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「切片群」覚書   橋本真之

2013-12-01 09:52:51 | 橋本真之
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◆『橋本真之展   -切片群-』  於:東京テキスタイル フォーラム


1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。


 銅板を金槌でたたいて曲面を作り、それに継ぎ足しては打ち出し、あるいは絞り、均す。鍛金による制作過程で、円形の銅板を金バサミで切り出してたたき始める時、あるいは新たな銅板を継ぎ足そうとして曲面に合わせる時、切り落とす銅片が出る。それは靴底を突きさす鋭さを持っている。それらの銅片は仕事場の隅に推積して、歩き回わる足下でいつも音をたてていた。私は推積した銅片を金属製造業者達のように銅クズとして売り払って、きれいさっぱりすることも出来たはずであった。生来の不精がそれらの不用な切りクズをいつまでも推積させ続けて来たのだったが、それらの銅片が不意に私に向かって存在の主張を始めたのである。銅を素材にしはじめてから18年もの間、制作中の作品のまだ見えて来ない筋道の先を追って集中する時、また日々疲れた身体を癒しながら、いつも私は漠然と仕事場の隅の方に、銅色の背景としてそれらを見ていた。銅片の山にまぎれさせることが出来ずに、書き物の為のテーブルの上に、切り落としたままの形で別にして来た物もいくつかはあった。私は、それらの存在を選択する上で、価値基準というものがあるとすれば、それは、河原で何かの加減で不意に拾い上げ、それ以来捨て去ることが出来なくなった小石に見るような、きわめて個人的な感覚の偏たりを測る物差しとしてであると思っていた。ところが全ての切片の主張に会って、私の感覚は粟立った。庭の草むしりをしていて、不意に抜くべき草とは何かと迷い始めた人のきわまる混乱だったかも知れない。かつて、海辺の石の全てが私には「林檎」に見え始めた時のように、視覚価値が変質していたのである。ある人が冗談混じりに指摘したように、それは私の肉体の衰えを意味していて、そうした衰えた肉体を持った精神の見る価値転換であったかも知れない。おそらく二十代の私には、それらの銅片を有効に利用する考えを思い付くことは出来ても、そうした視覚価値の変質の岐路に気付くことは出来なかったに違いないのである。
 私には、あらかじめ「切片群」の成立に観念上の企てがあった訳ではない。銅の切れ端を金槌でたたき始めた時、向かうべき指標は何もなかったのである。平らに打ち延ばすことに、意味も目的もあった訳ではない。そして不定形の切りクズを取り上げ、大きな金槌で打ち延べることで、そこに現われる形態の瞬間の変化と判断とに没頭し始めた。そうした時期がしばらく続いた後、ある時、私は直角三角形の銅片を取り上げ、その直角の頂点をたたき始めた。銅片は枯れた葉のように円筒状にまるまった。その円筒の開いた両端に底辺を合わせて空間を閉じようと試みた時、縁同志が接する為に出来る螺線状の有機的な面の現われに、私は心躍らせた。この形態がデッサンや模型によって発想されたのでなく、金槌でたたくことにより発見され、また成り立っているのを自覚した時、真に「切片群」が始まったのである。
 これらの銅片のひとつひとつの形状は、「金属の膜状組織の展開運動」すなわち「運動膜」の制作上、全て必要に応じて切り落としたものであり、いくつかの形状に分類することが出来る。それらの類型の内の変化は、制作している作品展開の、ちょっとしたひねり具合や歪みの差、あるいは失敗が残した形である。それらの残存をそのまま立ち上がらせる作品として、「切片群」が成立し得ると気付いた時、同時に私は「運動膜」という造形概念の外延に向かって手を付け始めていたと気付いた。
 やがて、私はこの「外延」の突端に片足を立て、そこから「運動膜」の中心に向けて大きなひと跨ぎをすることが出来るほどの巨きさに成長するならば、「果樹園」から大きな収穫を得ることになるに違いない。

『橋本真之展  -切片群-』
会期:1994年11月8日(火)~20日(日)
会場:東京テキスタイル フォーラム

※同時期に以下の会場でも「切片群」(その他)の発表を予定してします。

『現代美術の磁場 ‘94』
会期:1994年10月18日(火)~30日(日)
会場:茨城県つくば美術館 (つくば市)

『橋本真之展』
会期:1994年10月18日(火)~30日(日)
会場:アートスペース虹(京都)





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