銀窓音番地・跡地

Another Silver Windows 公式(?)ブログ
解散した今にしか出来ないことをバンバンやっていきます。

Kokomo

2010年02月21日 13時52分20秒 | U-ri
一昨日、「平成米騒動」という馬鹿みたいな曲でソロデビューする夢を見たU-riです。
なんか関ジャ○∞が歌ってそうだなと思いました…。



まず報告です。














4個でした。

何がって、あなた一つ下のブログを見て御覧なさいよ。
書いてあるでしょう、「女子から貰う甘いアレ」の数だって。

ほんと去年とはまさに雲泥の差でした。
あとこんなに貰ったこともなかったし。ついに第2のピーク到来です。
もちろん義理ですけどね。全然いいんですよそれで。
義理万歳だチクショーッ!(やっぱり悔しいのか!?)
とにかく、こんな僕のために既製品の甘いアレや、手作りの甘いソレや、
果物を使った甘いコレをくれたことを四人の救世主に感謝します。
(これ以上この話を続けると去年の僕に殺されるのでやめます。)





突然ですが、ちょっとした昔話をします。



前回でも触れた通り、僕の人生”第1”のピークは小学6年生のときでした。
その1年間で、ドラムが「特技」になったし、初恋(不発)もしたし、
「ワンワンセレプー それいけ徹之進」という「とてもイカした」アニメも観ていたし、
とにかく色々やっていました。
そんな時代に、僕は友達と漫画を描いていました。といっても、
1つの作品を複数の少年で作っていたのではなく、
「4人が1つずつ」つまり4つの作品を毎週作り、それをホッチキスで留めて、
週刊誌的なノリでやっていました。(名前は「週刊ジャンボ」)
自分でいうのもなんですが、幼くも僕のシュールな性格の原型が詰まっていて、
今読んでも笑ってしまいます。

最初の何週かは、みんな締め切りの金曜日に漫画を描いた「様々なサイズの紙」を僕に渡してくれました。
でもそのうち、私立の中学に受験する人や、期限を守らない人がいて、なかなか週刊は難しくなってしまい、中学に入ってすぐ「週刊ジャンボ」はわずか15号で終わってしまいました。
そのあとも月刊誌にしたり、隔週にしたりしましたが、最終的にはほとんど僕独りだけになってしまい、今では完全にほったらかしの状態です。
それでも、絵は上達しませんでしたが、ゼロから何かを作るという点において、
現在の作曲のセンスに少しは影響があったんじゃないかとおもうと、
「無駄じゃなかった」と自分に言い聞かせることができます。

で、何が言いたいかというと、音楽のセンスを磨くために、
ASWでおんなじようなことをしたらどうかってことです。
全員が作曲をしないにしても、きっと役に立つはず!!
……。


無理矢理すぎるか…



         「本当はただ漫画が描きたいだけ」U-ri


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3 コメント

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奇跡ってやつは起きますねww (もちたろ)
2010-02-22 22:07:44
俺も奇跡的にアレ三つもらったww

てつのしん俺も見てたぜ。なんかセレブな感じでイカしてたよな!

これからもよろしくね!
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・・・・・・ (ゆっきゅん)
2010-02-23 08:45:53

・・・七ッ

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Unknown (通りすがり)
2010-02-23 17:50:04
↑嘘だろwwww
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