身体均整師養成講座、受講生募集中
http://www.kinsei-gakuen.com/
札幌校は締め切り間近っ!
http://www.kinsei.ne.jp/sapporo.html
蒸暑い日が続きます。いかがおすごしでしょうか?
気象の変動は、わたしたちの体調に大きな影響をもたらします。先日、小仏峠から高尾山に登ったのですが、案の定、たくさんのきのこ(担子菌類の子実体)を見つけました(下図)。「きのこ」というのは学術用語ではなく、生物学的な担子菌門というグループに属する生き物で、その生体はとても不思議です。
わたしは、中学生から大学卒業後にかけて、実家でよく椎茸栽培を手伝いました。祖父がはじめた仕事で、雑木林の立木を買って、チェンソーで森を切り開き、1m20cmほどの原木を切り出すことから作業がはじまります。
ついで山のなかに発電機を担ぎ上げて、電動ドリルをつかって原木に一本一本に20~30箇所の穴をあけ、そこに種ごま(椎茸の菌をおがくずで固めたもの)を打ち込んでゆくのです。ひと春に7万~10万個くらいの種ごまを打ち込みますから、なかなかたいへんな作業です。
その後約一年、風通しのよい日陰に原木を積み上げて菌が十分にめぐるのを待ちます。頃あいをみて原木を山から降ろし、杉の木立のなかに立て掛けて組んでおくと、季節季節の気温変動の激しい時などに、一斉に椎茸の子実体が顔を出すのです。
毎年7万~10万個の種ごま打ってゆくと、その季節には方々で大量の椎茸が顔をだします。ちょっとタイミングを逃すとすぐにヘニャへニャの大味なものになってしまうので、早朝から日暮れまで、山を這い回って椎茸の収穫に没頭する毎日がつづきます。そんな季節は、2台あった椎茸の乾燥機が24時間回りっぱなしという日々が続いたものでした。
はじめて手伝った小学生のころは、水だしという手のかかる方法もありました。「水だし」というと紅茶かコーヒーかと思われるかも知れませんが、一昼夜原木を水に浸して、翌日引き上げ木でトントン叩いて回るという、まさしく椎茸の「水だし」なのです。
おもしろいことに、びっくりするようなことがあると、椎茸はきまって一斉に顔をだすのです。「子孫を残さねば」という危機意識によるものらしいのですが、人間にとっては端境期の価格の高い時期をねらえば思わぬ収入になるのです。かなりの重労働ですから、できるだけ細みの原木を選んでおこないます。
コンクリートで拵えたプールに冷たい山水を引き込んで、原木を一昼夜浸し引き上げて木の棒でトントン叩いて回るのですから、いま考えるとほんとうに手間ひまかかる栽培方法でした(いずれ干し椎茸が主流になっておこなわれなくなりました)。
その後、父や母が家庭用に「しめじ」や「なめこ」の栽培をするようになったことも面白い体験でした。自家製の「なめこ」のぬるみの大量なこととねばりの強いことといったら、それはもう市販のものとは比べ物になりませんでした。
不思議なことに、山深い山村でしたが、自生する天然のきのこについての知識を持ち合わせている人はいませんでした。今さらながら、何となく「きのこ」に目が留まるのは、そんな思いもあるのかなと思います。
さて、前回、遠心性収縮の持つ不思議な性質について紹介しました。
そして、わたしたちの日常動作のあらゆる場面で、よく知られている筋肉の生理的属性(「縮んで仕事をする」)に反して、筋肉が「伸ばされながら仕事をしている」ことを紹介しました。
さらに三段跳びのような連続ジャンプの最中、筋肉は最初のひと蹴りを除いて、遠心性収縮のみで身体を宙に放り出してしてしまうことを紹介しました。これはつまり、筋肉が「伸ばされている時しか仕事をしない」という驚くべき事実です。
誤解しないで下さい。これは特別なアスリートにのみあてはまる話ではなく、あらゆる一般の方々の動作にもれなく備わった性質です。ずいぶん風変わりな主張だと受けとめている方もあるかもしれませんが、じつは、このような視点で身体動作を見直すことと、さまざまな物事につながりが生まれてくるのです。たとえば、古来、日本の武道や能、芸事の世界で説かれてきた身体作法は、このような原則をよくわきまえものだったのです。
腰を落とし、重心を安定させ、身体を捻らない。力を抜き、ときに樹木のように、ときに水のように、ときに岩のように、たえずイメージによって身体をコントロールする。このような伝統的な身体作法は、わたしたちがどのように身体を用いればよいのかという点で、じつに多くのことを教えてくれていたのです。
さて、三段跳びでは、なぜ「伸ばされている時しか仕事をしない」筋肉が、あたかも強い収縮力を発揮して力強く地面を蹴ることができるのかという、大きな疑問に突き当たりました。まず、この謎解きをしておくことにしましょう。
じつはここに、身体を考えるうえで重要なポイントが1つ隠されているのです。強い力を生み出す秘密は、筋肉の主体である「筋細胞」ではなく、筋肉を骨格に固定している「腱」の方にあったのです。
人間の下肢の筋群は、一般に筋肉と骨とを結び付ける「腱」の領域が大きくなっています。半膜様筋という筋肉を見てみましょう。この筋肉は太腿の後面にあって、お尻と脛とを結び付けるとても長い筋肉ですが、じつは多くの部分が筋細胞では膜状の「腱」でできています。
なぜ「腱」の部分が多くなっているのか、もちろん確かな理由があります。ヒントは意外なことに、身近な家庭料理のなかにあります。おでんやシチューをつくる時、骨つき肉を長時間煮込むことはありませんか?
長時間過熱処理すると、肉が骨からはがれやくなって、いわゆる「身離れ」がよくなります。これは、筋肉と骨格を結び付けている「腱」の部分が変性して溶け出してしまうからなのですが、この時、煮汁にも変化が起こります。そう、「煮凝り(にこごり)」です。じつは「腱」の主成分はこの「煮凝り(にこごり)」です。「煮凝り(にこごり)」とはなにかといいますと昨今のエステブームで御存じの方も多いと思いますが、コラーゲン繊維です。
ではそのコラーゲン繊維が、運動時にどのような役割をはたしているかといいますと、ゴムのような役割をしているのです。筋肉が引き伸ばされ遠心性(エキセントリック)収縮を起こしている時に、「腱」の方もしっかり弾性エネルギーをたくわえていたという訳です。そして、足が地面から離れようとすると、引き伸ばされたゴムのように一気に縮んで、地面を蹴り出すエネルギーを作り出しているのです。
これで、三段跳びのような連続ジャンプの最中、なぜ求心性(コンセントリック)収縮なしで、強い跳躍力が生み出されるのか、おわかりですね。わたしたちの身体は、重力のエネルギーを「腱」の部分にたくわえ、いわば身体のばねを巧みにあやつって、高い跳躍力を生み出していたのです。
弾性エネルギーの巧みな応用から垣間見えてくるのは、生命がいかに地球の重力を味方につけてきたかという、弛まない格闘の歴史です。
運動という小さな窓をつうじて、生命史の神秘に巡り会う時、常識の枠にとらわれない新鮮な身体感覚にめざめさせられます。わたしたちは、それぞれの身体に宿る生命エネルギーの存在に目覚めることで、未知の自分にめぐりあることもできるのです。次回は、この壮大なテーマにむけて、ささやかな一歩を踏み出してみることにしましょう。
(つづく)
やすらぎ創健堂に戻る。
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蒸暑い日が続きます。いかがおすごしでしょうか?
気象の変動は、わたしたちの体調に大きな影響をもたらします。先日、小仏峠から高尾山に登ったのですが、案の定、たくさんのきのこ(担子菌類の子実体)を見つけました(下図)。「きのこ」というのは学術用語ではなく、生物学的な担子菌門というグループに属する生き物で、その生体はとても不思議です。
わたしは、中学生から大学卒業後にかけて、実家でよく椎茸栽培を手伝いました。祖父がはじめた仕事で、雑木林の立木を買って、チェンソーで森を切り開き、1m20cmほどの原木を切り出すことから作業がはじまります。
ついで山のなかに発電機を担ぎ上げて、電動ドリルをつかって原木に一本一本に20~30箇所の穴をあけ、そこに種ごま(椎茸の菌をおがくずで固めたもの)を打ち込んでゆくのです。ひと春に7万~10万個くらいの種ごまを打ち込みますから、なかなかたいへんな作業です。
その後約一年、風通しのよい日陰に原木を積み上げて菌が十分にめぐるのを待ちます。頃あいをみて原木を山から降ろし、杉の木立のなかに立て掛けて組んでおくと、季節季節の気温変動の激しい時などに、一斉に椎茸の子実体が顔を出すのです。
毎年7万~10万個の種ごま打ってゆくと、その季節には方々で大量の椎茸が顔をだします。ちょっとタイミングを逃すとすぐにヘニャへニャの大味なものになってしまうので、早朝から日暮れまで、山を這い回って椎茸の収穫に没頭する毎日がつづきます。そんな季節は、2台あった椎茸の乾燥機が24時間回りっぱなしという日々が続いたものでした。
はじめて手伝った小学生のころは、水だしという手のかかる方法もありました。「水だし」というと紅茶かコーヒーかと思われるかも知れませんが、一昼夜原木を水に浸して、翌日引き上げ木でトントン叩いて回るという、まさしく椎茸の「水だし」なのです。
おもしろいことに、びっくりするようなことがあると、椎茸はきまって一斉に顔をだすのです。「子孫を残さねば」という危機意識によるものらしいのですが、人間にとっては端境期の価格の高い時期をねらえば思わぬ収入になるのです。かなりの重労働ですから、できるだけ細みの原木を選んでおこないます。
コンクリートで拵えたプールに冷たい山水を引き込んで、原木を一昼夜浸し引き上げて木の棒でトントン叩いて回るのですから、いま考えるとほんとうに手間ひまかかる栽培方法でした(いずれ干し椎茸が主流になっておこなわれなくなりました)。
その後、父や母が家庭用に「しめじ」や「なめこ」の栽培をするようになったことも面白い体験でした。自家製の「なめこ」のぬるみの大量なこととねばりの強いことといったら、それはもう市販のものとは比べ物になりませんでした。
不思議なことに、山深い山村でしたが、自生する天然のきのこについての知識を持ち合わせている人はいませんでした。今さらながら、何となく「きのこ」に目が留まるのは、そんな思いもあるのかなと思います。
さて、前回、遠心性収縮の持つ不思議な性質について紹介しました。
そして、わたしたちの日常動作のあらゆる場面で、よく知られている筋肉の生理的属性(「縮んで仕事をする」)に反して、筋肉が「伸ばされながら仕事をしている」ことを紹介しました。
さらに三段跳びのような連続ジャンプの最中、筋肉は最初のひと蹴りを除いて、遠心性収縮のみで身体を宙に放り出してしてしまうことを紹介しました。これはつまり、筋肉が「伸ばされている時しか仕事をしない」という驚くべき事実です。
誤解しないで下さい。これは特別なアスリートにのみあてはまる話ではなく、あらゆる一般の方々の動作にもれなく備わった性質です。ずいぶん風変わりな主張だと受けとめている方もあるかもしれませんが、じつは、このような視点で身体動作を見直すことと、さまざまな物事につながりが生まれてくるのです。たとえば、古来、日本の武道や能、芸事の世界で説かれてきた身体作法は、このような原則をよくわきまえものだったのです。
腰を落とし、重心を安定させ、身体を捻らない。力を抜き、ときに樹木のように、ときに水のように、ときに岩のように、たえずイメージによって身体をコントロールする。このような伝統的な身体作法は、わたしたちがどのように身体を用いればよいのかという点で、じつに多くのことを教えてくれていたのです。
さて、三段跳びでは、なぜ「伸ばされている時しか仕事をしない」筋肉が、あたかも強い収縮力を発揮して力強く地面を蹴ることができるのかという、大きな疑問に突き当たりました。まず、この謎解きをしておくことにしましょう。
じつはここに、身体を考えるうえで重要なポイントが1つ隠されているのです。強い力を生み出す秘密は、筋肉の主体である「筋細胞」ではなく、筋肉を骨格に固定している「腱」の方にあったのです。
人間の下肢の筋群は、一般に筋肉と骨とを結び付ける「腱」の領域が大きくなっています。半膜様筋という筋肉を見てみましょう。この筋肉は太腿の後面にあって、お尻と脛とを結び付けるとても長い筋肉ですが、じつは多くの部分が筋細胞では膜状の「腱」でできています。
なぜ「腱」の部分が多くなっているのか、もちろん確かな理由があります。ヒントは意外なことに、身近な家庭料理のなかにあります。おでんやシチューをつくる時、骨つき肉を長時間煮込むことはありませんか?
長時間過熱処理すると、肉が骨からはがれやくなって、いわゆる「身離れ」がよくなります。これは、筋肉と骨格を結び付けている「腱」の部分が変性して溶け出してしまうからなのですが、この時、煮汁にも変化が起こります。そう、「煮凝り(にこごり)」です。じつは「腱」の主成分はこの「煮凝り(にこごり)」です。「煮凝り(にこごり)」とはなにかといいますと昨今のエステブームで御存じの方も多いと思いますが、コラーゲン繊維です。
ではそのコラーゲン繊維が、運動時にどのような役割をはたしているかといいますと、ゴムのような役割をしているのです。筋肉が引き伸ばされ遠心性(エキセントリック)収縮を起こしている時に、「腱」の方もしっかり弾性エネルギーをたくわえていたという訳です。そして、足が地面から離れようとすると、引き伸ばされたゴムのように一気に縮んで、地面を蹴り出すエネルギーを作り出しているのです。
これで、三段跳びのような連続ジャンプの最中、なぜ求心性(コンセントリック)収縮なしで、強い跳躍力が生み出されるのか、おわかりですね。わたしたちの身体は、重力のエネルギーを「腱」の部分にたくわえ、いわば身体のばねを巧みにあやつって、高い跳躍力を生み出していたのです。
弾性エネルギーの巧みな応用から垣間見えてくるのは、生命がいかに地球の重力を味方につけてきたかという、弛まない格闘の歴史です。
運動という小さな窓をつうじて、生命史の神秘に巡り会う時、常識の枠にとらわれない新鮮な身体感覚にめざめさせられます。わたしたちは、それぞれの身体に宿る生命エネルギーの存在に目覚めることで、未知の自分にめぐりあることもできるのです。次回は、この壮大なテーマにむけて、ささやかな一歩を踏み出してみることにしましょう。
(つづく)
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