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熊本から気ままに山と自転車のブログ

馬門石石切場跡・牧神社のイチョウ

馬門石石切場跡・牧神社のイチョウ
2022/10/24(月) 曇/晴

今日の最高気温22°曇のち晴れ、湿度70~50%と自転車日和に、午前9時半から一ヶ月ぶりにポタリングに出る。
目的地は、宇土市「馬門石石切場跡」と市指定天然記念物「牧神社のイチョウ」とする。
ルートは、田崎、平木橋、治郎兵衛橋経由で馬門集落を目指す。

往路は田崎市場の中を通過し、熊本西大橋を渡らず白川右岸堤防を西進し、八城橋(写真1参照)を渡る。


平木橋上(写真2参照)から熊本市のランドマーク、円錐形の金峰山を望む。


治郎兵衛橋を渡り国道57を横断し山際の道を南進して、馬門に行く道と少し雰囲気が違う、と思って進んでいると宇土市指定史跡「千体仏」(写真3参照)の前に来た。


千体仏の左側と前には、湧水池(写真4参照)がある。


一旦国道57に引き返し、県道58を左折し、馬門の宇土市指定天然記念物の「歳の神の楠」(写真5参照)に到着する。


ここは大歳神社(写真6参照)の境内、拝殿は楠に向かって建っている。


大歳神社で休息し、牧神社に向かって出発する。馬門石石切場跡、牧神社は、カーブミラーのあるこの三叉路(写真7参照)を右折する。が、暫く来ていなかったのですっかり忘れていて、ここを直進して、またも雰囲気が違うと思い引き返した。


少し坂道を上ると、この標識(写真8参照)がある。


赤石神社(写真9・10参照)はこの石段を上がった丘の上にある。


説明板(写真11参照)には、「地元で「ドイヤマ」と称される。標高約二九メートルの小丘陵上にある当神社は、『肥後国誌』に「年ノ神 山神」と紹介される。
大山祇神は山を守る自然神で、併記される「年ノ神」は大歳神(おおとしのかみ)を祀る大歳神社(馬門神社)を指しているとみられるが、大歳神は穀物を守る神であり両者の性格は明確に異なる。
当神社は、大山祇神という古い神を祀っており、延喜式以前にまで遡る可能性もあるが、少なくとも近世においては馬門石切丁場で働く人夫たちの安全祈願所としての役割を担っていたとみられ、元文三年(1738)年銘の手水舎をはじめ、境内の構造物は石段に至るまですべて馬門石で作られている。」とある


その右側の「馬門石石切場跡」の説明板(写真12参照)には、「今から約九万年前、阿蘇山から噴出した火砕流が冷え固まって出来た阿蘇溶結凝灰岩のうち、網津町馬門付近で産するものを特に「馬門石」と呼ぶ。
馬門石には、灰黒色・灰白色・ベージュ色など様々な色調があるが、なかでもピンク色を帯びたものに特徴があり、江戸時代に造られた轟泉水道の石製樋管をはじめ、眼鏡橋・鳥居・祠・倉庫・石畳・流しなどの石材として盛んに用いられた。
馬門石の利用は古く、古墳時代中期(約1600年前)にまでさかのぼり、古墳の石棺や石室の石材として使用された。宇土半島の周辺では十数ヶ所の古墳で確認されているほか、岡山県(二例)、大阪府(三例)、奈良県(七例)、滋賀県(二例)の有力豪族の石棺に用いられ、四天王寺(大阪市)では礼拝石として使用されるなど、遠隔地にも運ばれていたことが判明している。
赤石神社が鎮座する小丘陵周辺の発掘調査(平成14~17年度)では、五~七世紀代の土師器や須恵器など発見され、この付近で古墳時代の石切場の存在が確認された。」とある。


石段の左側の崖もピンク石が露出(写真13参照)している、石切場の跡と思う。


この石切場跡(写真14参照)は、以前訪れた時は石面が新しかった。大王のひつき実験航海の石棺を切り出した跡と推測する。


先の石切場を後にして、100m程奥に行くと、宇土市指定天然記念物の「牧神社のイチョウ」と牧神社(写真15・16参照)がある。


イチョウの木の傍の説明板「大宅牧跡・宇土牧山跡」(写真17参照)には、「「大宅牧」の起源は、古代律令制時代にまで遡る。『続日本紀』の記述によれば、慶雲四(707)年に宇土郡大宅郷に牧山が開かれ、貞観六(864)年まで続いていたとされるが造営の正確な年代および規模や場所については不明である。また、中世には「千町牧」と称する広大さを誇ったと伝えられるが、正確な実態は判っていない。
現在確認することができる牧(牧場)の遺構は、近世期に営まれたものである。当時は「宇土牧山」と称された。江戸時代中期の「御鷹場・鉄砲傍示」絵図によると、網津・長浜両村の「牧山」を避ける鉄砲傍示の朱線が引いてある。鉄砲傍示の内側(内陸側)が御鷹場であり、傍示の内外一里(約四キロメートル)は鉄砲使用が禁止されている禁漁区、外側が牧山である。
牧山の範囲は網津村で約120町(約120ヘクタール)、長浜村で約80町(約80ヘクタール)、両町あわせて200町(約200ヘクタール)とかなりの規模であった。
細川氏は、牧山の馬数を書き上げさせており、寛永一六(1639)年で55頭、正保四(1647)年で79頭であった。明治維新後は官営とされたが、明治四(1871)年に廃止された。
牧山は、現在は山林となっているが、広い範囲にわたって堀や土塁が残っている。」とある。
現在時刻13時半、帰途に就く。帰路は高橋稲荷神社の前を通る。


16時前に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)29km→馬門牧神社27km →熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6.5時間) 総計56km 走行累計51,065km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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