ごきげんよう 八八千景です

見つけてくれてありがとう

理由

2022-06-17 22:22:11 | 日記

 吐き気がする。

 生きる理由を探している。

 時々、考える。

 なんのために生きるのか。

 思えば、社会人になる前から死にたがりだった。何かがあるたびに生きていたくないと強く思った。

 死ぬことの何が怖いのか。

 その問いに対する答えは明白だ。痛みや苦しみを伴うからに決まっている。自分が死んだあとの周囲の人間のことなんか、死んでしまえば考える頭も残っていないのだし、要するに、自分本位に死んだって構わないのだ。

 事故は嫌だ。災害は嫌だ。それは、怖さと悲しさを伴うからだ。感情なんて無くなってしまえばいいのに。

 もし、痛みも怖さも苦しみもない死に方があるのだったら。もしかしたら、私はこの世にいないかもしれない。

 精神的な弱さで、何度も死にたいと思った。

 壊した足の痛みで、何度も死にたいと思った。

 ついこの間は、死ぬか苦しむか悩んだ腹痛の末に通院の道を選んだ。

 何度も何度も、生死の看板の目の前に立って、それでも生きることを選んでしまった。

 どうして生きようとするのか分からない。

 年々、何にも楽しみを得られなくなってくる。太宰治や、三島由紀夫を読んで、暗澹たる気持ちの共感を求めはするが、いままで夢中になったコンテンツがすべてどうでもいいと思う。

 生きる理由。

 生きる理由。

 

 もう少し、他人に興味が持てればいいと思う。

 他人の行動に一喜一憂し、共感し、喜怒哀楽を分かち合えれば、仲間意識も出てくるのだろう。

 私にとってはたかが他人だが。

 何に付属してきた縁だとしても、一度絶ちきってしまえばそれきりじゃないか。逆に、それきりで切れるものならいちいち結ぶ必要もない。友人なんて数あるだけ邪魔だとさえ思う。

 生きる理由。

 死ぬ理由。

 死んでもいい理由。

 かつて太宰治が記していたらしいが、「夏用の着物を貰ったので、夏までは生きようと思う。」という文言、これは妙に的を得ているなぁと感心する。太宰治にとって、生きるということはそれくらいの価値だったのだ。5度の入水を行った先生に、死に対する恐怖感は無い。あるのは、行き続けることへの恐怖だったのだと思う。

 私はまだ、生きることへの恐怖と、死ぬことへの恐怖の均衡が釣り合っているにすぎない。そんな理由だけど、それくらいが、死ななくてもいい理由になっていると思う。


醜態

2022-04-26 16:04:09 | 日記

 落ちるところまで、落ちる。

 思考の果てにあるものは、いつだって自己否定だけだ。

 何をやっても駄目。

 何しても無駄。

 朝起きられないのは、人間がなってないから。

 偏頭痛を起こすのは、体調管理ができないダメ人間だから。

 些細なミスを起こす原因は、自分が存在しているから。

 暴言を吐かれるのは、舐められているから。

 時に、前世で何らかの罪を起こしたのだろうと思う。生きなければならないのは罰だ。

 私は一体、何の罪を償っている?

 至らない脳ミソを与えられ、頻繁に故障する出来の悪い身体を動かす。

 痛みに耐える。

 羞恥心に耐える。

 怒りに耐える。

 希死念慮に耐える。

 それほどまでの罪を重ねたのか。

 罰であるのなら逃げるわけにもいかない。

 何に対する罰なのかも分からないが、こうしてのうのうと生きているには、こういう理由がお似合いだと思う。

 

 生きる理由より、死ぬ理由の方が数多あるのに、多くの人間が死にたいと思いながら息をしている。

 死ぬことへの恐怖心。

 否、何かを失うことへの恐怖心。

 私の家には多くの物がある。

 未読の書籍、購入したばかりのドール、旅行先で見つけた狐面、御朱印、藁人形、鉱物。

 対物性愛。私は無生物しか愛せない上に、愛した無生物を置き去りに、ひとり逃げることが出来ない。

 自然災害で彼らが壊れでもするなら、私は彼らとともに朽ちたい。それが、私の死の場面なのだろう。

 人間の命は有限だと、自分達ばかり特別扱いする周囲に虫酸が走る。全ての物に命がある。人間も、物も、同一だ。思い出に替えは利かない。しかし、対物性愛とは言うものの、私には性愛が無い。性欲という醜いものがよく判らない。

 瞼の裏が点滅する。

 頭が釘を刺されたように痛む。

 昨日までの醜態を全て思い出す。

 救われたいと強く思う。


エッセイ『独白』八八千景

2022-04-01 21:00:47 | 日記

 

 性的マイノリティと題した枠組みは、自分にとって都合が良い自己表現だった。自身の喪失とともに突如として姿を現し、不要に熟慮させ、時に断行する。
 過去から引用した規定の型に、変容し続ける現代人が収まるはずがない。人間とは日ごとに変化するが、変化に抗う旧人類の行いで、日ごとに、生きづらい社会を生成していく。残念ながら。しかし、社会とはそういう、腐ったものでもある。腐っているから社会と呼ぶ。
 普及したインターネットに守られるように、昨今では様々なことが明るみになる。以前ならば隠し仰せていた社内のハラスメント、問題行動が、一個人の手で世間の目に晒されるようになり、時として途方もない数の世論を敵に回すことにもなる。
 一方で、「いちいちそんなことを気にしてパワハラだなんだと言われても困る。これでは何一つ会話が出来ないではないか」と声も耳にした。これは、忌々しい前職でだ。
 いちいち気にしている、のではない。これまで水面下に隠れていた・隠していた・揉み消されていた弱者の声が、ようやくこの時代になって目に見えるようになっただけである。これで「会話に困る」と宣うのなら、自分は他者を卑下することでしか会話ができない愚かな人間だと公言していると気が付かないのだろうか。
 弱者の声が世論になる。
 便乗するように、様々な「かつて弱者だった者」たちの声も顔を出す。水を得た、魚のように。ここで声を出さなければ、闇に葬られることを知っていたから。
 ハラスメント、暴力、虐待、体罰、虐め。
 様々なものが明るみになり、様々な人が便乗し、そして、様々な人が自己を知る。
 ひとりで抱えていたはずのものに味方が増えた。
 弱者にとって、それは大いなる一歩だった。
 そんなことを考え、それから、自分が弱者側の人間だと知った。

 繰り返す。
 性的マイノリティと題した枠組みは、自分にとって都合が良い自己表現だった。

 過去より、自分と他人との間に圧倒的な境界を欲しがっていた。他人との差があれば良い。少々目立つ名前、少数派の利き手、性別に沿わぬ好み、遊び。
 女の子らしくと言われれば言われるほど、反発した。嬉々として、反発した。普遍的な女児ではありたくないと思っていた。「普通ではない」と思われたかった。それだけだ。そこに、性自認が男だから、女ではないから、などは微塵も含まれない。
 ただ、周囲とは違う存在でありたかった。

 入学と卒業を三度繰り返し、企業への入社等を通して、徐々にその思いは廃れていく。社会というのは「右へ倣え」を好んでいる。逸脱した個人は扱い難いために全て統一される。その過程を「教育」と呼んだ。

 私がもっとも嫌うものだった。

 くだらない社会に辟易していたとき、そんな社会に反発している人間がいた。生きづらさのために声を上げている人々だった。彼らは悩んでいたのだ。性別としての役割を押し付けられることに。肉体からの情報をだけで力量まで判断されることに。
 所詮、肉体は脂肪と水分の詰まった肉袋にすぎない。そんなことは誰だって理解している。理解していると思っていた。しかし、そんなことも理解していないのが、社会だったと知った。
 時代の波に乗り、反発する彼らに羨望を感じた。
 自分たちは奇怪だ(普通ではない)、と豪語しているように私には聞こえた。(しかし普通というのは、右へ倣えの教育が生み出した単なる機械人間のことを指すため、実際には『奇怪な人間』の方が大多数に違いないのだ。)
 ただ、普通では「ありたくない」との思いのために、私も彼らの枠組みに参入することにした。

 なぜ男児の遊びを好んだのかの理由を彼方に追いやり、無駄に、自己の精神に問いかけた。そうであってくれとの願いも込めた。
 枠組みへの参入は何も無駄ばかりではなかった。人間の三大欲求のひとつである性欲への関心が微塵も存在せず、それは「普通ではない」ということ。しかし為になったのはそれだけだ。

 私は彼らになりたかった。
 彼らと同じ精神を持ち合わせたかった。

 それは冒涜だと、今の自分なら理解できる。真剣に悩む彼らの背中に、笑顔で槍を射すようなものだ。口が裂けても羨ましいとは言えない。だが、羨望は止まない。

 奇異を望み、彼らのフリをしたところで、所詮、私は私でしか有り得なかった。
 しかし、かつて所属していた社会で出来た自己表現はこの程度のものだったのだ。アクセサリー禁止、染髪の禁止、揃えられた制服、制限された多くのもの。外見の表現が禁止されているなら、精神の殻だけでも表現していなければ、保たなかった。
 しかしそれも、禁止事項のひとつだった。

 死を覚悟したところで退職した。
 辟易していた。

 退職したことで彼らに対する病的なほどの羨望は止み、新たな自己表現を模索している。
 奇怪なものを好み、普遍的なものを嫌い、許されざる悪しき文化に心を躍らせる。それは、たかが性別ひとつの範疇を越えた、暗く美しい奇異なる精神だ。

 前職で抑圧し続けた精神の果てに、喪失した自己の片割れ。私は今も、片割れを探している。


※一部、性的マイノリティに関して侮蔑的だと感じる文章がある可能性がありますが、私自身に侮蔑の意思はございません。ご容赦ください。


日記『やる気ない』八八千景

2022-03-19 08:36:39 | 日記

 不意に、この世界はゲームなのかもしれないと思った。

 男はさっきから同じことしか言わない。もう話すことないかな、と思って何度も同じゲームキャラクターに突撃するあの感じ。あれがきっとバグりでもしたんだろう。
 残念ながら問題は、バグが起きようが何しようが再起動もリセットもできないということだ。プレイヤーは、バグと遭遇しないように慎重にクエストをこなしていかなければならない。
 プレイヤーは自分自身なのだろうか。
 それとも、自分を動かしている他人の指があるのだろうか。

 そんなことを考えていると、世界が白黒に変わった。

 日替わりのBGMを選択して、家を出る。
 寒い、と感じても実際ただの言語情報で、ゲームに支障が出るものじゃない。感情論はもっとも不要なものだ。そもそも、他人の感情ははじめから設定として組み込まれている。もちろん、自分が感じるものも制作者の意図で設定されている。

 制作者は誰だ?

 そんなことを思ったが、止めた。
 本来なら考える必要もないことだ。多くのゲームキャラクターは自分が作られた存在だと認識していない。
 あたかも、れっきとした人間であるかのように同じ言葉を何度も呟く。

 ゲームにしては何もかもが抽象的すぎるのが一番の問題点かもしれない。一度中断をしてカスタマーに文句のコメントのひとつでも入れたいところだが、それもできない。きっと、クリアしてからじゃないとこちらの意見は聞いてくれない。はっきり言ってクソゲーだ。
 せめてステータス画面くらい表示してほしい。

 ゲームクリアの条件は。

 それはただ一択、【死】でしかない。

 ただ、【死】にはいくつもの種類がある。自死、事故死、自然死、その他諸々。死に方でグッドエンドかバッドエンドか、トゥルーエンドかが決まる。ゲームである以上、バッドエンドは避けたいというのがゲーマーの意地だ。ゲーマーは自分自身ではなく、自分を操るプレイヤーのことを指す。だから自死は選択ができない。

 世界の真理に気づいたところで何かが変わるかと言われても、事実何も変わらないだろう。だって、この思考も制作者の意図するところだからだ


私的小説『無意味』八八千景

2022-02-26 22:37:44 | 日記
 一概に、生きてることが正義で、死ぬことは悪、とは言えない。生きることが辛い人にとっての死は正しく正義であるし、魅惑的なものに見える。死こそ悪、というのは恐らく遺族側の方便で、そこに死体本人の意思は無い。人は寂しいのが嫌で、自分にも周囲の人間にも当然のように明日も来ると錯覚することができる。その錯覚を押し付ける。人間が突然の死を遂げるのとは有り得ないと思っている。生物の死は常識のはずなのに。
 生物が死ぬのは常識なのだ。
 そうやって死を考えた時、当然、死が選択肢に加わる。

 ワンステップ、クリアだね、と目の前の男が言った。
「死こそきみの友人だ。生きているということは、死ぬということなのさ。本当の友に気づけたね」 
 男はそう言って、血糊に塗れた刃物を振った。振り落とされた飛沫が壁に模様を描く。
 そんな男の姿を見て、僕は「だったら」と言葉を返した。
「だったら、どうして人は生きてるんですか。どうせ、死ぬのに」
「一例には、その理由を探すために生きている、なんて言うけどね」
「……詭弁だ」
「そうさ、詭弁だ。それから正確には、生きていること自体に意味なんてないんだ。当然、死ぬことにもね」
 男は、ぐしゃ、ぐしゃと、肉塊に刃物を突刺す。
「誰も教えてくれないだろ、生きる意味なんて。それは誰も知らないからだよ」
 無から有が生まれ、その有がまた無へと還る。結局は原点に戻ることになるのだ。そこに何も意味は無い。掘った穴をまた埋めるだけの作業。
 しかし、大抵の人間はその事実を知らなかったことにする。見て見ぬふりをし、日々の行動にいちいち意味を見出しながら、意味の無い日々を送っている。
 人との交わりも、誰かからの贈り物も、必死に貯めた金も、どうせ最期には綺麗に無くなる。
「生きてても意味無いってことは、死んでも意味無いって、ことなのさ。そもそもきみの生死は心底どうでもいいし、誰の命もどうだっていい。他人の命も同じさ。肉脂の詰まった身体に、なんの意味があるというの。精神なんて、身体が見せる幻覚にしか過ぎないのに」
「ではなぜ、意味が無いと知っていて、生きてるんですか」
「言ってるだろう、死ぬことにも意味は無いからだ。どちらでも同じで、どちらも存在しないものなら、気持ちがいいほうを選ぶんだよ。そうすれば、無意味な日々も少しはマシになる」
 顔を上げた男の全身は、返り血で染まっていた。
 そういえば。
「そういえば、それ、誰なんです?」
 幾度となく執拗に切り刻まれた肉塊を指して、男に訊いた。

「ああ、これね、俺」

 男が前のめりに倒れる。
 ばしゃ、と、飛沫が上がる。

 無に帰した。


ごきげんよう、八八千景です。
時々、生きて活動することに意味は無いんじゃないかと思うことがあります。
全ては本文の通りです。
本日もありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。