日々の泡

弁護士杉本 朗(神奈川県弁護士会所属)のブログです。個人の雑感発信用で、業務用ではありません。

君が代の起立斉唱を強制する大阪府条例を許さない

2011-06-02 20:32:11 | 身辺雑記

大阪で、明日、公務員に君が代の起立斉唱を強制する条例が可決されようとしています。
私はこの条例案にきわめて強い疑問を持っています。
私が事務局長をしている自由法曹団では、採択するなという声明を発表しました。

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「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」案
を採択しないことを求める声明
http://www.jlaf.jp/html/menu2/2011/20110602142214_10.pdf

1 橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」府議団は、本年5月25日、「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」案(本条例案)を大阪府議会議長に対し提出した。府の施設において執務時間中に国旗の掲揚を義務づけるとともに、政令市を含む府内公立学校の入学式や卒業式などで君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける内容である。また橋下知事は、本条例案に引き続いて、起立・斉唱に従わない教員に対する処分の準則を決める条例案も今後提出すると述べている。
2 日本国憲法は、精神的自由に関する諸規定の冒頭で、思想・良心の自由を保障している。比較憲法的には珍しい規定の仕方であり、信仰の自由や表現の自由とは別に、特に思想・良心の自由を保障する憲法の例はあまりない。諸外国において特に思想・良心の自由を保障する規定がないのは、内心の自由が絶対的なものと考えられていたこと、また、思想の自由が表現の自由と密接に結びついているために、表現の自由を保障すれば十分であると考えられているからである。それでもなお、日本国憲法が思想・良心の自由を、精神的自由に関する諸規定の冒頭において特に保障した意義は、大日本帝国憲法下において、治安維持法の運用にみられるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかったことに対する反省である。思想・良心の自由を制限するにあたって、公権力に対しては、こうした歴史的事実に対する正確な理解と配慮、きわめて謙抑的な態度が要請されなければならない。
3 君が代については、大日本帝国憲法下において天皇主権の象徴として用いられた歴史的経緯に照らし、現在においても君が代斉唱の際に起立すること自体が自らの思想・良心の自由に抵触し、抵抗があると考える国民が少なからず存在しており、こうした考え方も憲法19条の思想・良心に含まれるものとして憲法上の保障を受けるものである。国や地方自治体が、教職員に対し君が代の起立・斉唱を強制することは、教職員と子ども・保護者の思想・良心の自由を侵害するものとして許されない。なお、地方公務員である教職員は、「全体の奉仕者」ではあるが、そのことが、公務員の職務の性質と無関係に、一律全面的に公務員の基本的人権を制限する根拠となるものではないことは言うまでもない。
4 このように思想・良心の自由を侵害するおそれがあるからこそ、国旗・国歌法制定時には、国旗・国歌の義務づけや尊重規定を設けることは適当でない旨の政府答弁が国会でなされ、同法に国旗・国歌の尊重を義務づける規定が盛り込まれなかった。「新たに義務を課すものではない」旨の首相談話も発表された。本条例案は、こうした立法の経緯を全く無視するものであり、法律の趣旨を逸脱する条例としても許されない。
5 さらに、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じてその個性に応じて行わなければならないという教育の本質的要請に照らし (1976年5月21日旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決)、子どもの学習権充足の見地からは、教育の具体的内容及び方法に関して、子どもの個性や成長・発達段階に応じた教師の創意や工夫が認められなければならない。この創意・工夫を図る上でも、教員には、公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味で教育の自由が保障されている。この趣旨は、教育行政の独立を明確に定めた教育基本法16条1項にも現れている。君が代を斉唱する際の起立・斉唱を義務づける本条例は、教員の教育の自由を侵害するものとしても許されない。
6 なお、2011年5月30日、最高裁第二小法廷は、東京都の都立高校の学校長が教職員に対して、日の丸に向かって起立し国歌を斉唱するよう命じた職務命令について合憲であるとの判断を示した。しかし、この判断は、憲法の基本原理に反し、憲法の番人たる最高裁の本来の役割に背くものであって、これを日の丸・君が代を巡る議論の解決とみることはできない。さらに同判決の「司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが、必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない」とする千葉勝美裁判官の補足意見や須藤正彦裁判官の補足意見からも、本条例案は許されないことが明らかである。須藤裁判官の補足意見は「最も肝腎なことは、物理的、形式的に画一化された教育ではなく、熱意と意欲に満ちた教師により、しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。」として「本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、教育現場の活力を殺ぎ萎縮させる」ことに危惧の念をあきらかにし、「教育は、強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって、上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で、強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。」として「思想及び良心の自由の重みに照らし、また、あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも、それ(懲戒処分)に踏み切る前に、教育行政担当者において、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。」と述べている。本条例案は、文字通り、寛容の精神を投げ捨てて強制と処分により教育現場に無用な混乱をもたらし、その活力を殺ぐものであり、到底許されない。
7 私たち自由法曹団は、上記観点に立って、大阪府議会に対し、提出された条例案を採択されることのないよう、強く求める。

2011 年5 月31 日
自由法曹団
団長 菊池 紘
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