ごきげんよう 八八千景です

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耽美小説『陰』 八八千景

2022-02-17 23:43:23 | 日記

 美しい人だった。
 肌は雪のように白く、しかしそれも暑さゆえに火照り、項から垂れる後れ毛も、一層、その男の耽美さを示していた。
 いけねぇ、と視線を下げる。
 女のように見えているだけだ。
 白粉の下の肌は醜いに違いない。紅の無い目も唇も、どんなもんか分かったもんじゃない。べべだけは一等綺麗なものを着ているようだが、なんだ。そもそも、男が女の着物を着ていること自体がおかしいのだ。
 恥ずかしいとは思わないのだろうか。
 綺麗だと思っているのだろうか。
 前方で群がる客人を押しのけて、醜いぞ! と野次を飛ばそうと思った。が、やめた。
 反対に、やっぱり百様はお綺麗ね、と女人が騒ぐ声が聞こえる。
「これ藤吉、つったってるんじゃないよ」
「いてっ」
 頭を打たれた。
「何すんだよっ」
 打ったのは姉のふじだ。普段より派手な化粧と派手な着物が目に入る。このところ、藤吉は姉とともに連日、芝居小屋を覗きに来ていた。
「もっと屈みな。それか、百様に見惚れてたかい」
「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ。だァれがあんな若造に惚れるかってんだ。大体、陰間だって話だろう。どこぞの鬼を夜ごと食ろうて精気を付けとるという」
「それが良いンだよ。それにサ、百様に食われるなんて本望じゃないか」
「うへぇ、勘弁」
 言いながら、藤吉は舞台から目を離せないでいる。
 あいつが、鬼か。
「ちげぇんです! 火ぃさ付けたのは、お、おれじゃねぇ!」
 舞台上の男が嘆く。
「ひ、ひ、火ぃ、つけたのはっ」
「あたしですよ」
 振り向き様、ニヤリと笑う。細くて黒い眼を客席に流して、大袈裟に袖を振る。
「あたしは、会いたくて、会いたくて、ただ、それだけなんですよ。もっかい火ぃが上がれば、あの人もいらっしゃるでしょう」
「まさか、お七、おめぇ、そんなことのためにっ」
「健気ですやろ」
 あほくさ。
 大体、八百屋のお七といえば世間も知らぬ娘のはずじゃないか。こんな妖艶で、色狂いの女なものか。
 客も客だ、と藤吉は目を細める。
 こいつらは芝居を観に来てるんじゃねぇ。この、鬼ヶ屋の桃太郎を観に来ているのだ。桃太郎なら桃太郎らしく、鬼退治の武勇伝でもやりゃあ良い。なのに、やンのは専ら心中ばかり、当の桃太郎は鬼退治どころか己が鬼だと言われる始末。
 きゃーきゃーと喚く声に尻を向けて、藤吉は走り出した。
 こんな芝居、見てられるかよ。

 夕暮れ、茶屋で汁粉を啜っていると、もしそこの方、と低い女声に掛けられた。
「なんでぇ、おれに、何か用か」
 そう問うと、女はくつくつと嗤う。
「あんた、おれが女に見えるのかい」
 聞き覚えのある、癇に障る声。あ、っと思った時には手元の汁粉を滑らせていた。
「お、おま、あン時の」
「ほォらやっぱり覚えてる。あんた、おれの芝居に背ェ向けただろ。おれはな、おれの芝居に背ェ向けた奴の顔は忘れねぇのよ」
 今度は低い、男の声だった。
 女の着物に、赤い頭巾。
「かくれんぼでもしてたんか」
「男に好かれてこその女形やのに、まだまだやわ。いくら歩いてもおれに声掛けてくんのは、女、女、女。あんな芋に囲まれたら、べべが土で汚れてしゃあないわ」
「そンなら、女を食えば良いだろ」
 暫時、間。
 しまった、と藤吉の首に冷や汗が垂れる。真剣が筋に当てられたように、ぴくりとも動けない。
 謝るべきか、それとも。
「おれは、女だよ」
 百がにこりと笑った。そうして、おもむろに己の簪を抜き始める。
「これはな、おれの最初のお客さん。菊の文様が可愛いってな、ねだったら買うてくれた。こっちの銀は前の町の、火消しの兄ちゃん。他にもたくさん。みんな、おれにくれたンさ。ももは、可愛いから」
「はぁ」
「あんたは、何をくれンの?」
「はっ」
 茶色の目。夕日の朱が座敷を染め、百を鬼にする。
 まるで、その背に物の怪を連れているようだ。
 百鬼夜行。
「おめぇは男だろう」
 藤吉はきっぱりと言い切った。
「陰間か鬼か、役者か知らねぇが、おれにそのケは無ェんだよ。盛ってんなら、他を当たりな、鬼っ子め」
「ありゃ、意外」
「意外なもんか」
「意外も意外さァ」
 鬼は目じりに皺を寄せる。
「だってェ、出逢茶屋だもの、ここ。てっきりおれは待ち人してるんだと思ってたよ」
 藤吉は慌てて茶屋を飛び出した。なんてこった、と顔が火照る。
「まぁまぁ、そう慌てんでも」
 百ものっそりと出る。
「で、出てくんじゃねぇよ!」
「なんでさァ」
「お、お前なんかと一緒にされたくねェんだよ!」
 まぁまぁ、まぁ、と笑う百。そうして、決めた、と藤吉の顎を引き寄せた。
「あんたは何も買わんでいい。そン代わり、あんたの全部をおれにくれ」
 抜いた簪を藤吉の懐に滑らせる。
「これは前金。おれの初登壇で、兄ぃがくれた、大事なもンだ。せいぜい、失くすんじゃねェよ」
 藤吉には、何がなんだか分からない。
 百の背が遠く遠くなっていく。正気に戻った時分には、あたりは闇に呑まれていた。
「あ、あ、あいつ……! い、いや、とりあえず帰ェるか……」
 覚束ない足取りで通りを歩く。
 顔が火照る。心の臓が脈を打つ。頭がふらふらとする。
 なんだか、酒でも呑んだみてぇだ。
 いっそ、酒の夢だったら良い。どんなに願おうが懐に簪がある以上、藤吉の虚言である。

 

 了

 

 見つけていただきありがとうございます。
 お初にお目にかかります。八八千景と、申します。八八、と並んで、はちや、と読みます。
 この場では、一冊の本として収録するには過激な内容のもの、お世辞にも健全とは言えないもの、などなど、ほぼ自分の鬱屈晴らしのために綴った小話を投稿してゆこうと思います。
 アングラを愛してやまない、異常性癖を持っております。お付き合いできる方のみ、お付き合いいただけると幸いです。
 本作は井原西鶴の男色大鑑より着想を得ました。寛容になってきたとは言え、現代ではまだまだタブー視される面もある同性愛、加えて若く美しいものに向けた耽美なる少年愛が、見る者を果てまで魅了します。小姓、陰間などの言葉が残っているように、明治期以前までは娯楽のひとつとして普及していたそうです。大変興味深い価値観の変化だと思っています。
 八八千景、古いものを非常に愛しておりますが、御年二十一であります。知識も経験も何もかもが未熟なため、不勉強による虚言が見受けられる場合があるかと思いますが、なにとぞご容赦と、お暇でしたらご教授いただければ幸いです。

 それではまたお会いしましょう。



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