落ちるところまで、落ちる。
思考の果てにあるものは、いつだって自己否定だけだ。
何をやっても駄目。
何しても無駄。
朝起きられないのは、人間がなってないから。
偏頭痛を起こすのは、体調管理ができないダメ人間だから。
些細なミスを起こす原因は、自分が存在しているから。
暴言を吐かれるのは、舐められているから。
時に、前世で何らかの罪を起こしたのだろうと思う。生きなければならないのは罰だ。
私は一体、何の罪を償っている?
至らない脳ミソを与えられ、頻繁に故障する出来の悪い身体を動かす。
痛みに耐える。
羞恥心に耐える。
怒りに耐える。
希死念慮に耐える。
それほどまでの罪を重ねたのか。
罰であるのなら逃げるわけにもいかない。
何に対する罰なのかも分からないが、こうしてのうのうと生きているには、こういう理由がお似合いだと思う。
生きる理由より、死ぬ理由の方が数多あるのに、多くの人間が死にたいと思いながら息をしている。
死ぬことへの恐怖心。
否、何かを失うことへの恐怖心。
私の家には多くの物がある。
未読の書籍、購入したばかりのドール、旅行先で見つけた狐面、御朱印、藁人形、鉱物。
対物性愛。私は無生物しか愛せない上に、愛した無生物を置き去りに、ひとり逃げることが出来ない。
自然災害で彼らが壊れでもするなら、私は彼らとともに朽ちたい。それが、私の死の場面なのだろう。
人間の命は有限だと、自分達ばかり特別扱いする周囲に虫酸が走る。全ての物に命がある。人間も、物も、同一だ。思い出に替えは利かない。しかし、対物性愛とは言うものの、私には性愛が無い。性欲という醜いものがよく判らない。
瞼の裏が点滅する。
頭が釘を刺されたように痛む。
昨日までの醜態を全て思い出す。
救われたいと強く思う。
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