熊本から気ままに山と自転車のブログ

外牧神社・瀬田上井手取入れ口・瀬田神社・かぶと岩

外牧神社
2017/10/1(日) 曇

午前中所用を済ませ、午前11時半からポタリングに出る。
久しぶりに東方に走る。
行き先はあわよくば南阿蘇村までと思って家を出たのだが、予定は大幅に後退し大津町瀬田までとなった。
鼻ぐり井手を後にして、県道145瀬田熊本線を東進する。
大津町外牧地区で、県道145の旧道を走る。
と、城砦かとも思える見事な石垣を見る(写真1参照)
築造年代は17世紀後半と思われる。
角石は算木積み、上部は武者返しになっている。熊本城石垣の技術が継承されていると思える。
地震被災はほとんどない。


上がって見ると、外牧(阿蘇一の宮)神社の境内だった(写真2参照)。


神社由緒書(写真3参照)によれば、境目の狐石に鎮座されていたものを現在地に還座されたものとある。
境目地区の先には内牧地区がある。地名からしてこの辺りが阿蘇氏領の境だったろうと推測する。


外牧神社の東側から南郷往還が分岐している(写真4参照)


説明板(写真5参照)では、阿蘇郡布田手永の代官所の屋敷があったという。
南郷往還は、現在は通れないところあるとある。


神社と道を挟んで観音堂(写真6参照)がある。
地震被災で石垣が崩落している。


この観音堂も奉納書(写真7参照)によれば、神社と同時期の創建のようで、堂守を置いて村の管理をさせたとある。
神社と観音堂を置いて、関所のような機能をしていたのではないかと推測する。



瀬田上井手取入れ口・瀬田神社・かぶと岩
外牧地区を後にして、白川を渡り県道207瀬田竜田線に合流する。
左手に井手川が見えた。
堀川の最上流部ではないかと検討をつけ、是非取水口を見てみたいと流れを辿ると、右手に標識(写真1参照)があった。
「堰の吐口の石張り、石積は見事」の詞に期待が膨らむ。


吐口を覗いてみた(写真2参照)が、足元の崖が急峻で危なく、水量が多くて良く見えない。


取り入れ口(写真3参照)の方に廻って見る。
水量調節と洪水時の流木等の流入を防ぐ目的か?石杭が施設してある。


説明板(写真4参照)には、
藩主清正の後を継いだ子忠広が元和4年(1618)から工を起こし、寛永9年(1636)に中断した。
その後細川忠利が工事を再開し細川光尚(1619~1950)の代に坪井川まで完工した。
二度の洪水で施設が壊れたので、文政年間に300m下流に閘門を設けられた。
菊陽町原水以西は「堀川」と呼ばれたとあり、堀川源流であることを確認した。
「清正秘伝の『銚子口』」とあるので、水量調節等の技術的要素も知りたいところではあるが、図解の説明はない。


記念碑と社(写真5参照)があり、現在もこの疎水が大切されていることが分かる。


社の中には、美都波女命(みつはのめのみこと)、波邇夜須命(はにやすのみこと)が祀られている(写真6参照)。
美都波女命は、神生みの終わりに生まれた、火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神という。
波邇夜須命は、大火傷を負って床にふす伊邪那美神の糞から生まれた土の神で、粘土(大地)の神であり、土と関係の深い農業・製陶業・造園業・土木業などの分野では、重要な神という。


上井手取入口閘門を後にして、これから先は急坂になり、立野渓谷に続くが、このルートは2014.11.29に走ったことがあるので今日はここを折り返し点とする。
ここから1km程下った所に瀬田神宮(写真7参照)がある。


戦国期元亀(1570年)の頃、合志氏が阿蘇・大友氏に備え、鎮守として八代宮地村の妙見神社を勧請したいう。祭神は、天御中主神と美都波能売神という(写真8参照)。
戦国期のことだから城砦として築造されたものであろう。


崩落したR57阿蘇大橋から6km程の所だが地震被害はほとんど見られない、見事な石垣である(写真9参照)。
角石は、算木積みで、後の時代に改修で積まれたものか、このような所での実績技法が熊本城築城に採用されたのか興味あるところである。
大部分は野面積みになっているので、全体としては中世の築造技法である。


上井手川の通水には、19年歳月を要して、334haの美田が開かれた。
現在でも、382haの水田を潤しているとある(写真10参照)。


神社の道向うに「かぶと岩」の標識(写真11参照)があった。


標識に従って河川に近づくと、白川の中央に大石(写真12参照)が見える。
この石を堰の一部として利用して、下井手の取水堰としている。


阿蘇地方は、雨の前は東風が吹く。その風に後押しされ、帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→瀬田上井手取入口30km→熊本(自宅) 所要時間6時間(実4.5時間) 総計61km 走行累計22,213km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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