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熊本から気ままに山と自転車のブログ

玉名市裏川花しょうぶ・とくとく神社・綿住宮巡礼

玉名市裏川花しょうぶ・とくとく神社・綿住宮巡礼
2024/5/20(月)晴

最高気温29°晴れてはいるが薄く曇が広がる日になった。陽射しが強くない分自転車には好都合と、午前9時前からポタリングに出る。
目的地は、先日の玉名市裏川の花しょうぶを見て、岱明町のとくとく神社と横島町の綿住宮を巡礼することとする。

熊鹿ロードを北へ走り、県道31から国道208を走り、木葉川・菊池川堤防道路を走り、高瀬大橋で菊池川を渡り、裏川の花しょうぶ(写真1・2・3・4参照)を観る。丁度見頃の様で見物客も多い。


裏川を後にして、県道112から国道501と麦秋の畑(写真5参照)の中を走る。コンバインも動いていて収穫の真っ最中の様だ。


国道501から左折して長洲町と玉名市の境を流れる行末川の河口の近く、岱明町下沖洲に「とくとく神社」(写真6参照)は鎮座する。
私も俗人、名称からして「ご利益」がありそうなので来てみた。鳥居扁額は「〇徳神社」とあった。「徳」は想定していたが一字目が読めない。小字名なのかとも推測するが詳細は分からない。


神社直ぐ横は漁港、行末川河口の向うには雲仙普賢岳(写真7・8参照)が見える。


とくとく神社を後にして、国道501を東南方向に走り「棉住宮」(写真9・10参照)を拝する。
横島町まちづくり委員会の「八番開綿住宮」説明板には、「八番開(ひらき)は安政四年(1857)八月に細川藩家老有吉立愛(たつちか)によって築造された。その面積は五十六町歩である。
八番綿住(わたすみ)神社は、その翌年安政五年(1858)三月に新地の守り神として、有吉頼母によって奉祀された。祭神は大綿津見(わたつみ)神である。
当時の神殿は石垣の上に石祠(せきし)がおかれていた。拝殿は、藁葺(わらぶき)で六畳位の広さであり、場所は北塘添の中央にあった。
その後、八番綿住神社を横島有吉領(一番開~十番開)の総氏神とする為に新築移転する事になり、明治十三年(1880)三月にこの地に建設された。
壮麗を極めた神殿は、粟之尾島崎神社の一年六ヵ月後に造営された。
御神体は二柱でいずれも大綿津見神である。一体は、古十番開(豊明村と言って今の十番開、明豊開、大豊開)の鎮護の神として祀られていた。文久三年(1863)高潮によって豊明村が消滅した後、八番の沖(島浦国重宅付近)に祀られていたが、明治四十三(1910)頃八番神社に合祀された。
大正九年には綿津見宮創建六十年紀祭が実施された。宮の前に芝居小屋が建ち何日も芝居の興行があり大変な賑わいだったそうである。古老の話ではこの時初めて上空に飛行機を見たそうである。」とある。ここを折り返し点として帰途に就く。


帰路は、加藤清正が菊池川の流路を変えるために築いた石塘を見て、石塘橋(写真11・12参照)を渡り伊倉を経由して帰路を急ぐ。


16時過ぎに帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→とくとく神社40km→熊本(自宅)
総所要時間7.5時間(実6.5時間) 総計75km 走行累計59,187km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:romajin-daさんへ こんにちは、コメント有難うございます。
玉名裏川の花しょうぶは丁度見頃です。今日はTVのローカルニュースで取り上げていました。
友の逝去は無念ですね。ご冥福をお祈りいたします。
私も自転車の走行距離が年齢とともに減って来ました。その分を「歩き」で補おうと思っています。
ブログ名称変更もいいと思います。私は未練がましく(笑)「山」を冠していますが、名前に偽りがないのが一番かと思います。自転車くま
romajin-da
こんにちは、花しょうぶが見頃ですね。
自転車友の一人が急病で無くなり、今後自転車に乗る機会は減ると思います。その分、写真散歩が趣味になりそうです。
ブログの名前も「サイクルG3の日記」から、「写真散歩と時々自転車」に変えました。
リンクアドレスは以前と同じなので、今後ともよろしくお願いいたします。
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