人生四季折々

人生四季折々、人生の彩となる日々の出来事を美しく楽しく有意義に語り伝えることを無上の楽しみとして描いたい。

京都ゆうゆう歴史街道いづみ路読本・蟹満寺

2018-09-26 14:59:51 | 歴史街道観光ガイド

蟹満寺は、普門山と号し、かつては「紙幡寺」「加波多寺」とも言われました。

白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。

寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。

 

白鳳時代の御本尊と静かに対面できます。

蟹満寺の御本尊は「釈迦如来坐像(国宝)」。

像高2.4メートル、重さ2.2トンの金銅製の巨大仏で、この時代の丈六サイズの金銅仏となると、飛鳥寺の飛鳥大仏、興福寺の仏頭、薬師寺の薬師如来坐像などが残るのみというのですから、本当に貴重なものです。

この時代のここまで立派な仏さまが、当時の中央だった奈良の都から離れた土地に祀られていたというのは、とても不思議な話です。

蟹満寺由来

昔、この里に慈悲深い夫婦と、その一人娘が住んでいました。娘は信仰の心が深く、毎日毎夜観音経の普門品を読誦して観世音菩薩の利生に合掌していました。

ある日、外出した娘は村童が蟹を捕らえて虐めているのを見ました。

娘は見るに堪えず、放すことを勧めましたが童は応ずるはずもなく多少の金銭を与えて買い取って草叢の中に逃がしてやりました。

また、娘の父はいつものように田圃に出て農耕をしていました。藪から出た蛇が蝦蟇をくわえ今にも飲み込もうとしているのを見ました。

蝦蟇は悲鳴を上げて危難を逃れようとする。

娘の父は、蝦蟇を助けたい一心で、蛇に対して「もしその蝦蟇を放してくれたら娘の婿にしよう」と言ってしまいます。

すると蛇は蝦蟇を放し、姿を消します。

蝦蟇の命を救った悦びを味わう暇もなく

父は大きな不安が沸き上がってくるのを恐れていました。鍬を持つ勇気もなく悄然として家に帰りました。妻と娘はあまりにも元気のない、そのさまを見てその訳を尋ねました。田圃で起こった事件を語りその後に起こるであろう不祥事を思い、蛇の執念の恐ろしさを悔いている自分を悲しんでいました。これを聞いた娘は自室に閉じこもり観世音菩薩の救済を信じ普門品を読誦し続けました。その夜、衣冠をつけた若人が門前に現れ、昼間の約束を迫ってきました。

嫁入り支度を言い訳に、三日後に改めて来るようにと男を帰しましたが、その日が来ても約束を守れません。違約を詰って絶叫する若人は、たちまちにして本性を現して蛇体となり家の周囲を巻き始め、隙あらば、潜入せんとその眼光は瞋恚の焔のように、その尻尾は怒りに任せて雨戸を打ち、九仞の底まで響く狂気の沙汰と暴れ始めました。娘がひたすら観音経を唱えていると、大慈大悲の観世音菩薩が髣髴として眼前に示現され「決して恐れることなかれ、平素の善行は、今やその報いが来るであろう。娘はよく我を信じ我を念ずる観音力はこの危難を除くべし」と告げ姿を消しました。

突如、暴音は消え、荒れ狂う絶叫は滅し静寂が訪れました。夜が明けて戸外へ出てみると、ハサミで寸々に切られた大蛇と、無数の蟹の死骸が残されていたのです。親子は観世音菩薩のご守護に感謝し、娘の身代わりとなったたくさんの蟹と蛇の霊を弔うためにお堂を建て、聖観世音さまを祀りました。

 


『京都ゆうゆう・いづみ路読本』発行ご案内

2018-09-25 12:28:06 | 歴史街道観光ガイド

『京都ゆうゆう・いづみ路読本』発行ご案内

https://www.makuake.com/project/yuyudokuhon/

1.歴史文化探索序章
2.椿井大塚山古墳(三世紀後半)
3.蟹満寺
4.神童寺
5.恭仁京跡
6.笠置山寺(後醍醐天皇と大磨崖佛)
7.浄瑠璃寺(国宝・三重塔・阿弥陀如来九体佛)
8.岩船寺(重要文化財・三重塔・石仏)
9.当尾の石仏(70体以上)
10.海住山寺(国宝・五重塔)
11.現光寺(木造十一面観音坐像・指定重要文化財)
12.秘境・南山城村(後醍醐天皇所縁・戀石谷神社など)

 


歴史街道いづみ路-椿井大塚山古墳

2018-09-24 20:24:54 | ハロウイン・クリスマス特集

椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)、京都府木津川市山城町にある椿井大塚山古墳は古墳時代前期の前方後円墳である。
南山城を貫流する木津川が,東の伊賀から山城に抜けて北へと流れを転ずる付近に位置する。
国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に、石室天井石は木津川市指定有形文化財に指定されている。
古墳時代初期の前方後円墳(出現期古墳)である。小林行雄博士は、三角縁神獣鏡を分類して7つの型式に大別した場合、この古墳の出土品では最古型式から4番目までの新しい鏡が含まれていたので、3世紀末の造営とした。



昭和28年(1953)、国鉄奈良線の拡幅工事の際に竪穴式石室が偶然発見され、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土した。

三角縁獣文帯四神四獣鏡
(椿井大塚山古墳出土)
内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面など計36面以上の鏡と武具が出土した。36面以上というのは他の鏡の破片数点が出ているのと盗掘で行方不明になったものがあった可能性が出てきたためであった。
多数の銅鏡を棺の中に入れる習俗が古墳時代前期には西日本や中部地方で急速に拡がった。それらの鏡が、短期間にほぼ同一場所・地域で製作されたと推定されている。
また、日本最古の刀子も出土している。
武器・武具では、鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、銅鏃17本、鉄製甲冑1領が、工具・農具では、鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上が、漁具では、鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本が出土している。このほか、鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品がでている。
三角縁神獣鏡はすべて「舶載鏡」とされるもので,その後,この鏡が大和政権から各地に配布されたとする「同笵鏡論」をはじめ,小林行雄博士が古墳時代論を展開する上での重要資料となり,また大塚山古墳は最古の前方後円墳のひとつとされることになった。
 以上のように,椿井大塚山古墳は,古墳研究史上きわめて重要であるとともに,古墳の規模および副葬品の豊かさの点でも今なお群を抜くものである。


京都ゆうゆう・いづみ路読本

2018-09-23 22:34:50 | 国内・海外旅行

1.観光客の皆様に、ゆったりと歴史街道・いづみ路の自然・歴史・文化を楽しんで頂ける 細かな心配り。
例えば、印象的な写真、大きめの文字、判りやすい地図、レイアウト。

2.若者から年配者まで、思うまま「悠々自適」に楽しんで頂けるように、色々な 選択ができる歴史街道・いづみ路ならではの観光コースをご提案。
例えば、
■歴史探索コース:時間(半日・1 日・2 日)×内容(初級・中級・上級)
■食文化コース:お茶・和食・洋食・ジビエ(自然鳥獣)料理など
■美容健康コース:エステ・ゴルフ・ハイキング

3.リピーターの拡大に繋がる工夫。 例えば、アンケート募集とその分析と公表(季刊誌『生涯青春』に掲載)。

◆目的:京都府南部の山あい・歴史街道・いづみ路の歴史と文化の価値を 広めることを通じて、地域振興に貢献します。
◆内容:皆様が、ゆったり・ゆっくり・思うまま「悠々自適」に 歴史街道・いづみ路を「観る・味わう・学ぶ」ガイドブック。
歴史ある神社仏閣・名所旧跡、石仏・石造美術品、お茶や食事そして文化を ゆうゆうとお楽み頂けるよう編集しています。


『京都ゆうゆう・いづみ路読本』発行ご案内/予約ご注文を受付け中!/

 


◆仕様:新書判サイズ(11cm×21cm)
・全120頁・カラー
◆税別定価:1,000円+消費税
(送料別途200円)
◆発行時期:2018年11月1日