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公衆衛生まで考えた レオナルド

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます。

 ★ミラノの都市計画から、公衆衛生まで考えた レオナルド




 レオナルドはミラノに転身するにあたって、自分を芸術家ではなく(軍事顧問)として売り込もうとしました。

 その提案を見てみると、戦争の戦略家としてのそれではなく、兵器や、戦争に必要な機材などに関するものが多くあります。

 例えば、軽量で強靭なであり持ち運びが可能な橋、敵の城の水を抜くなど城攻めに関すること。

 要塞の破壊方法、戦艦や海戦の方法。




 その他、武器についても述べられています、大きな鎌で敵をなで斬りにする戦車、水蒸気で球を飛ばす大砲。

 轟音、煙と共にたくさんの玉を飛ばす大砲。城が攻められたときに、城壁にかけられた梯子を外側に倒す装置、それでもよじ登ってきた兵士を切り殺す装置。

 あまり実用的ではありませんが、たくさんの兵器も提案しました。それも一つ一つに詳細かつ、美術的な図面が付けられています。

 まったくなんてやつでしょう。




 さらに私が驚いたのは、レオナルドはミラノの都市そのものを川の側に移転させようとする都市計画ならぬ、新都市構想まで提案しています。

 そのころの大きな都市はどこも、インフラの整備がなされておらず、下水道もなく、汚物は2階から直接道路に捨てるという状態でした。ものすごく臭い街だったんでしょうね、想像できますか?

 レオナルドは、ミラノの豊富な水事情に注目して(もともと彼は水には関心を持っていました)運河を開き道に勾配を付けることによって、そういった汚物類を洗い流そうと考えました。




 また、その都市計画には今でいう公衆衛生的な考え方も含まれていました、公衆トイレの設置、し尿の処理などまでを含む壮大な構想でした。

 そのころ、イタリアはペストを含む、伝染病になやまされていました、ペストの発生により、ミラノの人口の3分の一が死んだという記録が残っているほどです。

 もしその時にミラノの政庁が彼の提言に耳を貸していれば、素晴らしい街がこの時代に生まれていたことでしょう。

 この『レオナルド ダ ヴィンチ』の才能をなんと例えればよいのでしょう、発想のすごさは、ミラノの王様の利益だけではなく市民までを含んだ、広範囲な人に対する救済もその視野に入れられていたということです。

 さて、ところが、レオナルドがミラノの王室で評価されたのは全く違う彼の才能だったのです。







 

 

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