Songs of the Days Passed

日々の出来事、心に思うことをつれづれなるままに・・・

ぎゃーーー

2006-11-29 14:28:48 | 雑記
いろんなことが時間切れーーー
さらば30分計画よーーー

今日は詩人の朗読会。
あまり朗読会って行ったことがなかったが
院に来てからいろんな声に触れられて楽しい。
今日も楽しみです。

すっかり

2006-11-21 17:49:32 | 雑記
原始人のような生活にひたりきっていますが
私は元気です。
朝からピアノを弾き、歌い、チェロを弾いて、オルガンを聴く。満足。
どうすればこんな音楽の日を死ぬまで続けられるか真剣に考えている。

イアン・ソープが引退してしまうらしい。
練習中突然、人生における水泳の意味がどんでんと彼に立ちはだかったのだ。
考えて、水泳は後回しにして、今は他の事に取り組もう、と決めた。
そのニュースについて、ある友達が
スポーツとか芸術とか、結構一途になりがちな世界の中で、この人は外の事もみていたんだ
とコメントしていたが、ほんとにそうだ。
ひとつのことを追求していくということは、視野が狭いことではない。
むしろ、ひとつのことをめぐって、その枝分かれした根っこをたどって
どんどん他のことに目を向けていき
そこからまた根元を振り返って見る、かえっていく、
という柔軟性がないと意味がない。
常にいろんなアンテナをはりめぐらしている人でいたいと思う。
イアン・ソープの決断に接して、改めてそんな気持ちになった。

最近、自分の身の処し方をよく考える。
周りには着実に行動を起こしている人たちがたくさんいる中で、
何にもしてない、何にもなれないと思ってばかりいる。
アンテナをはって、少しずつ動いていこうと思う。
今の場所に長くはいられない。
やわらちゃんが言っていたように、最大のライバルは過去の私であるという気がする。

未だ

2006-11-07 18:15:40 | 雑記
我が家のネットワークはつながらないので、
平日、学校に行くときしかインターネットを使わない
という生活が続いています。
でも結構これが快適だ。

そんなこんなで、ブログもmixiの日記も最近あまり更新できずにいるため
お前は果たして生きているのか的メッセージも
ちらほらいただきましたが、大丈夫、あたしはぴんぴん生きている~

先週末は、大学の学園祭に行って懐かしい友達に会ったりオルガン聴いたり(しかし純米酒「ばか山」は売り切れていた!)、
アメリカ留学から帰ってきた大学時代のチェロの先輩(今のだめオケでテレビ出演中)と行ったコンサートで将来の日本のクラリネットを代表するであろう素晴らしい才能の演奏を耳にしたり、
院の演習ついでにバルトを読んでみたり、
日本や海外の戯曲をぱらぱらめくってみたり、
久々のエウテルペの練習でリフレッシュしたり、
なんだかんだで楽しい毎日です。

しかし、自分のことは別として、
最近周りの大人たちがずいぶん弱ってきて、あれよあれよと調子を崩しているので
とても心配。
昨日は一週間前に大腸がんの手術をしたおじさんのお見舞いに行って来た。内視鏡を突っ込みながらの手術ということで、腹を切るより身体への負担が軽くすんで、おじさんはもうひょひょいと立って歩いていた。転移があるかもしれないので、まだ不安な日々が続くが、とりあえず一段落。
おじさんは、弟も最近脳腫瘍で手術して、その姿をみて、ああ放っておいちゃいけないと思って精密検査したら病気が分かったのだった。ほんとにこの機会に検査してよかったのだ。
うちの両親も、いろいろ自覚症状があるくせに怖がって病院へ行かない。
もうほんとに病院に行ってちょうだいと思うのだが・・・
もし検査の結果が悪くても、子供の方は全部投げ打って親をサポートしようと決心しているが、親の方もそんなことをさせたくないと思ってしまうわけで。。
しかし、ああ美しき家族愛なんぞと言っている場合ではないのよ~病院行って~!
病気が見つかったって、とにかくそれを受け止めて一つ一つ対処していくしかない。
今元気に生きているんだから、今ある状態を何とかキープしていく方法を探して、たとえば80まで生きたら、それはもう病気に勝ったも同じ、といったお医者さんがいた。
家族がそういう状態を保つためなら、私は命がけでも協力してやる。

中学では生徒が死に、高校では先生が死に、
そんなニュースに
ええいみんな死ぬんじゃない、と
半ば憤りを感じ、
ああ、からだは大事だ。健康オタクになろう。
お父さんとお母さんを助けよう
とひたすら思う秋の一日。