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熊本から気ままに山と自転車のブログ

鉄砲小路・蘇古鶴神社

鉄砲小路・蘇古鶴神社
2020/10/16(金) 曇

天候曇、降水確率40%、最高気温25°夕方から雨模様のようなので、早目の帰宅を心がけて午前10時半からポタリングに出る。
先ずは図書館に寄り本を借り換えて、その先は鉄砲小路の木斛(もっこく)と農業公園のバラの花を目的として走る。

鉄砲小路の生垣案内板(写真1参照)も、2年前の写真では全面見えているが、今回は蔦が絡まっていた。


蘇古鶴神社(写真2参照)に立ち寄る。


町指定文化財の楼門(写真3参照)を見る。


楼門説明板(写真4参照)がある。
「この蘇古鶴神社は「寛永12年(1635)9月、熊本藩主細川忠利公が、熊本から東北方の「鬼門」にあたるところから、また、この地に寺鉄砲の者を仕立てるために、「鬼門」の厄を払い、併せて鉄砲町(地鉄砲)の「守護神」として勧請されたものである。
この神社本殿前に、町内で唯一の楼門がある。楼門は、銅板葺き2層建築である。奥行3.06メートル、間口3.99メートルで、楼門内には門神である「奇岩窓神」「豊岩窓神」の2神を祀る。」とある。


拝殿(写真5参照)


目的の町指定天然記念物の木斛(もっこく・写真6参照)は、鉄砲小路の東端に近い位置にあった。


堀川玄蕃橋から上流方向(写真7参照)を見る。


下流方向(写真8参照)を見る。正しく人口の河川である。
蘇古鶴神社の説明板には、「堀川(瀬田上井手)の起源
集落の北、約50mを流れる「堀川」は、現在の区名のもとともなっています。
上流を瀬田上井手と言い、寛永七年加藤忠弘公によって着工されましたが、加藤氏改易となって中断し、寛永11年(1634)再開、同14年細川氏によって水田化がすすむ一方、沢山の村が誕生しました。」とある。


堀川を後にして、もう一つの目的の農業公園入口(写真9参照)のバラの花に向かう。
「10月9日~10月18日」予定の「秋のバラ祭り」は台風14号の影響で、10月18日と11月7日に変更になっていた。


バラの花(写真10・11・12参照)
コスモスの花も一緒に咲いていて春のバラの花とは、また趣が違って美しい。


ここから自宅まで1時間半。現在時刻13時半帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)23km→堀川玄蕃橋22km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計45km 走行累計35,743km


鉄砲小路・蘇古鶴神社
2018/4/21(土) 晴

21日の最高気温は27°超えの夏日だった。
朝出かける時点では涼しかったが、夏日予報に今一気勢が揚がらず柳川市の「中山のフジ」見物を断念し東方向に走る。
当面の目的地は大津つつじ園として走るも、途中菊陽町鉄砲小路の生垣(写真1参照)を見る。
屋敷前口28m~37mの堂々たる屋敷地が並ぶ。


蘇古鶴神社境内にある由緒書(写真2参照)では、「鉄砲小路について」書いてある。


神社裏側には、堀った土を堤防にしたと思われる堀川(写真10参照)流れている。
加藤忠広公が着手した上井手川と、その延長線を細川忠利公が完成させた堀川で、334haの広大な農地が開拓された。


屋敷地の東端に蘇古鶴神社(写真3参照)が鎮座する。
祭神は、健磐龍命と比咩(ひめ)大神の阿蘇神社の神々である。


菊陽町指定文化財の楼門(写真4参照)がある。説明板では、寛永12年(1635)に細川藩主細川忠利が勧請したとある。


楼門には、「奇岩窓神」「豊岩窓神」という2神を祀ってあるが、こちらの狛犬(写真6・7参照)も魅力がある。


由緒書(写真8参照)では、「蘇古鶴神社について」書いてある。


神殿妻側の彫刻(写真9参照)は、どこの神社も立派で見事である。


鉄砲小路を東進し、菊陽北小学校の先の交差点を左折し堀川を渡った所に「柳水湧水公園」(写真11参照)があった。


「柳水」の地名は久住にもあったので気になっていた。
湧水池(写真12参照)は、涸れている。散歩中の人によると2年前の地震以後涸れてしまったという。
以前は、蓮の花が咲いていたという。
こんな所にも地震の被害がある。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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