★ミラノでの意外な名声 隠された才能を発揮 レオナルド
ミラノ宮殿は『レオナルド ダ ヴィンチ』にいくつかの選択肢を与えました。
その中で彼が成功し、ヨーロッパじゅうにその名前を広げたのは、絵画でもなければ軍事顧問としての力でもありませんでした。
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1490年にミラノ公『ジャン・ガレアッツオ』とナポリの王女『イザベラ・ダラゴナ』の結婚式が『スフォルツェスコ城』で執り行われました。
この結婚にはその当時の複雑な諸国間の思惑と、ナポリ公国内部の事情が複雑に絡んでいました。
ナポリ王の『カラブリア公』はこの結婚にによってミラノ公国の実際的な権力者の『ルドヴィーコ・イル・モロー』の権力を奪って、ミラノ公国を自らの支配下に置こうと考えていました。
というのはミラノ公の『ジャン・ガレアッツオ』は幼少のころ父『フランチェスコ1世・スフォルツァ』をなくし、その後叔父の『ルドヴィーコ・イル・モロー』の庇護のもとに育ちました。
庇護といっても名ばかりで、ルドヴィーコはジャンを贅沢三昧、放蕩三昧に育てました、その意図はお分かりと思いますが、ジャンが全く国を統治するという意欲を持たず、贅沢と酒や女におぼれていれば、自分の思いどうりに国が動かせたからです。
という事情で実際の権力はルードヴィーコが握っていたので、ナポリ王はその間に娘を送り込んで、ルードヴィーコの権力をそごうとしたんですね。
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このような『ぐちゃぐちゃな』国内外の思惑や陰謀が絡んだ結婚の式を『レオナルド ダ ヴィンチ』が引き受けました。
この結婚式はレオナルドだけではなく詩人の『ベルナルド ベツリンチョーネ』と共に企画されました。
ベルナルドが台本を書き、レオナルドが舞台装置、音楽、衣装、音楽、演出をしました。
今まで『モナリザ』、『最後の晩餐』のイメージで眺めていた『レオナルド ダ ヴィンチ』のイメージがだいぶ変わりませんか?私も彼のことを調べ始めるまではそれほど深い興味を持っていなかったのですが、一昨日の鏡文字、昨日の公衆衛生まで含んだ、都市計画や、結婚式や大イベントの演出をするレオナルド、想像していませんでした。
それだけに、『レオナルド ダ ヴィンチ』の人間としての存在感、厚みが少し理解ができるようになってきました。
おもしろいです。