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アジア曼荼羅

アジア、ASIA、亜細亜…最前線のニュースから歴史、文化までアジア報道ひと筋のジャーナリストが多彩な話題を提供します。

《調査リポート》安倍政権に寄せるインドの期待と警戒心

2013-01-26 01:17:33 | インド

東京財団ユーラシア情報ネットワークに1月は、「安倍政権に寄せるインドの期待と警戒心」をエントリーしました。

http://www.tkfd.or.jp/eurasia/india/report.php?id=385

安倍首相は、「インド外交は私のライフワーク」というほど自他ともに認める「インド通」。

その再登板に対し、インドでは歓迎の声とともに、右傾化路線への懸念も浮上しています。

安倍首相が辞任直前に行った前回の訪印(2007年)は現地で取材していたので、そのときの印象も盛り込んでみました。

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安倍政権に寄せるインドの期待と警戒心

                                                  更新日:2013/01/24

 自民党の政権復帰と安倍晋三首相の再登板について、インドでは好意的な反応が多い。安倍首相は、1年おきに交替してきた歴代首相6人の中では独自の「親印派」として知られ、2007年の訪印で強い印象を残した。インドからは日本経済の再生に、強い期待が寄せられている。その一方、安倍首相の対中政策や憲法改正などの路線には警戒心も現れている。

「親印派」再登板を歓迎

 昨年末、安倍首相の就任が決まると、マンモハン・シン首相は「印日間の戦略的グローバル・パートナーシップの一番の設計者だ」とエールを贈った(*1)。インド主要紙も相次ぎ、社説などで分析と論評を掲載した。 
 ヒンドゥスタン・タイムズ紙は「サクラの花を咲かせるときだ」と題する社説を掲載(*2)。「今、日本が世界第三の経済大国だと信じる人はほとんどいない。1991年以降、景気後退と停滞を繰り返してきたからだ。アベは軍事力を重視するナショナリストとして有名である。しかし、中国と向き合っても経済の回復がなければ空虚でしかない」と、経済の立て直しが急務だと指摘した。
 そのうえで「日本の再生は大歓迎だ。それは地域における中国の突出ぶりを相殺するのに役立つ。インドはアジアの多極化に利益があり、日本は消えて欲しくないひとつの極である」とした。中国にGDPで追い抜かれた日本経済の活性化こそ、安倍政権の課題であり、ひいては中国の覇権拡大を防ぐことにつながるとの主張である。

 インドのメディアが概ね安倍首相を歓迎するのは、「親印派」としての評価に基づいている。
 日本の首相としてインドで記憶されているのは、1957年に戦後日本の首相として初訪印した岸信介、1984年の訪印時にインド国会で演説した中曽根康弘、そして2000年に訪印し、核実験後のインドとの関係を改善した森喜朗各氏だろう。安倍首相はこれらに次いで、しかも岸の孫という血筋でも知られる。訪印の翌月に辞任し、期待はずれに終わったことも忘れられない理由である。

訪印で「価値観外交」実現

 
 安倍首相自身、「私にとってインド外交はライフワーク」というほど思い入れは深い(*3)。前回の在任中、2007年8月のインド訪問では、御手洗冨士夫・経団連会長(当時)ら財界幹部やビジネスマン約200人と主要大学10校の学長らが同行。経済、安保、教育など幅広い交流を促進したこの訪問には、3つの特徴があった。
� 「共通の価値観」を重視した「戦略的グローバル・パートナーシップ」推進
民主主義、開かれた社会、人権、法の支配、市場経済といった普遍的価値を共有する国との連携を強める「価値観外交」に基づき、前年末の首脳会談での合意事項をさらに進めた。防衛省、海上保安庁幹部らの交流など安全保障協力の強化に合意した。
� 日本の「印パ切り離し」外交の実現
インドとパキスタンを同等にワンセットで扱い、印パを同時に訪問していた首脳外交のあり方を見直し、初めてインドだけを訪問。新興大国としてインドの優位性を明確に認めた。
� 首相として初訪問したコルカタで日本ゆかりの人物を表敬
東京裁判で戦争責任を問われた日本に同情的な考えを示したパル判事の長男や、日本軍の支援を受けたインド独立運動の指導者、チャンドラ・ボースの親族や記念館を表敬した。

 これらはいずれも、安倍首相の個性が色濃く反映した。「価値観外交」は、安倍、麻生両首相が堅持したもので、自由と民主主義など価値観を共有する国々との関係を重視し、ユーラシア一帯に「自由と繁栄の弧」の実現を掲げた。だが、「あからさまな中国包囲網」「イスラム圏は除外するのか」との批判や疑問視する声がインドにも出ていた。
 また、パル判事やボースの親族訪問は、「戦後レジームからの脱却」を求める安倍首相の思想を象徴するものだった。当時、安倍首相は対中配慮から靖国神社参拝ができないまま、就任から1年近くたっていた。このため、連合軍主導の歴史観に異を唱えた親日派インド人の親族を訪ね、靖国参拝とは異なる形で自分の思いを通そうとしたと考えられる。

右傾化路線に警戒心も

 このようなインド外交を進めた安倍首相の復帰に、インドでも右寄りの論調をとるパイオニア紙は「旧友の新たな出発」と題した社説で、歓迎を表明した(*4)。「アベは現代アジアにおける最大の親印派指導者のひとり。米国のオバマ政権が『アジア・ピボット』と言い出す何年も前から先駆け、インド洋・太平洋の安全保障の潜在的課題に注目してきた」と評価した。そのうえで「アベは強硬な対中姿勢をとり、中国に投資している日本企業を心配させているが、インドとしては中国の好戦性を封じ込めるうえで歓迎だ」とした。
 対照的に、慎重な論調を示したのは、高級紙のヒンドゥーである。「ジャパン・ピボット」と題する社説で、安倍政権が中国との対決姿勢を強めると同時に「戦後の平和主義を放棄し、憲法を改正して軍事力に大きな役割を与えることを示唆している」と指摘(*5)。「インド政府は日本を価値あるパートナーとして緊密な連携を進めているが、アジアを分裂させかねない戦略イニシャティブで二国間関係を方向づける日本の新たな試みには用心する必要がある」と述べた。
 核兵器を保有し、中国、パキスタンと対峙するインドでは、メディアも核抑止力重視のリアルな政治感覚を有している。だが、中国にかかわる事柄については強硬派、慎重派で見解が分かれるところだ。
 ヒマラヤ山脈をはさんで隣接する中国とは、1962年に国境紛争を戦って敗北したことが長年のトラウマになっている。核開発でも先を越され、軍事力で中国の後塵を拝してきたインドにとって中国に対する劣等意識は根深い。日米安保条約で守られている日本よりも、インドにおける中国脅威論はずっと切実なものがある。

どうなる?「日米豪印」連携

 今後、安倍首相は念願としてきた日米とインド、そしてオーストラリアを加えた4カ国連携の安全保障協力の具体化を図りたいところだろう。首相は昨年末のインタビューでこう語っている。
 「日中関係や日韓関係にある困難な課題に取り組んでいく上でも、アジアにおいて豪州やインドなど日本と価値観を共有し、安全保障上の協力を約束している国々との信頼関係を確認しあうことによって新たな展開をしていくことができる。インドとの間で、戦略的グローバル・パートナーシップという関係を構築していくことで一致したが、その際、一丁目一番地に安全保障上の協力を掲げた。その延長線上で、今年、インド海軍と海上自衛隊の共同訓練を行った。それを日米印、さらに日米豪に発展させていくことは、地域の安定に資する。いわばパワーバランスを回復させていくことが大切だ」(*6)
ところが、これに対し、インドは慎重な態度を堅持している。安倍首相とも接触があるインド関係者は、「対中牽制のつもりでいても、中国を挑発して対外強硬路線に駆り立ててしまう可能性がある。対話だけならまだしも、米国と軍事同盟を結ぶ日本、豪州と同じ枠組みに入ることは難しい」と語る。
 この日米豪印の構想には、米国も慎重な姿勢を示していた。2007年当時、ライス国務長官が安倍政権の小池百合子防衛相との会談で「中国に対して予期しないシグナルを送る可能性もある。慎重に進める必要がある」と述べ、否定的な見解を述べた。小池氏が「日米と豪印の連携が進めばさらに安全保障が強化される」と説明したのに対し、ライス氏は「インドとは当面、個別の具体的協力を進める中で関係づくりをすることが適切だ」と述べ、2カ国間関係の強化にとどめる考えを示したと報じられた。
 その後、日米印の3カ国間については、2011年末から非公式対話の枠組みが発足。2012年11月まで3回の対話があり、ミャンマー支援の連携や海洋をめぐる協力の協議がなされている。だが、海洋協力では津波など災害時の救援協力などの話にとどまっているようだ。
 非同盟と核保有で独自の安全保障と外交を掲げるインド。価値観は必ずしも日本と共通ではない。お仕着せの「価値観外交」で対中牽制の陣営に引き込もうと思っても、不協和音が生じるばかりだ。二国間対話を基礎に、じっくりと本音の意見交換を重ねていくべきだろう。

(*1) 2012年12月27日, Times of India, “Manmohan congratulates Japan's new PM Shinzo Abe”
http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2012-12-27/india/36021179_1_shinzo-abe-india-and-japan-congratulates
(*2) 2012年12月18日付Hindustan Times,“It’s cherry blossom time”, http://www.hindustantimes.com/News-Feed/Editorials/It-s-cherry-blossom-time/Article1-974687.aspx
(*3) 2011年10月19日付「連載・安倍晋三の突破する政治…インド首相が明かした中国の脅威」
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111019/plt1110191556004-n1.htm
(*4) 2012年12月20日付 The Pioneer, “Old friend, New beginning”
http://www.dailypioneer.com/columnists/item/53049-old-friend-new-beginning.html
(*5) 2012年12月20日付 The Hindu, “The Japan Pivot”
http://www.thehindu.com/opinion/editorial/the-japan-pivot/article4218426.ece 
(*6) 2012年12月29日付 読売新聞「日米豪印で安保協力」
(*7) 2007年8月10日付 朝日新聞「日米豪印対話、ライス米国務長官『慎重に』」


《調査リポート》オバマ政権2期目の米印関係を考える

2012-12-26 01:22:16 | インド

定期的に書かせていただいている東京財団ユーラシア情報ネットワーク。

「オバマ政権2期目の米印関係を考える」をアップロードしました。


http://www.tkfd.or.jp/eurasia/india/report.php?id=380


米国では前回の大統領選挙ほどの「インド・フィーバー」は影を潜めてしまった。

とは言え、中国台頭と世界の構造変化の中で、インドの存在意義は引き続き大きい。

今年、最後の原稿です。

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オバマ政権2期目の米印関係を考える

                                                 更新日:2012/12/26

 米国のオバマ政権が2期目を迎え、インドとの関係も新段階に入る。
 ブッシュ前政権が米印原子力協定の締結など、がむしゃらにインド重視を押し進めたのに比べ、オバマ政権1期目の米印関係は停滞が目立った。その原因の多くは、マンモハン・シン政権の経済改革の遅れなどインド側にある。冷戦時代に根強かった米国に対する反発や懐疑心なども引きずっている。オバマ政権は1期目で、そんな「変わらないインド」にじれったい思いを噛み締めた。
 しかし、中国が一段と台頭する情勢のなか、その対抗勢力と目されるインドへの米国の期待感はさらに強まっている。インドがこうした追い風に十分応えられるか、今後の米印関係の焦点になる。

 再選が決まったオバマ大統領は11月20日、東アジア首脳会議(EAS)出席のために訪問したカンボジアで、シン首相と顔を合わせた。再選を祝福するシン首相に対し、大統領は「インドは私の構想の中で大きな位置を占めている」と述べた。(*1) アジアに軸足(ピボット)を移すというオバマ政権のグローバル戦略の中で、インドが政治的にも、経済的にも重要なのは言うまでもない。
 また、約300万人の在米インド系住民の存在も大きい。経済力としても、票田としても影響力を増しており、米政権としては彼らの母国インドを重視する必要がある。にもかかわらず、両国関係はこの3年ほどの間、足踏みしてきた。

追い風の中の停滞
 冷戦崩壊から20年余の歴史を振り返ってみよう。インドは冷戦下、非同盟主義の外交をとりながらも東側陣営に近く、米国とは疎遠だったが、1991年、経済改革に舵をきった。1998年のインド核実験で米印の関係改善は難航したものの、ビル・クリントン大統領が2000年に訪印。新興市場としても、IT産業の人材パワー供給国としても、インドの重要性を公に認める形になった。
 インド重視をさらに進めたのが、2001年に発足したブッシュ政権だった。2004年に「戦略的パートナーシップの次のステップ(NSSP)」をインドと結び、ハイテクや宇宙開発などの協力に合意。さらにブッシュ政権2期目の2005年、米印原子力協力に基本合意した。核不拡散条約(NPT)の非加盟国であるインドを特別扱いし、国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れを条件に、民生用原発の技術、設備、核燃料の提供を進める体制を2008年に構築した。こうして原発設備などの電力開発、軍需などの大市場として夢を膨らませていった。
 ところが、その後、米印間に難題が生じた。
 ひとつは、2010年にインドが制定した「原子力賠償法」。これは、原子力発電所の事故が起きた場合、その賠償責任を運営者だけでなく、設備メーカーに対しても求めるもので、世界でも異例の原子力賠償法だ。「このままではインドの原発建設に米企業は進出できない」と米政府は反発し、賠償法改正を強く求めているが、実現していない。米国務省幹部に聞くと、「建物で火事が起きた場合で言えば、煙探知機のメーカーにまで大きな責任を押し付けるようなものだ」と、不愉快な表情で問題を指摘した。
 インドでは1984年に米企業ユニオン・カーバイドの化学工場の爆発事故(ボパール事件)が発生。2万人前後が死亡したが、十分な損害賠償がされないまま、米国人トップが国外に逃亡した。その苦い記憶は消えず、米国に対する懐疑心として根強く残り、原子力賠償法に反映されたのである。
 2つ目の難題は、2011年にインド国防省が実施した多目的戦闘機(MRCA)の国際調達。米企業がフランス企業に敗れ去った。これは制空、対地攻撃、要撃、偵察などを行う戦闘機。米国は過去、パキスタンに対する軍事支援が多く、インドの拡大する軍需を狙ったが、期待はずれに終わった。
 3つ目は、米国が期待したインド小売り市場の自由化。シン首相の指導力不足と閣内の足並みの乱れ、議会内の対立のせいで、調整がずれ込み、今年9月にようやく政策決定にこぎつけた。
 
インドの変化を待つ「我慢」が必要

 こうした難題が重なり、ワシントンでは、以前の「インド・フィーバー」の熱が冷め、大統領選挙ではインドへの言及はほとんどなかった。前回の2008年は、民主、共和両党の予備選の段階から、オバマ、ヒラリー・クリントン、マケイン、ジュリアーニら主な候補者がこぞって、インドとの関係強化を訴えていたのと大きな違いだった。
 だが、この点を国務省幹部に聞くと、「大統領選挙でインドに言及しなくなったとしても、軽視しているわけでない。日本だって言及はされなくても、重要さは変わらない」と反論した。確かに、米議会でインドの「特別扱い」について大論争をしたブッシュ前政権時代に比べ、「自然体」になってきたのかも知れない。
 米国のインド外交関係者は今、さほど派手な成果はなくとも、じっとこらえながら地道な関係構築を進めようとしている。
 11月下旬、ワシントンで前駐インド米国大使のティム・ロウマーに会う機会があった。大使在任中、多目的戦闘機の受注で失敗し、苦々しく思っているはずだが、ロウマーは「過去数年、インドとの間ではヘリコプターなどの武器取引で80億$の成約を達成した。かつてはロシアとばかり武器の取引をしていた国との間でこれだけ受注したことは、米国の軍需産業の雇用に大きな効果がある。冷戦後20数年の米印関係の改善は目覚ましい」と語った。
 確かに、米印間では一般品目の貿易総額を見ても、今年は600億$に達する勢いで、10年前の4倍、20年前の10倍以上の伸びである。米中貿易(2011年5032億$)に比べれば小さいが、かなりの拡大ぶりではある。
 前国務長官のコンドリーザ・ライスは講演の中で、こう語っていた。
 「インドは、米国が投資をしていくべきブラジルやトルコなど数カ国のひとつ。確かに簡単な国ではない。非同盟主義の国として長い歴史があるから、一夜にして変わるという国ではない。しかし、私たちは、世界でも最も多民族の民主主義国と関係を持続させていくべきだろう。今は、我慢が必要な時だ」。(*2) 米国のインド外交関係者の間で共通する考え方だろう。 
インド洋協力が大きな課題に  
 冷戦後の米政権を見ると、クリントン、ブッシュ政権ともに2期目になってからインドに対する外交政策を深化させた。米国にとって中東問題などに比べ、対印関係は緊急性が低いが、米国のグローバル戦略の基盤強化に重要性を増している。
 2期目のオバマ政権にとって、課題となるのは、インド洋における地域協力や、2014年以降の米軍撤退が予定されるアフガニスタンにおける連携強化などである。
 米政権が2010年に発表したQDR(4年ごとの国防見直し報告)では、インド洋重視を改めて打ち出していた。物流ルートとしても、エネルギー安保の観点からも、インド洋での航行の自由を確保することが重要で、そのためにも海軍力を増強しているインドとの連携を提唱した。
 その一方、米国はインドを中心とする多国間協力にも関心を示している。一例は、「環インド洋地域協力連合(IOR-ARC)」だ。11月初め、ニューデリー近郊のグルガオン市でIOR-ARC加盟国の閣僚会議があり、そこに米国がオブザーバーとして来年から参加することが認められた。議長国インドがこの決定を主導したことに、米国務省のヌーランド報道官は謝意を表した。(*3) 
 IOR-ARCにはオーストラリアや東南アジア諸国連合(ASEAN)のタイ、シンガポール、マレーシアのほか、イラン、南アフリカなど20カ国がメンバーだ。日本、中国、英国、フランスもオブザーバーとして参加している。(*4) 
 この機構は、貿易投資の促進を図る経済協力を目的に1997年に発足。「インド洋版APEC」とも言われ、将来は自由貿易の実現を目指している。インド洋諸国の域内貿易はまだ東アジア域内ほど高くはないが、インドの旗振りで動き出した。
 インドを刺激したのは、中国のインド洋進出だった。スリランカ、ミャンマー、パキスタンなどの国々では、中国が港湾インフラなどの支援に力を入れ、「真珠の首飾り」と呼ばれる親中ネットワーク作りを進めている。
 中国がグローバルな舞台でも、地域主義においても影響力を拡大する動きは今後も一層強まって来る。米印とも、経済では中国と大きな依存関係にある以上、あからさまな対決姿勢は避けたいところだが、中国牽制のための連携は一段と深めていくことになるだろう。
 
(*1) 2012年11月21日付 The Hindu, “India big part of my plans, says Obama ”
http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-international/india-big-part-of-my-plans-says-obama/article4117664.ece
(*2) 2012年4月13日、ヘリテージ財団での講演。
http://blog.heritage.org/2012/04/13/video-condoleezza-rice-speaks-on-american-exceptionalism-at-heritage/
(*3) 米国務省ホームページhttp://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2012/11/200139.htm#INDIA
(*4) IOR-ARCホームページ http://www.iorarc.org 

《エッセー》インド版『巨人の星』、勝負の舞台はクリケット

2012-12-11 23:42:18 | インド

 インド版「巨人の星」のアニメ番組が12月23日からインドのテレビで登場するそうです。

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/121130/asi12113007100000-n1.htm

  星飛雄馬、花形満のライバル二人の対決は、ちょうど中学生のころだったかな。

 楽しみに少年マガジンを読んでいたので、これがインドにトランスファーされると聞くと、感慨ひとしおです。

 ところが、ライバルが勝負をかける舞台は野球ではないのです。

 今度のアニメ、『スーラジ ザ・ライジングスター』では、インドの”国技”クリケットのフィールドが対決の舞台。

 はてさて、どんな魔球が飛び出すのか。

 はたまた、スポーツ根性ドラマは、インドでも人気を集めるのか?

 などなどと、自問していたら、大ヒットしたインド映画『ラガーン』を思い出しました。

 これは、英国植民地下にある貧しい農民たちが、英国の軍人たちとクリケットの試合をして、もし勝てば、税金(ラガーン)が免除されるという物語。

 人気俳優のアミール・カーンが皆に特訓をして試合に備える。

 ひとりの若い農民には、投球術を特訓させた。彼は手が不自由なため、球に独特なスピンがかかり、見た事のない魔球となった。

 映画は最後まで手に汗にぎる死闘が続く…

 とはいえ、一番の関心は、インドでアニメがどの程度、ヒットするのか、しないのか、定着するのか、しないのか…

 そのカギは、やはり都市部の中間層が握っているのは、間違いないでしょうね。

 

 

 

 


《調査リポート》インド原発から見える国際政治(1)…ロシアとの腐れ縁

2012-12-10 01:05:24 | インド

 東京財団ユーラシア情報ネットワークにエントリーしました。  

 http://www.tkfd.or.jp/eurasia/india/report.php?id=376

 福島第一原発の事故後、多くの国が原子力の計画見直しを進めた。

 だが、エネルギー需要が急増しているインドでは今のところ、増設方針に変化はない。

 日本に対しても、原子力協力のラブコールを送り続けている。

 そんなインドの原発の現場や歴史を調べていくと、この国の地政学と各国の思惑が見えて来る。

 第一回は、ロシアとの関係。冷戦期の旧ソ連以来の長い「腐れ縁」が続いている。

 

インド原発から見える国際政治(1)                                                                                                                                       更新日:2012/12/10

 インドが原子力発電所の増設に力を入れている。福島第一原発の事故後、多くの国が原子力の計画見直しを進めたが、エネルギー需要が急増しているインドでは今のところ、増設方針に変化はない。日本に対しても、原子力協力のラブコールを送り続けている。そんなインドの原発の現場や歴史を調べていくと、この国の地政学と各国の思惑が見えて来る。

クダンクラム原発に潜むロシアの思惑

 インドの最南端、コモリン岬から東に30km余り行くと、インド洋の海岸にクリーム色をしたドーム型の建屋が2つ見えて来る。ロシアの支援で建設されたクダンクラム原発(2機で計200万kw)である。2011年3月の福島の事故後、反原発運動が高まり、稼働はずれ込んでいる。今年9月には抗議デモの漁民らが治安部隊と衝突し、一人が死亡する事件になった。
 冷戦時代の末期にあたる1988年、当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とインドのラジブ・ガンジー首相の間で建設協力に合意した。以来24年間、クダンクラム原発は特異な経緯をたどってきた。
 ソ連では、1986年にチェルノブイリ原発の事故が起きてから2年。社会主義経済の疲弊は一段と深まり、外貨は底をつきかけていた。ソ連は外貨稼ぎのため、東側諸国と緊密な関係だったインドに原発輸出を考えた。
 インド海軍の関係者によると、実はこのとき、インドがロシアに協力を求めたのは、原子力潜水艦の調達だった。中国は1964年に核実験を実施し、核兵器保有国になった後、原潜の開発にも成功。インドとの軍事力の格差は拡大した。インドは中国から10年遅れて1974年、当時のインディラ・ガンジー首相の決断で核実験をして追随。さらに同首相は、原潜についても海軍に開発命令を出した。ところが、当時のインドには原潜に適した技術はなく、ロシアに協力を求めざるを得なくなった。インディラの死後、後継した息子のラジブ・ガンジー首相が原潜調達計画も引き継ぎ、ロシアに打診した。これに対し、逆に提案されたのが「原発と原潜のセット販売」だった。(*2)
 チェルノブイリで大事故を起こしたのは、黒鉛を減速材に使う原子炉だったが、ロシアは、それとは方式が異なる加圧水型炉を売り込んできた。インドに売る事で、チェルノブイリ事故後もソ連の原子力産業が健在な様子を世界にPRすることを考えたようだ。
 原発計画が明るみに出ると、漁民らの反対運動が燃え上がったが、1991年にソ連が崩壊。クダンクラム原発の計画も一時、雲散霧消したかのように見えた。ソ連消滅後の資金不足でインドへの輸出信用の供与が難しくなり、さらに原子力産業で賃金未払いが起き、技術者の流出も起きたためだ。
 しかし、ロシアがソ連を引き継ぎ、原子力産業を立て直した。そしてエリツィン大統領の手で90年代後半に対印協力の計画が蘇った。まさに「冷戦の亡霊」が生き返ったような話だった。

「NSG違反」と米国は批判

 インドは1974年の最初の核実験を実施してから、国際社会の原子力コミュニティから孤立していた。インドの核実験後、発足した原子力供給国グループ(NSG)は、発足時のメンバー(現在46カ国)は米、日、英、仏、カナダ、西独、そしてソ連の7カ国。インドのように核不拡散条約(NPT)非加盟のまま核保有を狙う動きを封じるため、原子力の輸出カルテルを結んだ。(*3)
 NSGが1978年に制度化したガイドラインでは、NPT加盟国への原子力技術や設備、燃料の供給については、IAEAの査察(保障措置=セーフガード)受け入れを条件に認めるが、非NPT加盟国に対してはこれらの供給を禁じた。このため、ソ連の対印協力が「NSG違反ではないか」との批判が米国などから出た。
 ところが、ロシアは、NSGが1978年に作成したガイドラインを1992年に改正強化するまで年次会合を開かず、事実上の休眠状態だったことを指摘。「一九八八年の印ソ間の合意事項は一九九二年より以前のものであり、違反していない」という理屈を主張した。
 ロシアは、それ以降もインドの原発建設の支援に意欲を見せた。2003年にモスクワであった印ロ協議では、驚くような策が飛び出した。当時のルミャンツェフ原子力相は言った。(*4)
 「NSGの規則を破ってはいけない。海上原発を造ってインドの沖合に運び、ロシア人が運転してインドに電力を提供するのはどうか」
 この提案は決して奇想天外なものではなかった。原潜の技術をもとに濃縮ウランで動く出力7万kw程度の小型原子炉を海上施設に据え付け、電線で陸地に電力を送れば、5万人程度の都市の電力需要をまかなえると、提案した。
 これが実現することはなかったが、原子力開発で孤立していたインドを支援しながら、原発建設における自国の存在感をアピールするロシアの執念をうかがわせた。

フクシマ後に反対運動が激化

 クダンクラム原発が完成に近づいていた2011年3月11日、福島第一原発の事故が起き、地元では反対運動が再び燃え上がった。
 その中心は、約1万2千人が住むイディンタカライという漁村。2004年末のインド洋大地震に伴う津波で被災し、今も約2千人が「ツナミナガル(津波の村)」と呼ばれる特設住宅で暮らす。福島の事故は、住民に津波の記憶を呼び戻し、原発への恐怖心をかき立てた。
 昨年7月に核燃料を装填する前の試験運転が実施されると、タービンの騒音が住民を刺激した。反対運動が激化し、稼働の凍結を求めるハンガーストライキも起きた。
 地元のタミルナドゥ州政府は選挙で政権交替したため、一時は住民側に歩み寄りを見せた。だが、中央政府との駆け引きの末、州政府も再び稼働を強行する姿勢に転換。今年9月に治安部隊と反対住民が衝突し、漁民1人が死亡した。
 原発を運営する原子力発電公社によると、原発の敷地の高さは海抜7.5m、タービンは8.1m、原子炉は8.7mにある。これに対し、2004年の津波が到達したのは海抜3m足らずだった。津波の想定は最大でも海抜5.4mで十分としている。(*5)
 ところが、住民は納得しない。政府当局に対しては不信感が鬱積しているようだ。環境影響調査や安全性評価の報告書など重要な情報公開や、公聴会がろくに実施されていないことも背景にある。
 インドでは、大型プロジェクト導入にあたり、環境影響調査と情報公開を義務づけたルールが1994年に制定された。それ以前に計画されたクダンクラム原発は、こうした対応を義務づけられず、十分な情報公開が課されないまま、建設が進んだ。稼働間近だというのに住民対象の本格的な避難訓練もされていない。
 原子炉の設計も不安を刺激している。住民らでつくる「反原子力国民運動(PMANE)」によると、クダンクラムで使われるロシア製原子炉は圧力容器の中央に大きな溶接部があるとされ、安全性に疑問が浮かんでいる。

独立かなわぬ規制委員会

 他の地域の原発計画に影響する問題もある。安全性を監督する原子力規制委員会が原子力省の下部組織に過ぎず、住民からは「安全確保について誰を信用したらいいのか」という疑問が出ている。
 福島の事故後、日本でも原子力規制庁と規制委員会の設置が進められた。インド政府も昨年来、規制委員会の独立性を高める法改正を進めようとしているが、国会審議は遅れている。
 規制委員会の改革が進まないため、代わりに重要な役回りを演じているのは裁判所である。9月末、最高裁は安全性確保に納得がいかない限り、クダンクラム原発を稼働させるべきではない、と指摘。原発から30km圏内の約40の村に住む100万以上の住民を対象に、本格的な避難訓練を実施するよう、政府と原子力発電公社に要請した。
 ところが、政府と公社の中には、避難訓練の実施によって、住民の反対運動をさらに刺激する恐れがあると警戒する声が出ているらしい。長期的には、原子力規制委員会の独立強化、公聴会開催など情報開示の強化により、ガバナンスの改善とプロセスの民主化に努め、住民の信頼を得るしか打開策はないだろう。
 さらに、新たな波乱要因になっているのが、クダンクラム原発から出る使用済み核燃料の処分問題である。約600km離れたコラールという町の金鉱山跡地に運ぶ案がメディアの報道で浮上した。コラールがIT(情報技術)都市のバンガロールの近郊にあるため、新たな反対運動の輪が広がりつつある。原子力省はこの案を否定しているが、政府の秘密体質が不信感を拡大しているのは明らかだ。
 インドの原発建設は核兵器の開発体制と表裏一体であるだけに、従来、国家の機密事項として扱って来た。だが、民生用のエネルギー源として拡大を図るなら、秘密だらけの原発建設の推進体制そのものを抜本的に見直すことが迫られている。

(*2)ブディ・コタ・スブラオ元インド海軍大佐とのインタビューから
(*3)NSGホームページ
http://www.nuclearsuppliersgroup.org/Leng/01-history.htm
(*4)The Hindu,“Russia Offers India Floating N-Plants”,2003年11月20日付
(*5)The Hindu,“Safety is at the core of Kudankulam nuclear reactors”,2012年3月12日付
(*6)India Today, “Now, Kudankulam project fuels protests in Karnataka; Kolar residents oppose possible use of abandoned goldfields to dump nuclear waste”,2012年11月23日号
http://indiatoday.intoday.in/story/kudankulam-project-fuels-protests-in-karnataka-kolar-residents-dump-nuclear-waste/1/234403.html


《調査リポート》インド 6億人の停電はなぜ起きたのか?

2012-10-31 03:17:45 | インド


東京財団ユーラシア情報ネットワークに寄稿しました。

http://www.tkfd.or.jp/eurasia/india/report.php?id=372

10月のテーマは、「インド 6億人の大停電は、なぜ起きたのか?」です。

インドは発電量で世界第5位の大国になったのに、送電時のロス率は3割に近い。

ガバナンスがひどい。

この国の電力問題はかなり深刻な、慢性的危機に陥っているのです。