コロナ重篤化から全身麻痺

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そして月日は流れ…

2022-07-30 19:13:00 | 日記
一ヶ月後目が覚めると首から下が一切動かない状態に。
まだこの頃は夢と現実がごちゃごちゃで多分半分眠った状態だった気がする。

夢の中での自分は田舎町で一人暮らししてて、大きな屋敷の美女に一目惚れをしてそこに忍び込むも屋敷の縁側で体が動かなくなりそこの父親から折檻を受けるという夢や、沖縄の診療所でそこの医者に殺されかける夢なんかを見た。

体が動かなくて医者5人くらいに棺桶に入れられて火葬場に詰め込まれ、そこで耳元から大きな音や音楽が流れる。音楽は蛍の光等で、暫く騒音が鳴り響いた後、急にシーンとしたと思ったら機械の女の人の音声で「貴方の人生は終了しました」と言われて、火葬場の火が点火し燃える中、熱くても叫ぶ事も出来ず燃えていった…
目が覚めると砂漠の上に立っており、物凄く喉が渇いている。目の前を女の人が通りかかったので、「すみません。水を頂けませんか?」と声を掛ける。
女の人は無表情で「水はありませんけど、あちらの方向に川がありますよ。けど、行くことはお勧めしません」的な事を告げて去って行った。
教えられた方向に足を向けると、案外すぐに川へと辿り着いた。砂利のある大きな川だ。
ふと後ろを振り返ると、先程まであった砂漠が真っ暗闇になっていてもう戻ることはできない。
向こう岸は暖かそうな光が差し込んでいて、そこに吸い込まれるように川へと足を踏み入れた。
その時「こっちへ来るな」と死んだ父親が向こう岸からそう叫んでいた。
驚いて何度も顔を確認し、「でもお父さんがそこにおるならそっちに行きたい」と告げてまた一歩足を踏み入れた。
「いいからこっちに来るな戻れ」と父親。
「帰り道が分からないからどうすればいいか分からない」と泣きながら告げると。
振り返って歩けばいいと…
真っ暗闇の中を勇気を出して歩くと今度は親戚の叔母さんの家で目を覚ました。
またもや体は動かない…

そんな夢と現実がごちゃごちゃになってはっきりと現実だと理解したのは世間がオリンピックに沸いていた頃だった。

首から下が動かないし、身体中に管が生えてて喉には穴が開いてて呼吸も機械の助けがなければ出来ない状態だった。

勿論喋る事も出来ない。
栄養も点滴で補充され生きてる意味あるのかとさえ思った。
何が一番辛いかって?痒みを伝えるのが一番難しく、辛い。
頭が痒い。背中が痒い。顔が痒い。
全部口パクで伝えるが、看護師によって掻いてくれる時間の長さも強さも違う。
まだ痒いのに「はい終わり」って何処かへ行ってしまうし、また呼ぼうと口をパクパクしてると「また?」って呆れられる。
だって痒いもんは痒いんだよ…貴方だって痒かったら搔くでしょ…
自分はそれが出来ないから看護師に訴えるんだよ…それを面倒臭がらないで欲しい。

トイレ事情も色々あった。
小の方は最初はオムツだったが排尿コントロールがうまく出来ず仕方なくカテーテルを入れた。
でも大はそれが出来ず、オムツでの排便となった。
首から上は動くから目が覚めて一ヶ月後程にナースコールを頬に当てると反応する機械を付けてくれて、排便するとナースコールで看護師を呼ぶ。
2人がかりでお尻を洗ってオムツを変えてくれるのだが、看護師によっては「少々お待ちください」と言い残し、四時間以上も放置される事もあった。
排便の気持ち悪さから何度もナースコールをすると「うるさい。わがまま言うな」と言われて何も出来ない自分自身に酷く落ち込んだ。
暫くわがまま言うなの言葉が頭から離れず、看護師を呼ぶ事を躊躇った。

そして新人ナースの失敗に大問題が起こった。








ホテル療養

2022-07-30 15:16:00 | 日記
保健所からの迎えが来て小さなワゴン車に乗せられホテルへ出発。

他におじさんと若い兄ちゃんが乗っていた。
運転手はもちろんの事、皆んな終始無言のまま、渡された紙に必要事項などを記入して到着を待った。

ホテルに到着後は名前を呼ばれた順に裏口からホテルに入り、そこでホテルでの生活事項を告げられて鍵を渡され一人で部屋へと行かされた。

部屋内は簡素な物で、ベッド一つと机一つと小さなテレビ一台と冷蔵機能が悪い小さな冷蔵庫一台があった。
左側の扉を開ければ、またもや小さなお風呂とトイレと洗面所。
そこに歯ブラシやシャンプーなどを置いてホテル生活を始める準備をする。

早速到着して一時間くらいで夕御飯のチャイムが鳴る。
放送が終わると、部屋を出て所定の場所へと弁当を取りに行き部屋に戻る。
弁当の他にもお茶や水、アクエリアスなどが置いてあり一応飲み放題ではあるらしく、お茶と水を取って部屋へ戻った。

病人が食べるには如何なもんかと疑問を抱くほどの油まみれの弁当はコンビニ弁当よりかは豪勢であり、味もそこそこ美味しくはあったが、ちょっと量に物足りなさは否めない。
自宅から持ってきたカップラーメンを作りそれを頂きながらスマホを弄って友達にホテル生活についてLINEしたり、姉や母に早速の愚痴を聞いてもらったりと初日はまあ何ともなく終わった。

次の日朝食を取りに行き、それを貪り食っていると9時の放送で酸素濃度を測る時間と言われる。
酸素濃度が95%以下になると事務所に電話しなくては行けないらしく、早速酸素濃度93%と表示され、電話をするが、返ってきた言葉は「大きく深呼吸してください。あ、上がりましたか?今何%ですか?96%ですね?なら大丈夫です」との事…
いや、電話切った後また測ったら92%まだ下がったんですけど、本当に大丈夫ですか?

ゴミ捨てやお風呂掃除、洗濯などは自分自身でしなければいけないのだが、3日目辺りから胃痛を感じ始めてそれすら面倒になってきた。
鎮痛剤を貰ってなんとか痛みに耐えてたが、明らかに痛みの頻度が上がり始めている。
鎮痛剤は六時間置きにしか貰えず、友人にこっそり差し入れとして鎮痛剤を持ってきてもらい、三時間置きくらいには飲んでいたと思う。

4日目、昼ごはんの弁当を開けた時、あの油まみれのの匂いが一切感じ取れない。
おかしいと思い何度も鼻を近づけては弁当の匂いを確かめた。
味は普通にするのに、匂いが遠くに感じる。
何か匂いが強い物を嗅いでみたいと、持ってきたコーヒーの粉に鼻を近づけると、物凄く悪臭がする。
例えて言うなら強烈な薬品の匂い。
嗅覚を失ったのは結構ショックだったが、まだ味覚はあると自身を納得させる。

その次の日に味覚もなくなるのだが……

嗅覚も味覚もなくなり、胃痛も鎮痛剤では治らなくなり、酸素濃度も80%を切った時、ようやく医者の診察を受けれる事になった。

診察の時間に部屋の扉のノックが鳴る。
白い防護服を着た男女のどちらなのか分からない人が数人入ってきて、二、三質問して出て行った。
診察とは一体何なのか……

その日の夜熱と胃痛と酸素濃度の低さからベッドから動く事が出来ず、朦朧としている中スマホの画面だけ眺めていた。

そして次の日の朝に電話が鳴り、病院へと移る事が決まった。

病院に行けば暫くお風呂に入らないだろうと思い、無理してお風呂に入った。
途中溺れかけたことも書いておこう……

昼過ぎに迎えが来て担架に乗せられサランラップのような物で周りをぐるぐる巻きにし救急車に乗せられる。

着いた先は街のど真ん中の総合病院。三年前にバイク事故でも入院した場所だ。

病室は四人部屋で入院してきて早々斜め前のお年寄りが明日退院ですねと羨ましいお言葉を頂いてた。
早く退院したい。

ここからは記憶が曖昧になってきてるので、少し時系列がおかしくなってるのは申し訳ない。

入院して2日目くらいには鼻に酸素チューブを入れられて、その次の日には酸素マスクに変わっていた。
看護師が言うには、2週間くらいで退院ですよと言う。
長い一生の間の2週間くらいドンと来いやと意気込んだのも束の間、次の日に告げられたのは「コロナ肺炎と普通の肺炎どちらにもかかっています。このままでは助からないので、エクモに入りましょう」だった。

別室に呼び出され医者と2人きりになり、誓約書にサインをする事に。マジマジと誓約書を読み上げていくと、「一週間後には死んでるかもしれません」とあって、心臓が大きく鼓動を打った。

医者からは「最後に何かしたい事はありますか?」と聞かれる。
最後って何?
しかもこれからエクモに入るのに、やりたい事なんてたかが知れてる……
旅行だってしたいし、家族にも会いたい。美味しい物だって食べたい。
けどここで今すぐ出来ることを選択しなければ行けなくて、考えた挙句、「コーラが飲みたい」だった。

まさかのコーラ。
何でそんな事言ったのか未だに謎だが、その時は多分どうしても飲みたかったのだろう。
母が連絡を受けてコーラ持参で最後の面会をした。
医者からは二口だけと言われたコーラもこっそり三口飲んでやった。

そして面会も終わり、ベッドへと横たわる。
一週間後、死んでるのか生きてるのか、なぜか死んではないと思いながらそのまま意識を失った。

そして一ヶ月が経ち、目が覚める。





コロナ感染

2022-07-30 10:59:00 | 日記
2021年5月21日に夜中鼻詰まりがして中々寝付けず、あーいつものアレルギーがまた出たかと思い、朝から掛かりつけの病院に行くと、取り敢えずレントゲンと採血をすることになり、結果PCRの数値が少し高いから熱が出たら検査をするようにと言われ、病院を出てすぐにPCR検査をしている病院を探し電話。
昼過ぎにそこの病院に伺い、普通の患者が入る玄関ではなく裏から回って入ってくるようにと指示されそこで受付を済まし2階の個室へと移される。
しばらく待つと看護師さんかやってきて、綿棒のような物に唾を含ませ試験管みたいな入れ物にその綿棒を閉まって検査は終了。
熱があったので料金は発生せず、検査結果は明日と言われその日は不安を抱えたまま帰宅。

母にコロナの陽性かもしれないと告げ、不安を抱えたまま次の日を迎えて病院からの連絡を待つ。
知らない番号からの電話が鳴り、恐る恐る取ると、昨日の病院から通話口で「コロナ、陽性でした」と告げられ、色々と説明を受けるも頭に入って来ず、取り敢えず後日保険所から指示がされるとの事でそれまで待つことに。
母をホテルに暫く泊めて自分はペットの犬と自宅で過ごすことに。

2日後保健所からの指示でホテル療養が決まる。

この時点では体調も熱があるだけの感じなので、暫くホテル療養すれば治るだろうとタカを括ってた。
まさかこんな結末になるとも知らずに……


自己紹介

2022-07-30 10:18:49 | 日記
はじめまして!
artと申します。

このブログは日記をメインに書きたいと思い始めました。

2021年5月末日にコロナ重篤化し、エクモ導入後一ヶ月後に全身麻痺になりました。
今はリハビリの成果が出て多少は動けるようになったものの、まだまだ歩行や腕力もなく一苦労しています。

よろしくお願いします!