2019/9/4(水) 晴/雨気温32°予想の真夏日に、午前10時半からポタイングに出る。
ルートを結果から記すと、県道31→七本官軍墓地→木葉有栖川宮督戦の地、→木葉官軍本営跡→二俣台地→横平山戦跡→県道113→県道31と周回してきた。
木葉地区を後にして、二俣台地に上がる。
瓜生田官軍砲台跡の標識(写真16参照)がある。詳細は以前の横平山の記事を参照ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ad/c2ca39e7b627eee44a4e4c242f4c82c5.jpg)
官軍本営出張所入り口の標識(写真17参照)を見て次に進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/48/c5e4b08d0c9b3b1f15f08038e9e1f726.jpg)
古閑官軍砲台跡の標識(写真18参照)がある。ここも以前探訪したのでパスする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/82/5889c99308b6b275b8c46f5fa841b671.jpg)
横平山の北の越で、田原坂方面に下るか、横平山を縦走するか迷ったが縦走することにする。
二俣台地戦跡
2018/1/27(土) 晴
風は冷たいが明るい陽射しの青空に誘われて、午後からではあるが玉東町二俣の西南戦争戦跡探訪のポタリングに出た。
横平山、二俣戦跡探訪も三回目となり、「砲台跡」のキーワードから田原坂戦跡地に対応する位置の二俣台地目指す。
JR田原坂駅から木葉川沿いを下り、道なりに台地に上がる。
台地に上ると直ぐ、十字路の角に「二俣古閑官軍砲台跡」(写真1参照)の石碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/bd/4b38d512963734531c327503ade8877d.jpg)
説明板(写真2参照)には、明治10年戦争当時の砲台から撮った田原坂方向の写真が掲示してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b9/72adf53d1f51422575012c93fba781e0.jpg)
私も蜜柑畑の土手に登って写真を撮ってみた(写真3参照)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/32/fdc4bf6ed723006b4e2adb669dd1174e.jpg)
田原坂公園の「戦争資料館」と思って撮った写真だが方向が少し違うようでもある。
が、木葉川の谷を挟んだ七本台地方向に間違いはない。
次に訪ねた所は、「官軍本営出張所跡」(写真4参照)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/92/5b095904b1a8ed74e025a6be3e39de0b.jpg)
使われていない建設資材置き場の隅に「官軍本営出張所跡」の石碑がある。
北に少し走り、「官軍砲陣地跡入口」の標柱(写真5参照)を見て右折する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/06/7d56f5b894cd1faf00f6d807ab960acf.jpg)
300mほど東に行った所に「二俣瓜生田官軍砲台跡」(写真6参照)の石碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/52/85bd6c121bba1d94ec7f08f5a3e528d7.jpg)
説明板(写真7参照)には古閑砲台跡と同じく、明治10年戦争当時の砲台から撮った田原坂方向の写真が掲示してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2e/f9844809f939ea8f9f99c853b8d2c415.jpg)
私も同じ方向と思える写真を撮ってみた(写真8参照)。
こちらは、田原坂公園の「慰霊塔」と「戦争資料館」がはっきり撮れた。
この位置から大砲の砲弾を撃ち込まれては、薩軍の劣勢は否めないだろうと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/ae/02a75e27838e788eaec6825e8f9d2f67.jpg)
砲台跡から東の木葉川方向に坂を下り、県道31を南へ走り帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)16km→玉東町二俣15km→熊本(自宅)
所要時間3時間(実3時間) 総計31km 走行累計23,215km