司さんのことでした。活動の志向性は違っていたかもしれませんが、持ち前の能力と努力とで次々と課題をこなしていく姿には、通じるところがあったような気がします。
昨日(5/12)の夜は、秋元さんのお通夜で、行ければ行きたいな、と思ったのですが、下館(東京から車で2時間くらい)ということで日和ってしまいました。家人には、お葬式って一生に一度なんだから行ってきたら、と言われたのですが。SNSなどを見ると、多くの方が弔問に訪れたようで、申し訳なかったです。
ご冥福をお祈りいたします。
久しぶりに夫の名前で検索してみて、ブログを拝読し、嬉しくてついコメントしてしまいました。前日まで、本当に元気だったんです。