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熊本から気ままに山と自転車のブログ

下の井川

下の井川
2023/8/15(火)曇

今日は最高気温予想33°真夏日。午前中の帰宅を予定して午前7時からポタリングに出る。今日の目的地は東北方向湧水「下の井川」とする。

往路は、熊鹿ロードを北へ走り、北部町工業団地の所から国道3号へ出て明徳を通り立石の「坪井川の源水点「水口」」(写真1・2参照)に立ち寄る。前回訪れたとき河童の像を見落としたのではないかと寄ってみたが、やっぱりなかった。


立石集落の中に、古墳(写真3参照)を見る。湧水の近くには古墳があるように思う。


立石から北へ走り、次に立ち寄る「小野の泉水」(写真4参照)の近くには横山古墳(現在は県立装飾古墳館の近くに移築)があった。


小野の泉水から高速道路を潜り北へ走り、その次に立ち寄る「池の川水源」(写真5・6参照)の近くには「高熊古墳」がある。


小野川沿いを下り、右折して上生川沿いの道を遡り、上生集落の中で「禁酒記念」の碑(写真7参照)の前を通る。大正五年の銘がある。
因みに「禁酒の碑」「禁酒記念」でWeb検索したところ、建立の趣旨は違うようだが合志市を中心に四基、石川県津幡町に一基あるようだ。


上生川と並行に走る道から斜め右方向に250mほど走って「下の井川」(写真8・9参照)に到着する。


「下の井川」の湧水池(写真10・11参照)は、上記公園の道を挟んで反対側にある。水は澄んでいる。


池の上側に、水神も兼ねているのか観音堂(写真12参照)が鎮座する。


元の道に戻り、上生川と並行する道路を走り県道37に(写真13参照)に出て北へ走る。


南田島で県道37から県道329に左折して、「禁酒記念之碑」(写真14参照)を見る。この辺りの字名は「井戸方」とある。ならば湧水はないかと近所を探索する。側溝に滔々と排水される流れがあった。自噴井戸があるようだ。


北区植木町平井まで帰って来た所で、お寺さんの崖下に「外門組平井戸の跡五月花」と銘する石碑(写真15参照)がある。お札も祀ってあるので、おそらく近所の生活用水としての湧水跡かと推測する。ここを最後にして、熊鹿ロード経由で帰途に就く。


11時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)22km→南田島22km→熊本(自宅)
総所要時間4.5時間(実4時間) 総計44km 走行累計55,597km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:FUSAさんへ コメント有難うございます。
ヨーロッパの二千年前の水道施設が、現在も健在であることには驚きですね。コンクリートのお陰ですね。
日本でも時代は違いますが江戸時代には、通潤橋や宇土の轟水源水道の石管の漏水止めに漆喰使っていますが、石橋には使っていませんね。生産量が少なく貴重品だったのでしょうか。自転車くま
FUSA
それで思い出しましたが、古代ローマには既にコンクリートが使われていたそうですね。もちろん近代のコンクリートとは成分・製法が違うと思いますが、水は欠かせなかったと思いますので巨大建築の傍にはきっと水源があったのでしょうね。
asotakadakedake1592
Re:FUSAさんへ コメント有難うございます。
現在のような水道施設がなかった古代には、集落が形成される原点は水源の有無だったのではないでしょうか。水源があれば集落ができ稲作が普及し、「クニ」が形成されていったと推測します。
「水口」の池も、水道施設が普及していなかった時代を知る人が少なくなった現在においては、その存在の有難さも忘れ去られようとしているのではないでしょうか。
話は飛躍しますが、ローマ帝国の発展も水道橋を架設した上水道の普及によるものと推察します。自転車くま
FUSA
湧水と古墳、なるほど!古墳の建設に水は欠かせなかったのでしょうか。
坪井川の源水点は何度か行きましたが、もっとそれらしい設えは出来ないものでしょうかね(笑)
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