熊本から気ままに山と自転車のブログ

菱形八幡宮

菱形八幡宮
2017/12/31(日) 晴

今日は大晦日、午前雨だったが午後から晴れた。
自転車なんぞ乗って・・・と非難の方もあるだろうとは想像できるが、年明け後の日程等を考慮すればこの時間しかないと玉東町横平山公園までポタリングに出る。
所在位置を地図で確認して出かけたが、地図上では高低差が分からないので菱形八幡宮経由で行く。
菱形八幡宮(写真1参照)は昨年の8/26以来のとなるが、地震被災後の鳥居が修復されていた。
倒壊した社殿、拝殿は綺麗に撤去されていて、ご神木の杉の大きさが際立つ。


大きく開いていた磐座(写真2・3参照)が、建物がないのでより大きく見える。
太郎迫神社・立福寺神社にも共通するのだが、石清水が湧出する様は神の存在そのものと感じるのは、古代の人も同じだったか。






菱形八幡宮
2016/8/30(火) 晴

今日の気象庁観測値は16時27.7度。涼しいので昨日に続き、夕方16時から3時間限定のポタリングに出る。
目的地は先日から気になっている川東大巳貴(おほなむち)神社と菱形八幡宮。
熊鹿ロードを北へ走る。この一週間で稲穂が出て、若干だが頭を垂れつつある。日一日と自然は秋に向っている。
川東大巳貴神社を後にして,庄地区に下る。
西回り高規格道路の長大橋(写真1参照)は、ほぼ完成しているようだ。
ガードレールの工事が進みつつある。


県道31を北に走り、菱形八幡宮に向かう。
木の葉川沿いに県道113を西に少し進むと正面に円台寺磨崖仏があるが、今日はスルーする。
すると、磨崖仏に続く崖が崩落している。
地震災害か、降雨災害かと思いながら菱形八幡宮に着く。
石が転がっているのでもしやと思い見上げると、鳥居がない(写真2参照)。


神殿、拝殿は倒壊している(写真3参照)


さて、今日は、由緒書を確認するのが目的でした。
肥後国誌、及び「人皇正統記」の記述に間違いがなければ、全国の八幡宮発祥の地はここ菱形の池という事になる。
Wikipediaでは飯塚市の大分八幡宮を元宮としているが、さてどちらが元宮か、解明されることを期待したい。
菱形八幡宮の場所:(マップファン地図)

帰りも和泉町、貢町の台地に上がり、西浦荒神社を経由して帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅13km→菱形八幡宮13km→熊本(自宅)
所要時間2.5時間(実2.5時間) 総計26km 走行累計17,914km


菱形八幡宮
2015/1/23(金) 晴

今日は晴天、午後も夕刻に近い15時半自宅出発、往復2時間限定のポタリングで植木町菱形八幡宮を目的地とする。
1/12ブログ「千田聖母八幡宮408年勧請」からの連想で、八幡宮発祥の地という菱形八幡宮の由緒書(写真1参照)にその詳細がないか確認しに行く。
八幡さまの総本宮は、宇佐神宮725年(神亀2年)創建。福岡県飯塚市の大分八幡宮が本宮という。
ここ菱形八幡宮の由緒書によると、八幡神は「人皇正統記」に「誉ぬたの八幡丸と給う」=誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇:HPオノコロ共和国参照)とあることと、肥後国史の記述「初めて宮柱を作り、肥後に迎え、宇佐に奉る・・・」を根拠にしているようだ。
インターネットを検索してみたが、神代の昔の話であり、はっきりとしたことは分からない。


社の裏に自然洞窟(写真2参照)があり、なかに湧水がある。この湧水がこの地の初期の神さまであったであろうと思う。
古代史について、私の知識と理解力ではその全容を把握することはできないと思うが、あの話とこの話が違和感なく繋がったときは爽快である。


ここから県道113を西に7kmほどの所に平安時代の「西原製鉄所跡」がある。
次に訪ねたい所は「西原製鉄所跡」、「駄の原釜石古墳跡」、「千田聖母八幡宮」。
どう繋がるか、何と繋がるか。日差しも春めいてきた。また自転車に跨って駆けてみたいと思う。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)13km→「菱形八幡宮」13km→熊本(自宅)所要時間2時間(実2時間) 総計26km 走行累計9,565km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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