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アジア曼荼羅

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《調査リポート》強まる米国のインドパワー / 外交にも影響力及ぼす存在に(現代インドフォーラム)

2013-03-05 17:20:57 | インド

強まる米国のインドパワー  外交にも影響力及ぼす存在に

Emerging Indian Power in the US― Stronger Influences on American politics and diplomacy

 米国ライシャワーセンター東アジア研究所 客員研究員 竹内 幸史(日印協会『現代インド・フォーラム』2012年秋号掲載))

はじめに

オバマ大統領の就任後、インド系米国人のパワーと存在感を示す出来事がホワイトハ ウスであった。2009 年 10 14 日のことだ。

インドでの最大の行事である「ディワリ」の祝祭がオバマ大統領自ら主催する公式行 事として行われた。約 200 人が招かれたホワイトハウスのイーストルームに、マントラ (お経)を詠唱するヒンドゥー僧の声が響いた。ディワリは、ヒンドゥー教徒にとって新 たな年を祝う最大の行事の一つであり、三大神のうち宇宙を維持するヴィシュヌ神の妃 神ラクシュミを自宅に招き入れるために、人々は自宅等に光をともす。

大統領は、祝い事に使うギー(バター油)を入れたランプに火を灯し、こう語った。

「今週は世界中で、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、シーク教徒、仏教徒が集まって 光の祝祭があります。ランプに明かりを灯し、光が闇に打ち勝ち、知が無知に打ち勝つ ことを示すものです」 「飾り付けた家に家族一同が集まって祈り、おいしいご馳走を楽 しもうではありませんか」

「ハッピー・ディワリ!」 オバマ大統領の声に出席者たちが唱和し、大きな拍手がわい た1。

出席したインド系米国人の弁護士、アヌラグ・ヴァルマ(40)に感想を聞くと、「インド の祭典を大統領自ら祝ってくれるなんて信じられない。実にエモーショナルだ」と話し ていた。彼はインド系をはじめとする米国の少数派住民の権利擁護に働いており、感激 もひとしおのようだった。

大統領府は「出席者の多くはアジア系米国人」とだけ説明したが、大半はインド系米国 人だった。ホワイトハウスではブッシュ政権時代の 2003 年からディワリの行事が行わ れるようになったが、大統領は出席せず、スタッフだけの催しだった。

筆者は、南アジア研究のためワシントンに来て、1 年になる。米国の大学や企業、国 際機関を見ていると、一段と大きな存在感を発揮しているのが、インド人たちだ。この 中には、国籍がインドのままのものも多いが、影響力を発揮しているのは、米国に帰化 したインド系米国人である。後者は、米政府の要職にも就き、外交政策にも影響力を及 ぼしつつある。彼らの底力の背景を探ってみた。 


I. インド系アメリカ人の目覚ましい影響力

1. 対外援助政策のトップに抜擢 ― 米政府幹部に相次ぐインド系の登用

上記のホワイトハウスでのディワリの出席者の中には、翌 2010 年に米国の対外援助 実施機関である米国際開発庁(USAID)長官になるラジヴ・シャー(39)もいた。シャーはイ ンドのグジャラート州からの移民二世。1973 年にミシガン州で生まれ、医学部を卒業 後、ビル・ゲイツ財団に勤めた。2008 年の大統領選でオバマ陣営の医療政策の顧問をし た後、政権入りした。USAID 長官としての彼の講演を聞くと、冒頭からスライドでムン バイのスラム街支援の様子を映し出し、「インドモード全開」だった。自分の家系を積極 的に語ることによって説得力のある講演になっていた。

オバマ政権では政府内にインド系幹部職員が増え、大統領府のチーフ・インフォメー ション・オフィサー、チーフ・テクノロジー・オフィサーという技術系の要職にもインド 系が登用された。

2. 日米印の対話でも存在感

インド系アメリカ人は、米外交の最前線にも登場している。今年 4 月、東京で日米印 三カ国の政府による協議があった。米国から参加したのは国務省、国防省、エネルギー 省の幹部計 7 人。顔ぶれを見ると、実にこのうち 4 人がインド系米国人だった。出席し た米国務省の幹部は「意識してインド系を増やしたわけではない。日本政府の人からは、 インドの代表団みたいだね、と冗談を言われたよ」と笑った。そのうちの一人、国務省 次官補のニーラヴ・パテルはグジャラート出身の移民二世だ。まだ若々しいが、国務省 では日本を含む東アジア太平洋関係を統括し、アジア太平洋経済協力(APEC)など多国間 問題を担当するキーパースンである。

日米印の三カ国対話は昨年末に始まった新しい枠組みである。シーレーン確保や反テ ロ対策など幅広い協力が課題とされる。4 月はミャンマーをめぐる協力も話題になるな ど、率直な意見交換が行われている。

II. インド系住民は高度人材

1. シリコンバレーの成功物語

米国でのインド系住民の勢いは目覚ましい。米国内のインド系人口は約 250 万人。日 本国内のインド系住民の百倍である。インド系移民は 19 世紀から世界規模で広がった が、米国への移住は 1947 年のインド独立後、パンジャブ州などからの農業移民が牽引 した。米国の移民法改正による受け入れ拡大や、アフリカ諸国からインド系移民が締め 出される事態もあり、米国移住が増加した。

1960 年代になると、職を求める技術系の人々の移住が増えた。インドではネール政 権下、高度な技術者養成のため、各地にインド工科大学(Indian Institutes of Technology; IIT)が設立された。IIT は、ケネディ政権で駐印米大使に就いた経済学者 ガルブレイスの進言で米国も支援し、インドのハイテク名門校となった。ところが、IIT を卒業しても十分な職がなく、渡米の道を選ぶ人が多かった。

IIT ボンベイ校卒のカンワル・レキ(67)は 1960 年代後半に渡米し、フロリダの宇宙開 発分野で働いた。アポロ計画の見直しに伴い、シリコンバレーに移ると、情報通信革命 の波に乗り、インターネットの基本原理開発に貢献して大成功を遂げた。

レキの成功物語を追うように技術系の流入が続き、インド系のエンジニアや経営者は シリコンバレーの一大勢力になっていった。高等教育を求めて渡米した若者の中には、 医師や科学者になる者も多かった。

2. 多数の高額所得者

インド国内では「頭脳流出」との懸念も起きたが、インド系の人々は米国で着実に地歩 を築いた。経済的に成功するケースは増え、米国のマイノリティー住民の中で、インド 系はユダヤ系と並ぶ裕福な存在になった。2000 年の米国国勢調査ではインド系の平均 年収は6万ドル以上あり、米国人の平均年収(約 3 8,000 ドル)を大きく上回った。年 収 100 万ドル以上のインド系の家庭は約 20 万世帯あるといわれ、高額所得者が多い。

異郷の米国で、同業・同郷のコネクションを生かした組織づくりも進められた。ホテ ル業界の団体、「アジア系米国人ホテルオーナーズ協会(Asian American Hotel Owners Association; AAHOA)」は、グジャラート州出身者を中心にインド系の経営者約 1 1,000 人(ホテル約 2 万軒)で構成する。会員にはグジャラートに多い「パテル」という名前が大 勢いる。この名前は米国のインド系ホテルの代名詞のようになっている。こうしたホテ ルは、「アメリカンドリーム」を求めて渡米する後続の移民たちに割安な宿と働き口を提 供した。その一方、銀行や不動産会社などに融資や取引の条件で差別を受けたため、1980 年代に協会組織を設立。交渉力を強め、地位向上を図った。今年 5 月、アトランタで開 いた総会には、ブッシュ前大統領が出席し、祝辞を述べた。

医師の団体も活発だ。「インド系米国医師会(American Association of Physicians of Indian Origin; AAPI)」は全米の約 3 5,000 人で構成。1995 年の総会には、当時のビ ル・クリントン大統領を来賓に招いた。

3. 強まる自尊心と団結心

インド系コミュニティーの結束強化には、インド本国の台頭に加え、在外インド人を 重視するインド政府の政策も働いている。

インドは 1991 年の外貨危機をきっかけに経済改革に乗り出した。同時に、在外イン ド人のネットワークを積極活用し、インドの国益拡大に向けた外交資源として役立てる 傾向が強まった。

これを明確に打ち出したのは、1998 年に発足したインド人民党主導のヴァジパイ政権だった。インドは、98 年 5 月の核実験後に日米など主要先進国から経済制裁を受け ると、在外インド人向けの国債を発行して財政の穴埋めを図り、難局打開の一助にした。 これを支援したのが、在米のインド系住民だった。

この当時、西暦が 2000 年になってコンピューターが誤作動する「Y2K 問題」が世界中 の懸念になっていた。地球規模のプログラム対策が求められたのに対し、インドの IT 産業は優れたマンパワーを提供し、貢献した。インド IT にとって最大の市場である米 国との橋渡しをしたのが、在米のインド系経営者たちだった。

米印両国は、核実験で悪化した関係修復のため、ストローブ・タルボット国務副長官 とジャスワント・シン外務大臣との間で戦略対話を開始したが、これは、2000 年 3 月の クリントン大統領のインド訪問に結実した。クリントン大統領は、インドの国会で演説 して喝さいを浴びた。その後、米国は共和党のブッシュ政権になるが、インドとの関係 はさらに強化拡大され、米印原子力平和利用協定の締結に至った。

BRICs の一員として、特に強大化する中国と競う「新興大国」として脚光を浴びる祖国 の姿に、在米インド系住民は自尊心と団結心を強めていった。

III. 若い世代で広がる米国政治への参政

1. 二人のインド系知事が誕生

 インド系住民の経済的成功に伴い、米国の政治への関与も強まってきた。 

移民一世は、米国社会に果敢に飛び込み、溶け込みながらも、政治への口出しは控え めだった。かつてはインド独立運動への支援が米国で盛り上がった時代もあった。また、 移民一世でもパンジャブ州出身のシーク教徒、ダリップ・シン・サウンドが 1952 年、ア ジア系米国人として初めて連邦下院議員に当選した例もあった。だが、多くの移民一世 は米国英語にも不慣れで、米社会に適応するのに必死だった。

ところが、二世、三世は米国文化の中で生まれ育ち、率直な自己表現能力を身に着け た。彼らが今、政治活動を活発化させている。

下院議員から 2007 年にルイジアナ州知事に当選したボビー・ジンダル(41)、2010 年 に当選したサウスカロライナ州知事のニッキー・ヘイリー(40)は、いずれもパンジャブ 州出身の家庭に生まれた移民二世だ。

ジンダルは 2008 年、大統領候補のマケイン上院議員の副大統領候補にも名前が取り 沙汰された。ヘイリーは 2010 年、南部の保守的な政治風土の中で全米最年少の知事に 当選した。ともに、キリスト教に改宗したうえのことだが、白人主導の保守政党である 共和党でのし上がってきたことが興味深い。

インド系の業界団体は、こうした政治家を支援している。AAHOA のウェブサイトを見 ると、ヘイリー知事や連邦議会、州議会や市議会まで各層のインド系議員を応援し、献 金集めもしている。 

首都ワシントン近郊では、インド系の青年が中心になって「米インド政治行動委員会 (USINPAC)」を結成。インド関連の争点について超党派で連邦議会の議員らに働きかけを している。会長のサンジャイ・プリは IT 企業の経営者。米政界にインド系の声を反映さ せようと USINPAC を結成した。

2. 大規模で活発な米印友好議員連盟

キャピトル・ヒル(連邦議会)でも、インドをめぐる動きは活発化している。上下両院 に、インドと在米インド人関連の課題を扱う超党派の友好議員連盟(通称 インディア ン・コーカス)がある。冷戦終結とインドの経済開放の動きに応じ、1993 年にまず下院 で結成された。当初、議員数はわずか 8 人だったが、今では約 150 人に拡大した。

上院の友好議連は 2004 年に結成され、加盟議員は約 40 人。現国務長官のヒラリー・ クリントンは上院議員時代、議連の共同代表を務めた。ヒラリー自身、大変な親印派で、 若い時からインドの草の根民主主義や女性の社会活動に関心を抱いていた(*2)。ファース ト・レディーとして 1995 年に大統領に先駆けてインドを訪問し、2000 年の大統領訪印 の露払いをした。

彼女の選挙区だったニューヨーク州クイーンズ地区に行くと、いかにインドが大きな 存在かが分かる。インド系住民が多く、資金力がある。街にはインド料理店やヒンドゥ ー教寺院、ヒンディー語を教える文化センターがあり、ディワリなど季節の祭りも盛大 に催される。インド系実業家のひとりは、「ヒラリーに 2 万ドル程度の献金をすれば、 結婚披露宴の来賓として来てくれる」と語っていた。

3. 米印原子力協力で米印関係のパラダイムシフト

インド系住民と業界団体、そして友好議連が一体になって実現させたのが、2008 年 の米印原子力協定だった。

核拡散防止条約(NPT)に非加盟のまま核兵器を保有するインドに対し、ブッシュ前政 権は NPT の特例として認め、原子力平和利用の国際協力を進める大転換に踏み切った。 国際的には、NPT を拒否しながら核実験を行い、にもかかわらず原子力の平和利用で各 国からの協力を取り付けようとするインドへの反発が強かった。ブッシュ政権は、わが 国を含むそのような国際世論を押し切り、インドに対する原子力協力に踏み切った。米 国の原子力産業のインド進出やインドのエネルギー需要に対応すると同時に、インドの 民生用原発に IAEA(国際原子力機関)の査察を入れることによって核不拡散の網の目を 広げる意味があった。

ところが、2005 年の米印首脳会談で基本合意後、米国内では核不拡散を重視する人々 から強い反発が起きた。パキスタンへの悪影響が予想されたし、冷戦下で旧ソ連寄りだ ったインドへの猜疑心も働いた。

これに対し、USINPAC などの組織は友好議連や米産業界と連携し、議会に理解を訴えた。議会に影響力がある退役軍人組織やユダヤ人ロビー団体にも協力を要請した。ロビ イストとして議会工作に走り回ったのが前述の弁護士、アヌラグ・ヴァルマである。イン ド北部からカナダに移住した移民二世。少数派住民の人権改善とインド系コミュニティ ーへの貢献を考え、法律家を志した。ヴァルマが所属するワシントンの法律事務所、パ ットン・ボッグスは、インド政府の米国でのロビイングを受託している。ヴァルマは議 会周辺で何度も説明会を仕掛け、米印原子力協力に反対する議員らの説得を続けた。ヴ ァルマは「過去の米印関係は互いに不信感に満ちていた。ブッシュ前大統領は両国関係 を『自然なパートナー』と呼び、本格的な改善を試みた」と語り、原子力協力がその大 きな突破口になることに期待を寄せた。

国際社会も、このような米国の対印政策を追認することになった。NPT 締約国以外に は原子力協力をしないことを決めていた核供給国グループ(Nuclear Suppliers Group; NSG)は、結局は米国の方針を追認し、英国、フランス、ロシアその他多くの国がインド と原子力平和利用協定を締結するに至った。日本も、現在、交渉の途次にある。

このような国際社会のインドへの対応を変えた点で、対印原子力協力協定は、米国の 対印政策のパラダイムシフトを象徴するものと言えよう。

IV. 今後の米印関係

1. 原子力賠償法で米企業は足踏み

もっとも、最近の米印関係を見ると、在米インド人が期待したほど順風満帆ではない。

原子力協力では、インドが 2010 年に立法化した原子力賠償法が障害になり、米企業 の動きは鈍い。原発事故が起きた場合、国際的なルールでは運営業者(電力会社)の責任 が問われるが、インドにおいては設備の供給者にも責任追及がなされるように法律が制 定された。これは、インド中部のボパールで 1984 年に起きた米ユニオン・カーバイド社 の事故で流出した有毒ガスにより、多数の犠牲者が出たのに、同社が不十分な賠償しか されなかったことが想起され、原発事故の際には外国企業の責任も追及しようとのイン ド議会の意思が働いたからであった。インドの左派政党を中心に根強く存在するインド 特有の反米意識も働いたようだ。このため、折角原子力協力協定ができたのも拘わらず、 ゼネラル・エレクトリクス、ウェスティングハウスなど米大企業がインド進出に二の足 を踏んでいる。

さらに、昨年のインド国防省による戦闘機の調達では、米国製がフランス製ラファー ル機に敗れた。「インドは原子力協力における米国の恩義が分からない国だ」という不満 の声が米産業界から漏れてくる。

2. 「一夜では変わらないインド」

ブッシュ政権で米印協力を主導したコンドリーザ・ライス前国務長官は、最近の講演会で「インドはブラジル、トルコと並び、米国が長期的に投資していくべき国」と評価し た。そのうえで、「確かにインドは簡単な国ではない。非同盟主義の国として長い歴史 があり、一夜にして変わるわけはない。今、インドとの間では我慢が必要な時だ」と述 べた(*3)。

ライスの指摘は、米国の親印派の間で共通する感慨だろう。確かに、米印関係は過去、 冷戦期を含め、対立関係にあった時期の方が長かった。21 世紀に入ってから大きく改 善したとはいえ、今も「山あり谷あり」の見通しにくい坂道を歩んでいるのかも知れない。

それでも、過去に比べて共通の協議課題が著しく増え、米印関係の基盤は拡大してい る。何より、幅広い分野のインド系住民の存在は、今後の米印関係の安定と発展の材料 になると見て良いだろう。

脚注

(*1) URL http://timesofindia.indiatimes.com/videoshow/5126165.cms

(*2) Strobe Talbott, Engaging India, Washington,D.C., The Brookings Institution,2004, pp.23-24

(*3)   2012 年 4 月 13 日、ヘリテージ財団での講演。URL http://www.heritage.org/events/2012/04/secretary-rice

 

筆者紹介:  竹内 幸史(たけうち・ゆきふみ)

慶應義塾大学卒。 朝日新聞社でニューデリー支局長、編集委員などを務めた後、 2011 9 月から現職。 岐阜女子大学南アジア研究所客員教授。

(2012 8 31 日)page9image9704

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《ニュース》インドの大気汚染が深刻化、「不要不急の外出は避けて」と日本大使館

2013-03-01 10:57:30 | インド

【From Media】NHK reports on air pollution in India.

中国の大気汚染が連日、報じられているが、インドの大気汚染を伝えるニュースがNHKで流れていた。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130228/t10015839491000.html

日本大使館がインド在住の日本人に呼びかけている。

「大気汚染がひどいと感じられる日には、不要不急の外出を避けたり空気清浄機を日常的に使ったりするなど、健康管理に注意してください」

買い物など便利さでは住みやすくなったインドなのに、また住みにくくなるのか…。

とりわけ、冬は大気汚染と特有の濃霧が相乗効果を織りなし、ニューデリーの空は視界が悪化し、車での移動にも影響が出るほどだ。にしても、健康被害を気にしないといけなくなるとは。

僕が住んでいた時代は、もちろん家庭内で浄水器は使っていたが、空気清浄機までは使っていなかったなー。

さらに、NYTはインドの大気汚染は、尺度によっては中国、パキスタンより悪い。 

Yale Univの調査研究によると、健康被害で見れば、インドが世界最悪の132位。中国は128位、パキスタンは129位。公害でも中印が競っているという図式。

NYTの記事はこちら↓

http://india.blogs.nytimes.com/2012/02/01/indias-air-the-worlds-unhealthiest-study-says/?smid=fb-share

 

エール大学の報告書はこちら↓
http://epi.yale.edu/dataexplorer/indicatorprofiles?ind=eh.air


《エッセー》アイシュワリア・ライ・バッチャン、暴行事件に怒りのメッセージ

2013-02-28 19:33:54 | インド

 インドで起きた女子医学生のレイプ事件について、トップスターのアイシュワリア・ライ・バッチャン Aishwarya Rai Bachchan (39)がついに怒りの声を上げた。

 ニューデリーからの報道によると、他のボリウッドスターたちと共に、女性に対する犯罪行為に一層の厳罰を課すよう、インド政府に求めた。

 アイシュワリアは、インドにおける女性の地位が蔑ろにされていると憤りを示したうえで、こう語った。
「政府は、女性に対する攻撃者に断固たる法的措置をとるべきです。今すぐ厳罰で処すべきです。そうしてこそ、初めてインド社会が変化していくのです」

 国民的な人気があるトップスターとは言え、こうした声明を発することによって、彼女の身にも危険が迫る可能性があるが、こう語った。
 「私は恐れません。私たちの社会の中には、怒りが渦巻いています。私は躊躇なく声を大にして言います。私たち、芸能人の多くは身の安全を確保することが出来ますが、ほとんどの女性たちは何ら守るものがないのです」
 自分が言わなければ、いったい誰が言うのか…アイシュワリアのメッセージからは毅然とした覚悟が感じられる。


 事件は昨年12月中旬に首都ニューデリーで発生。無認可バスの車中で、男6人が女子医学生に乱暴した。女性はシンガポールの病院に運ばれたが、死亡した。6人は逮捕されたが、事件が伝わるや、インド全国から抗議の声が沸き上がった。マンモハン・シン首相はテレビ演説で、性犯罪取締り強化を表明した。
 2週間後、シンガポールから遺体が帰国した時には、シン首相、ソニア・ガンジー与党総裁らが空港まで出迎え、哀悼の意を表した。インドの女性への偏見、人権問題、ジェンダー問題の深刻さを象徴するこの出来事が、政府への激しい批判を喚起していることを懸念したためだ。まさにこのレイプ事件は、社会的事件を通り越して、政治的事件に発展している。
 

 アイシュワリアは、俳優のアビシェク・バッチャンAbhishek Bachchan間に1歳の娘がいる。元ミス・ワールドのスーパー美人女優として知られるが、スターとしての自覚や社会的責任、政治的意識は高いものがある。貧困者が多く、字が読めない国民が依然として3割もいるこの国で、誰もが分かる映画の役割とスターの社会的責任は、先進国よりはるかに大きいのだ。
 とりわけ、義父のアミタブ・バッチャン Amitabh Bachchan は国民的俳優であると同時に、出身地のアラハバードから下院議員に選出された経験もある。親類にも政治家が多い名門一家だ。
 今回のように、アイシュワリアがインド社会にメッセージを果敢に発していくことは、義父の影響もあるだろうが、明確な政治的意志を持ってのことのように思えてならない。

 タイムズ・オブ・インディアの記事はこちら↓
http://timesofindia.indiatimes.com/entertainment/bollywood/news-interviews/Aishwarya-Rai-A-lot-needs-to-be-done-for-womens-security/articleshow/18606935.cms?

 

《ニュース》『ライフ・オブ・パイ Life of Pi』のアン・リー Ang Lee にアカデミー監督賞

2013-02-26 03:36:56 | インド

 アカデミー賞授賞式で『ライフ・オブ・パイ Life of Pi』の監督、アン・リー Ang Lee に監督賞が贈られた。

 受賞スピーチで、「この映画を支えた3000人のスタッフに感謝する。サンキュー、謝謝、そして…ナマステ!」と言っていたのが良かった。

 授賞式のビデオは http://www.youtube.com/watch?v=_Swfn0yGeaU


 この作品はインドの人々と物語を主題とする一種のインド映画だが、台湾生まれの監督が、カナダ人作家の原作をもとに、ハリウッドの映画テクノロジーを駆使した「グローバル映画」だった。撮影ロケ地も、台湾の動物園、カナダのモントリオール、インドの旧フランス植民地であるポンディシェリなど、これまたグローバルな展開だった。


 その意味では、2009年のアカデミー賞受賞映画『スラムドッグ$ミリオネア』と比べるのも面白い。スラムドッグは、インド人作家の原作をもとに、英国人監督が作った映画だった。


 これに対し、ライフ・オブ・パイでは、「インド」というものが映画の世界で一層咀嚼され、昇華され、主題としても、メッセージを伝えるツールや舞台回しとしても、一段とユニバーサルな存在になって来た。それがこの受賞によって裏打ちされた気がする。
 インドという土地と文化が持つ自然性、神秘性、宗教性、そして意外性があって初めて、人間と自然のドラマの妙を世界の人々に伝えることが出来たのではないか。

 それにしても、アン・リーという監督、台湾のアートスクールを卒業して渡米。苦労の末、ハリウッドでのし上がってきた。2005年、『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー監督賞を受賞した時は、「アジア系で初の監督賞」と有名になった。大変なアジアン・ドリームの体現者でもある。

 



《調査リポート》インド原発から見える国際政治(2)…フランスとの熱愛

2013-02-25 00:56:11 | インド

東京財団ユーラシア情報ネットワークのマンスリー・リポート。

2月は「インド原発から見える国際政治(2)」をエントリーしました。

http://www.tkfd.or.jp/eurasia/india/report.php?id=387


今回は、原子力協力を切り口に、インドとフランスの熱愛関係に焦点を当ててみました。独自の外交と核政策、原発重視を展開する「似た者同士」が築く複雑で危険な密月関係について、報告していますので、ぜひコメントをお願いします。

 

インド原発から見える国際政治(2)

更新日:2013/02/25

 2月14日、フランスのオランド大統領がニューデリーを訪問し、印仏首脳会談が催された。昨年の就任以来、アジア訪問は初めて。その最初の訪問先としてインドが選ばれたのだから、マンモハン・シン首相には嬉しいバレンタインデーとなっただろう。だが、期待された印仏間の原発建設協力の契約調印は見送りになった。
 今回は、インドとフランスの原子力協力を軸に両国の関係を分析してみる。
 

核実験後のラブコール

 「フランスは価値ある戦略的パートナーである。インドが困難な状況にある時も、断固として力強く支援してくれた」。シン首相は首脳会談後の記者会見で、オランド大統領を讃えてみせた。(*1)
 インドにとって「困難な状況」とは、冷戦後の孤立状態にあった1990年代のことだ。1991年、湾岸戦争で中東のインド人労働者からの出稼ぎ送金が急減し、さらに友好国ソ連の崩壊で貿易収入も激減した。外貨が底をついたインドは、統制経済から市場経済に舵を切る経済改革を断行した。
 だが、1974年の最初の核実験以降、原子力開発とハイテクの国際交流は制限され、90年代も孤立状況は続いた。米クリントン政権はグローバルな核不拡散体制の強化を図り、包括的核実験禁止条約(CTBT)の調印をインド、パキスタンに迫った。
 このころ台頭してきたヒンドゥー主義政党のインド人民党は1998年3月、核武装を公約に総選挙で政権を奪取した。そして5月、核実験に踏み切った。
 これに対し、主要8カ国首脳会議(バーミンガム・サミット)は非難声明を発表し、米国や日本などは印パ両国に対する経済制裁を発動したが、足並みは乱れた。独自の姿勢を見せたのは、フランスとロシアだった。
 フランスのシラク大統領(当時)は核実験前の同年1月に国賓として訪印。印仏の戦略的な協力関係を結んでいた。さらに同年9月にはインドのバジパイ首相(当時)が訪仏。正式な発表はなかったが、この時の首脳会談で、フランスがインドへの原子力協力を強化することが話し合われた。
 米国は1999年、上院がCTBT批准を否決したことにより、核不拡散問題についてインドに対する姿勢を軟化せざるを得なくなった。これが2005年、インドを特例扱いにして原子力協力を進めるブッシュ政権の政策につながっていくわけだ。しかし、フランスは米国よりずっと早い時期に、インドとの原子力協力への道筋を探っていたのである。
 クリントン政権の国務副長官を務めたストローブ・タルボットは、こうしたフランスの動きが米国を刺激した、という見方を示している。(*2)

サルコジのビジネス外交

 原子力は、フランスの基幹産業だ。その中心を担うアレヴァの幹部らを引き連れ、ビジネス外交を展開したのは、サルコジ前大統領だった。2008年1月26日のインド共和国記念日を機に訪印。米国に負けじと、原子力協力を協議した。
 共和国記念日にはニューデリーのインド門から軍事パレードがあり、招待された国賓がパレードを観閲するのが恒例だ。毎年どの国の首脳が招かれるか、注目を集めるが、実はフランスの首脳が4回と、最も頻繁に招かれている。
 フランスは17世紀にフランス東インド会社がインド南部に植民地ポンディシェリ(1954年に返還)を有していた歴史もあり、長い関係がある。
 2008年9月には印仏間の原子力協力協定を締結。その後、インド西部のジャイタプールにアレヴァが原発6機(計990万kw)を建設する計画に合意した。全部が完成すれば、東京電力の柏崎刈羽原発を抜いて世界最大になる見通しだ。
 ところが、今回のオランド大統領の訪印では、期待されたジャイタプール原発1、2号機の契約調印は見送られた。原発の建設コストがまだ折り合っておらず、原発事故が起きた時の賠償責任のあり方について調整が終わっていないことや、住民の建設反対運動が激化している事情も響いたのだろう。
 とはいえ、フランスは長期的に、インド国内だけでなく、グローバルな原子力ビジネスを展開するうえで、インドをパートナーにする思惑を抱いていると報じられている。(*3) インドも現在は自国内の原発建設を主目的に各国と原子力協定を結んでいるが、将来はベトナムや中央アジア、中東など他の国々への原発輸出も考えているようだ。両国の原子力協力がどう広がるか、長期的にウォッチしていく必要がある。

インドは「アジアのフランス」か

 今回の印仏首脳会談では、武器取引、宇宙開発協力、インド洋協力も話し合われた。(*4) インドの武器輸入は拡大しつつあり、フランスはインド国防省が調達する多目的戦闘機126機を受注する大型商談の契約交渉を進めている。また、宇宙分野では両国の宇宙開発機関の交流が進んでおり、2011年にはインドとフランスの共同開発による地球観測衛星をインドの基地から打ち上げるなど協力関係を強めている。
 フランスは核政策で米国と一線を画し、原発を重視し、世界の多極化を追求して独自外交を進めている。そのなかで、インドを重要なパートナーと考えている。インドも独自の核政策と原発重視、独自外交という特徴を持つ。両国とも歴史文化やソフトパワーを重視し、科学志向が強いなど共通点もある。
 こんな観点から、最近ではインドを「アジアのフランス」と呼ぶ学者もいる。この言い方にはインドもまんざらではないようだ。
 だが、両国メディアの論調を見れば、フランスはインドのカースト問題や女性軽視などを問題視し、インドはフランスのイスラム教徒やシーク教徒の差別撤廃を求めるなど、批判の応酬もある。それだけに、両国政府は今後、「ボンジュール・インディア」、「ナマステ・フランス」と名付けた文化交流キャンペーンを進め、相互理解を促進していく構えだ。
 戦略論では大いに共通点がある両国が、どれだけ幅広く国民的な交流の裾野を拡大していけるか。日本とインドの関係を考えるうえでも参考になるだろう。

(*1) インド外務省ホームページ 
“PM’s statement to the media during the State Visit of President of France to India”, http://pib.nic.in/newsite/erelease.aspx?relid=92229
(*2) Strobe Talbott,“Engaging India”, 2004, The Brookings Institution
(*3)2013年2月14日付Indian Express,“The Next Tango with Paris”,
http://www.indianexpress.com/news/the-next-tango-with-paris/1073703/
(*4) 駐印フランス大使館ホームページ 
“Joint Statement issued during the State Visit of President of France to India”, http://ambafrance-in.org/Joint-Statement-issued-during-the