何かしら行動するかどうかを考える時、結果だけを切り取るなら「する」か「しない」かの二つだ。
ただ、どうして「する」のか、あるいは「しない」のか、を考えると、多少複雑になってくる。
例えば、その行動がやろうと思えばすぐ実行できることだったら「できるのでする」か、「できるけど(何らかの理由で)しない」ということになる。
一方、その行動が何らかの理由で実行できない場合は「できないのでしない(できない)」となる。
少なくとも、行動するかどうかを考えるということは(必要に迫られてのことでなければ)大なり小なりしたいと思っているということだ。
可能だが、検討の結果まぁしなくてもいいか、となるのと、したいけどそもそも不可能であるというのとでは感じるストレスが段違いである。
このストレスの多寡は「なぜできないか」によって変わってくる。原因が自分にあるか、そうでないかだ。
原因が100%自分にあるなら仕方ないという気持ちも出てくるが、外的な要因によってしたいことができなくなっている状態というのはまぁ結構なストレスになる。
ところで、私は一時期カードが使えないことがあった。原因は9割外的な要因だ。
(偶然この文章を読んでいるあなたが求職中の身であったなら、是非とも場当たり的な対応しかしないような会社には入らないようにしてほしい)
(自分が決めた変更がもたらす悪影響を一切考慮しないような人間はマネジメントなんてしちゃいけないと思う)
で、そういう時に限って欲しいものがアレコレと出てくるのだ。そういうものが目につく度に「でも今はできないからな…」という現状の確認と、そうなるに至った原因が頭に浮かぶ。
そもそも金銭のやり取りは生活するにあたって嫌でも発生するので、一日に何度もそれが起きる。
思いつく限りの悪意ある語彙とフレーズをその原因に伝えてやりたくなるが、そんなことをしても疲れるのは自分だ。
怒るのは疲れる。世の中には自分が怒る原因を頑張って探しているような人もいるみたいだけど、その時間でジョギングでもした方が健康に良いと思う。
つまり、私もジョギングとかした方がいいんだろうと思う。でも一年中暑いからなぁ、今住んでるところ。