
インドの「創業一族」の御曹司、ラーフル・ガンディー(42)が、首相のポストに関心はないと発言し、また後継問題が話題になっている。
昨日のワシントン・ポストがこんな記事を掲載した。
曰く、ラーフルは議会内で議員や記者に囲まれてこう語った。
「私に首相になりたいかどうか尋ねるのは、不適当な質問だ」「首相の座席は私にとって優先事項ではない。私は長期的な政治に信念を抱いている」
この記事によると、「ネール・ガンディー王朝」に忠実な国民会議派の面々の間では、ウッタラカンド州のヴィジャイ・バフグナ州首相のように、ラーフルの首相就任を要望する声がある。
ところが、ラーフル自身、こうした期待に正面から答えず、党の硬直化した体質の改革を求める発言を強めている。1月には国民会議派の副総裁に昇格したが、その際の演説ではこう語っている。
「国民会議派の頑迷なエリート主義をぶち壊す必要がある。」
http://www.washingtonpost.com/world/indias-rahul-gandhi-promises-to-change-old-ways-of-elitist-politics/2013/01/20/259038f6-630b-11e2-889b-f23c246aa446_story.html
「政治行政において、国民はもっと発言したい。閉ざされた扉の向こうで一部の人が不透明なやり方で国民の生活を決めてはならないと国民は考えている」「古い政治をうまく運営することではなく、完全に変革することである」
とも指摘し、開かれた国民参加型の政治を提唱した。
党の古い体質を変えようという威勢の良い発言を聞くと、「自民党をぶっ壊す」と言った小泉純一郎を思い出す。インド政界は平均年齢60歳ともいわれ、老害が目立つ。その中央にいる国民会議派の改革は、都市の新興中間層からすれば、大歓迎だろう。
だが、果たしてラーフルは、こうした主張を少しでも実行し、実績をもって示してきたのか。そこが小泉純一郎とは違うところだ。
ラーフルとは何度か、直接やりとりした経験がある。12億人のトップが務まる器なのか、どうか、だいたい見当はつく。老かいなインド政界を率いて行くには、まだまだナイーブだ。
1月の演説では、母ソニア・ガンディー国民会議派総裁が自分の部屋に来て、「多くの人が権力という害毒を求めて争っている」と嘆き、ともに涙を流したことを明かしていた。
何とも純粋な母子の姿であるが、貧困者がまだ3割もいるこの国で、国外銀行口座に巨額の預金を貯め込んでいる母子の対話かと思うと、白けてしまう。
インドのツイッターでは、未だに母離れが出来ないラーフルの青さを冷笑する言葉が飛び交っている。
こうした状況は、同情を通り越して気の毒でならない。ラーフルの責任だけでなく、ネール・ガンディー家の存在自体がインド政治を小さくさせており、ダイナミズムを奪っている。それが残念だ。
これは側近や政界、そしてメディアの責任が非常に大きい。ネール・ガンディー王朝の後継問題にインド政治の話題を収斂させていては悪循環だ。会議派にはメディア戦略を立てるブレーンが必要だが、その任に足る人材がなかなかいないようだ。
この硬直した党内構図によって、国民会議派から次世代リーダーが育たないし、有力な若手が離れていく原因にもなっている。
最大野党であるインド人民党(BJP)の若手政治家のひとりは、「ガンディー家の存在があるから、会議派ではトップになれない」と、人民党に入った理由を語っていた。
会議派の立て直しは容易ではないが、来年の総選挙にかけてのインド内政で、最大の注目点だ。
ぜひ、またお願いします。
僕も頑張ります。