3月10日
昨日は東京大空襲の記録を命がけで残した有る警察官の物語を、TVで見られた方も多かったと思います。
私は、TVを見るまでは、情けない事に、大空襲の事をすっかり忘れていました。
平和ボケですね。
東京が米軍の空襲を受け何と約10万人もの戦争に関係ない民間人が亡くなっています。
30数枚のむごい記録写真が紹介されていました。
空襲直後、手を合わして記録に残した心情はいかなるものであったのでしょうか?
この惨状を今に伝えた方が当時警視庁に勤めていました石川さんと言う方でした。
そして日本・米国両国の体験者の話しも聞く事が出来ました。
筑紫哲也さんがナレーターで橋の欄干?の石が黒くなっているこれは人の焼けた時の油が沁み込んだ色で今でも残っている事を紹介していましたが、
体験者の話は全てが悲惨でした。
それに比べて、日本に空襲を命じた***司令官は航空自衛隊に貢献したとかで、最高級の勲章が日本政府から送られていますが、この場面は複雑な心境となりました。
簡単に忘れてはならない事なのに?私は忘れてしまっていました。何故だろう?それはこの悲惨さが多く語られてこなかったからでは無いでしょうか?
TVを見られて、色々と思う所は有るでしょうが、
東京に限らず、各地で空襲にあって多くの民間人が亡くなっています。
この外に、満州ではソ連軍による非人道的行為で約20万人とも言われる民間人が亡くなり、旧日本軍人がシベリアでの強制労働で6万人もの方が亡くなっています。
国民として、一個人として忘れてはならない事ですね。
そして、空襲で亡くなった方々の正規の慰霊所が、東京にないと言う事は各地にも無いと言う事になるのでしょうか?
熱しやすく、さめ易い、私も典型的な日本人ですが、忘れてはなら無い事をきちんと後世に伝える施設が必要ですね。
亡くなられた方々を慰める為にも又この様な事を二度と起さない為にもその様な
施設が求められるのでは無いでしょうか?
それに反して、旧日本軍の中国で行った行為がしばしば取上げられていますね。これは中国に行けば、その施設が残され、しかも今日まで教育がされている事に尽きるのではないでしょうか。
前日の日曜日には妻と孫達をつれて、白山市の昆虫館そして、福井勝山の恐竜館へ行って、楽しいひと時を過ごしましたが、この平和も多くの方々が悲惨な目に
有った歴史の延長線上にいる事なのです。
愚かな事を繰り返さない為にも、孫がもう少し社会の事を理解出来るようになれば、教えたいです。 (写真は白山市の昆虫館にて)