43、深い霧の中
(絵画ダイニングKATARAI、二階アトリエ)
奏士くんと頼さんは、香澄さんの絵の下に座り込み話していた。
奏士くんは、東さんとの事や神道社長との事、
そして、6年ぶりに偶然会った幸雅お兄さんのことも…
頼さんは床に胡座をかいて腕組みをして、
奏士くんの話しを黙って聞いていた。
頼 「んー。そうだったのか…。
でもな、奏士。克服すべきはお前の心の弱さだよ」
奏士「弱さ…」
頼 「ああ。お前の極端な劣等感と、
訳の分からん不安と家族への怒りさ。
自分は東光世や親父さんや兄さんに勝てないという劣等感。
それと、蒼さんが自分から離れていくかもと思う不安だよ。
業界でモデルや俳優をしてる人だって、
周囲から反対されて恋人と離れ離れでも、
愛する相手と別れないで頑張ってる人はごまんと居るはずだ。
きっと必死で周りに潰されない様に、
二人の関係を大切にしてるだろう。
でもそれは、業界の人間に限ったことじゃない。
この世の中には、自分の置かれた立場や、
お前と同じ様に育った環境で、
制約されたり拘束されて自由がない人達だっている。
だから蒼さんが『スター・メソド』のモデルになっても、
今まで通り普通に会社勤めしていても、
二人の気持ちや絆がしっかりしていれば、
なんら変わらないと思うんだが」
奏士「絆…」
頼 「それにお前の兄さんやスター・メソドの社長が何と言おうと、
誰も二人を引き裂くことはできないさ。
お前と蒼さんが信頼して愛し合っていれば、
それが何より強くて揺るぎないものじゃないのか?」
奏士「揺るぎないもの…か」
頼 「ああ。だが、親父さんが一色昌道で、
兄さんが一色幸雅という事実も、
生い立ちも消すことはできない。
今までの親父さんへの怒りも含めて全て受け入れて、
自分を成長させるエネルギーに変えるしかない」
奏士「先輩」
頼 「奏士、俺に言われなくてもそんなことは、
今まで散々悩み苦しんで生きてきたお前なら、
分かってるはずだろ」
奏士「はい…そうですね」
頼 「どうだ?吐き出して少しは落ち着いたか?」
奏士「はい…。ここと(胸を押さえ)
譲に殴られた左頬がまだ痛いですけどね」
頼 「そうか。それは蒼さんと讓、二人の愛の痛みだ。
その痛み絶対忘れるな」
奏士「はい…」
頼 「奏士、今から下行って、
蒼さんに床に頭擦り付けて謝ってこい」
奏士「はい。蒼に謝ります」
頼 「お前さ、端で見てると本当に格好悪い奴だな。
もっとカッコいい生き方しろよ。まったく(笑)」
奏士「はい…(笑)」
そこに二人を心配した讓さんが二階に上がってきた。
讓 「あの、頼先輩。奏士はどうですか?」
頼 「讓、心配かけたな。もう落ち着いたよ」
讓 「そっか、良かった。
奏士、さっきはごめんな。あの、殴ったりして。
で、でもさ、許せなかったんだよ。
お前のあれだ…
ああいう姿を見た蒼さんの辛そうにしてる顔見たらさ、
今にも泣き出しそうだったから、何か僕、カーッときてさ…」
奏士「僕こそさっきはごめん。ありがとうな。
讓、蒼は?どうしてる?」
讓 「それが…帰ったんだ」
奏士「え?」
頼 「蒼さん、帰ったのか!?」
讓「うん。なんか、事務所に大切な書類届けるの忘れたとかで。
でも多分、居辛くなったんじゃないかと思うんだ」
奏士「…僕、今から蒼を追いかけるよ」
讓 「いや、今日はもうそっとしといた方がいいよ。
蒼さんは明日ここに来るって、帰る前に僕と約束したから。
奏士も明日バイト終わったら絶対来て、
その時は蒼さんに謝れよ」
奏士「うん…。分かった」
頼 「奏士、お前はもう一人傷つけた女が居るんだからな。
朱美にも敦美みたいに誤解されない様にちゃんと謝っとけよ」
讓 「そうだよ。みんなの前で、
あんなことされて見てて可哀想だったぞ。
しかも安西から帰れって怒鳴られるしさ」
奏士「ああ…分かったよ」
頼 「ったく。どいつもこいつも。
(香澄の絵を見ながら)
なぁ、香澄。こいつら本当にガキで情けないよなぁ。
いつになったら俺達の手を煩わせないような、
大人の男になるのかなー。
本当に先が思いやられるよ。なぁ(笑)」
頼さんは香澄さんの目を見ながら笑顔で話しかけた。
奏士くんと讓さんはバツ悪そうに、香澄さんの絵を眺めていた。
香澄さんは聖母マリアの様な優しい眼差しで三人を見つめていた。
(神楽坂、東の自宅)
東さんはというと…
神道社長が夕方から自宅に来ていた。
昨日の奏士くんの件とドイツのスケジュールについて話す為に。
東 「え!?…11日に変更!?」
神道「ああ。向こうのスケジュールの関係で、
10日早くなったらしいんだが、11日からドイツに渡って欲しいと、
伯社長から昼連絡があった。
その変わりに、手当ては弾むそうだ。
準備金はお前の口座に振り込んでおいたから確認しておいてくれ」
東 「そんな…度々変更なんてやめてくれ。
それでなくても日にちがなかったのに、
更に10日も早められたら困るんだよ。
まだ充分に準備が出来てないんだぞ。
(12月11日は確か…一色くんの個展開催日だったな。
あの狸、何で10日も早めたんだ。くそっ!)」
神道「はぁーっ(溜め息)仕方ないだろ?
俺もかなり説得したんだが、
あの傲慢社長は一回言い出したら聞かないんだから。
光世。とにかく無理してでも間に合わせろ。
少し経費が掛かってもいいからスケジュールを組み直してくれ。
今日中に、蒼さんに連絡して、
明日は毎日出勤してもらうように言ってくれ。
光世、彼女にモデルとしての自覚を持たせる様な指導宜しくな」
東 「ああ」
神道「ドイツに行くまでは専属のスタイリストも一人付ける予定だから、
赤いメガネも外させて、イメージも一新してくれよ」
東 「ああ、分かったよ」
神道「そうだ。何なら俺の箱根の別荘使ってもいいぞ。
あそこなら誰にも邪魔されずに指導できるだろうし、
ストレス解消がてら二人で泊まり込みで行ってくればいい。
とにかく最高の仕事ができるなら、場所も人材も提供するからな」
東 「二人で泊まり込みって…。
お前さ、僕も自分の会社のスタッフが居るんだ。
いない間の引き継ぎもしなきゃいけない。
のんびり箱根なんて行ってたら仕事できないよ」
神道「お前にチャンスを与えてるんだよ。
今なら、蒼さんをお前のものにできるぞ。
一色幸雅と会った時に分かったんだが、
一色奏士は兄貴や親父との間にかなりの確執があるらしいから、
幸雅さんが仕事に入りだしたら、茜ちゃんとは絡むし、
蒼さんに近づくことに抵抗を感じるだろうな」
東 「生…まさかそれが狙いで!?
一色さんを呼んだのはそれが目的か!?」
神道「勘ぐるのはやめろよ。
それだけの為に仕事を依頼したんじゃない。
俺はそんなせこい男じゃないぞ。
ただあんな酷い確執があるとは想定外だったけどな」
東 「まったく最近のお前は何を考えるのか分からないよ。
今までのお前はもっと実直で正々堂々してたろ」
神道「綺麗事だけで利益ある仕事はできないんだよ。
話しはそれだけだから帰るよ。じゃあ、明日8時に会社でな」
東 「ああ」
神道社長は、東さんに書類を渡すと立ち上がり帰っていった。
東さんはすぐ携帯電話を取り、私に電話をかけた。
(町屋駅前交差点)
私はタクシーを降りて、家に向かって歩いていた。
家の近くのコンビニの前にきたとき、バッグの中の携帯が鳴り、
携帯を出して見ると東さんからだった。
蒼 「(受話ボタンを押す)もしもし」
東 『蒼さん、今話せるかな?』
蒼 「はい…」
すると、後ろから私を呼ぶ声がした。
真一「蒼さん!」
振り返ると、駅の方から走ってくる真一が見えた。
蒼 「あっ、東さん。ちょっと待ってて下さい。
(電話を押さえ)真一さん」
真一「今仕事帰り?…あっ、ごめん。電話中か」
蒼 「今、東さんと電話中なんで、ちょっと待ってて貰えます?」
真一「じゃあ、僕はコンビニで弁当買ってくるよ」
蒼 「ええ」
真一さんはコンビニの中に入っていった。
蒼 「(電話を耳に当てて)東さん、お待たせしてすみません」
東 『いいよ。実はドイツの件なんだけど、
この間話したスケジュールが変更になるんだ。
詳しくは明日話すけど、出発日が12月11日の昼になった』
蒼 「えっ!?11日ですか!?」
東 『ああ。今さっきまで生が来ていて、
伯社長から今日連絡が入ったということなんだ』
蒼 「はい…」
10日も早い旅立ち…
奏士とも今日あんなことがあったのにどうしよう…
私達どうなるの…
東 『…それで、明日から毎日スター・メソド出社して欲しいんだ。
交通費は明日会社で申請書を渡すからね』
私はお酒を飲んでいたのと、
今日1日の目まぐるしい変化についていけない自分がいて、
急に動悸と息切れを感じ、目の前の景色がぐるぐる回りだした。
そしてふらっとした後、携帯を持ったままその場に倒れたのだ。
カシャッ(携帯を落とす音)
東 『もしもし。蒼さん?…』
女性「ちょっと!貴女大丈夫ですか!?」
ちょうど前を通り掛かった女性が、
倒れた私に気がついて駆け寄ってきた。
女性「大丈夫ですか!?あの!誰かすみません!」
女性の叫び声にコンビニにいたお客さんや、
通りにいた人達が数人集まってきた。
男性A「救急車呼んだらどうだ!意識ある!?」
女性 「呼びかけても意識が無くて」
男性B「脈や呼吸は!」
当たりはざわざわしている。
コンビニから出てきた真一さんも倒れた私に気がついて駆け寄った。
真一 「蒼さん!どうしたんですか?」
女性 「電話してたみたいですけど、私の目の前で急に倒れて」
男性A「あんたの知り合いか!?」
真一 「はい!友人です。
病院に連れて行きますので、
すみませんが誰かタクシー呼んで下さい!」
男性B「よし!俺が呼ぼう」
女性 「私、病院に電話します!
尾久の医療センターでいいですよね!?」
真一 「はい!お願いします。
(蒼の傍の落ちた携帯を取り)もしもし!?東さんですか」
東 『もしもし!あの、貴方は!?蒼さんに何かあったんですか!』
真一「東さん!紺野です!蒼さんが倒れて、
今から医療センターに連れて行きますから一度電話切ります!」
東 『え!?紺野さん!医療センターってどこの!?』
真一「今町屋なんで。また連絡します(携帯切る)蒼さん!」
真一さんは私のバッグを肩に掛け、私を抱いて髪を撫でていた。
そうするうちにタクシーがコンビニの前に着き、
真一さんは私を抱きかかえて、
通りにいる人達にサポートして貰いながら、
タクシーに乗り医療センターに向かった。
私はめまいの中、また夢を見ていた。
また、穂乃佳さんが湖に佇み微笑んで話しかける。
蒼 「穂乃佳さん…」
穂乃佳さんは私に鎖のついた鍵を渡し、透き通った声で言った。
穂乃佳「シャロン・アン・シャンパーニュ…
レビュブリック広場のホテル…」
蒼 「穂乃佳さん。この鍵は?レビュ…何?広場のホテル?」
穂乃佳「蒼さん…光世をお願い…鍵を…お願い…(後ろを向く)」
蒼 「穂乃佳さん、行かないで!お願いだから分かるように教えてよ」
穂乃佳「お願い…お願いよ…」
穂乃佳さんはまたそういうと霧の中へ消えていった。
蒼 「お願いって…穂乃佳さん…行かないで…
もう…奏士…私どうしたらいいの…教えて…」
(尾久、救急医療センター)
私は病院で治療を終えて処置室のベッドで眠っていた。
真一さんは救急医の病状説明を聞いていた。
救急医「検査の結果、貧血がありました。
赤血球の数値も鉄分も数値が低かったので、
貧血からくるめまいで倒れられたようですね」
真一 「そうですか」
救急医「治療中に意識が戻りましたし、
今は処置室で点滴をしています。
お酒を飲まれていたようですが。
様子を見て落ち着いたら帰られていいですよ」
真一 「はい。ありがとうございました」
救急医「では、お大事に」
真一さんは診察室を出て処置室に入ると、
私の眠るベッドの横に来て、椅子に腰掛けた。
そして手を握ると自分の頬に近づけた。
真一「蒼さん…」
私は、傍らで心配する真一さんが居ることも知らずに、
夢の中で必死に霧の中を走り回り、
奏士くんと穂乃佳さんを探していたのだ。
私自身が深い深い霧の中に迷い込んだ迷子のように…
(続く)
この物語はフィクションです。
(絵画ダイニングKATARAI、二階アトリエ)
奏士くんと頼さんは、香澄さんの絵の下に座り込み話していた。
奏士くんは、東さんとの事や神道社長との事、
そして、6年ぶりに偶然会った幸雅お兄さんのことも…
頼さんは床に胡座をかいて腕組みをして、
奏士くんの話しを黙って聞いていた。
頼 「んー。そうだったのか…。
でもな、奏士。克服すべきはお前の心の弱さだよ」
奏士「弱さ…」
頼 「ああ。お前の極端な劣等感と、
訳の分からん不安と家族への怒りさ。
自分は東光世や親父さんや兄さんに勝てないという劣等感。
それと、蒼さんが自分から離れていくかもと思う不安だよ。
業界でモデルや俳優をしてる人だって、
周囲から反対されて恋人と離れ離れでも、
愛する相手と別れないで頑張ってる人はごまんと居るはずだ。
きっと必死で周りに潰されない様に、
二人の関係を大切にしてるだろう。
でもそれは、業界の人間に限ったことじゃない。
この世の中には、自分の置かれた立場や、
お前と同じ様に育った環境で、
制約されたり拘束されて自由がない人達だっている。
だから蒼さんが『スター・メソド』のモデルになっても、
今まで通り普通に会社勤めしていても、
二人の気持ちや絆がしっかりしていれば、
なんら変わらないと思うんだが」
奏士「絆…」
頼 「それにお前の兄さんやスター・メソドの社長が何と言おうと、
誰も二人を引き裂くことはできないさ。
お前と蒼さんが信頼して愛し合っていれば、
それが何より強くて揺るぎないものじゃないのか?」
奏士「揺るぎないもの…か」
頼 「ああ。だが、親父さんが一色昌道で、
兄さんが一色幸雅という事実も、
生い立ちも消すことはできない。
今までの親父さんへの怒りも含めて全て受け入れて、
自分を成長させるエネルギーに変えるしかない」
奏士「先輩」
頼 「奏士、俺に言われなくてもそんなことは、
今まで散々悩み苦しんで生きてきたお前なら、
分かってるはずだろ」
奏士「はい…そうですね」
頼 「どうだ?吐き出して少しは落ち着いたか?」
奏士「はい…。ここと(胸を押さえ)
譲に殴られた左頬がまだ痛いですけどね」
頼 「そうか。それは蒼さんと讓、二人の愛の痛みだ。
その痛み絶対忘れるな」
奏士「はい…」
頼 「奏士、今から下行って、
蒼さんに床に頭擦り付けて謝ってこい」
奏士「はい。蒼に謝ります」
頼 「お前さ、端で見てると本当に格好悪い奴だな。
もっとカッコいい生き方しろよ。まったく(笑)」
奏士「はい…(笑)」
そこに二人を心配した讓さんが二階に上がってきた。
讓 「あの、頼先輩。奏士はどうですか?」
頼 「讓、心配かけたな。もう落ち着いたよ」
讓 「そっか、良かった。
奏士、さっきはごめんな。あの、殴ったりして。
で、でもさ、許せなかったんだよ。
お前のあれだ…
ああいう姿を見た蒼さんの辛そうにしてる顔見たらさ、
今にも泣き出しそうだったから、何か僕、カーッときてさ…」
奏士「僕こそさっきはごめん。ありがとうな。
讓、蒼は?どうしてる?」
讓 「それが…帰ったんだ」
奏士「え?」
頼 「蒼さん、帰ったのか!?」
讓「うん。なんか、事務所に大切な書類届けるの忘れたとかで。
でも多分、居辛くなったんじゃないかと思うんだ」
奏士「…僕、今から蒼を追いかけるよ」
讓 「いや、今日はもうそっとしといた方がいいよ。
蒼さんは明日ここに来るって、帰る前に僕と約束したから。
奏士も明日バイト終わったら絶対来て、
その時は蒼さんに謝れよ」
奏士「うん…。分かった」
頼 「奏士、お前はもう一人傷つけた女が居るんだからな。
朱美にも敦美みたいに誤解されない様にちゃんと謝っとけよ」
讓 「そうだよ。みんなの前で、
あんなことされて見てて可哀想だったぞ。
しかも安西から帰れって怒鳴られるしさ」
奏士「ああ…分かったよ」
頼 「ったく。どいつもこいつも。
(香澄の絵を見ながら)
なぁ、香澄。こいつら本当にガキで情けないよなぁ。
いつになったら俺達の手を煩わせないような、
大人の男になるのかなー。
本当に先が思いやられるよ。なぁ(笑)」
頼さんは香澄さんの目を見ながら笑顔で話しかけた。
奏士くんと讓さんはバツ悪そうに、香澄さんの絵を眺めていた。
香澄さんは聖母マリアの様な優しい眼差しで三人を見つめていた。
(神楽坂、東の自宅)
東さんはというと…
神道社長が夕方から自宅に来ていた。
昨日の奏士くんの件とドイツのスケジュールについて話す為に。
東 「え!?…11日に変更!?」
神道「ああ。向こうのスケジュールの関係で、
10日早くなったらしいんだが、11日からドイツに渡って欲しいと、
伯社長から昼連絡があった。
その変わりに、手当ては弾むそうだ。
準備金はお前の口座に振り込んでおいたから確認しておいてくれ」
東 「そんな…度々変更なんてやめてくれ。
それでなくても日にちがなかったのに、
更に10日も早められたら困るんだよ。
まだ充分に準備が出来てないんだぞ。
(12月11日は確か…一色くんの個展開催日だったな。
あの狸、何で10日も早めたんだ。くそっ!)」
神道「はぁーっ(溜め息)仕方ないだろ?
俺もかなり説得したんだが、
あの傲慢社長は一回言い出したら聞かないんだから。
光世。とにかく無理してでも間に合わせろ。
少し経費が掛かってもいいからスケジュールを組み直してくれ。
今日中に、蒼さんに連絡して、
明日は毎日出勤してもらうように言ってくれ。
光世、彼女にモデルとしての自覚を持たせる様な指導宜しくな」
東 「ああ」
神道「ドイツに行くまでは専属のスタイリストも一人付ける予定だから、
赤いメガネも外させて、イメージも一新してくれよ」
東 「ああ、分かったよ」
神道「そうだ。何なら俺の箱根の別荘使ってもいいぞ。
あそこなら誰にも邪魔されずに指導できるだろうし、
ストレス解消がてら二人で泊まり込みで行ってくればいい。
とにかく最高の仕事ができるなら、場所も人材も提供するからな」
東 「二人で泊まり込みって…。
お前さ、僕も自分の会社のスタッフが居るんだ。
いない間の引き継ぎもしなきゃいけない。
のんびり箱根なんて行ってたら仕事できないよ」
神道「お前にチャンスを与えてるんだよ。
今なら、蒼さんをお前のものにできるぞ。
一色幸雅と会った時に分かったんだが、
一色奏士は兄貴や親父との間にかなりの確執があるらしいから、
幸雅さんが仕事に入りだしたら、茜ちゃんとは絡むし、
蒼さんに近づくことに抵抗を感じるだろうな」
東 「生…まさかそれが狙いで!?
一色さんを呼んだのはそれが目的か!?」
神道「勘ぐるのはやめろよ。
それだけの為に仕事を依頼したんじゃない。
俺はそんなせこい男じゃないぞ。
ただあんな酷い確執があるとは想定外だったけどな」
東 「まったく最近のお前は何を考えるのか分からないよ。
今までのお前はもっと実直で正々堂々してたろ」
神道「綺麗事だけで利益ある仕事はできないんだよ。
話しはそれだけだから帰るよ。じゃあ、明日8時に会社でな」
東 「ああ」
神道社長は、東さんに書類を渡すと立ち上がり帰っていった。
東さんはすぐ携帯電話を取り、私に電話をかけた。
(町屋駅前交差点)
私はタクシーを降りて、家に向かって歩いていた。
家の近くのコンビニの前にきたとき、バッグの中の携帯が鳴り、
携帯を出して見ると東さんからだった。
蒼 「(受話ボタンを押す)もしもし」
東 『蒼さん、今話せるかな?』
蒼 「はい…」
すると、後ろから私を呼ぶ声がした。
真一「蒼さん!」
振り返ると、駅の方から走ってくる真一が見えた。
蒼 「あっ、東さん。ちょっと待ってて下さい。
(電話を押さえ)真一さん」
真一「今仕事帰り?…あっ、ごめん。電話中か」
蒼 「今、東さんと電話中なんで、ちょっと待ってて貰えます?」
真一「じゃあ、僕はコンビニで弁当買ってくるよ」
蒼 「ええ」
真一さんはコンビニの中に入っていった。
蒼 「(電話を耳に当てて)東さん、お待たせしてすみません」
東 『いいよ。実はドイツの件なんだけど、
この間話したスケジュールが変更になるんだ。
詳しくは明日話すけど、出発日が12月11日の昼になった』
蒼 「えっ!?11日ですか!?」
東 『ああ。今さっきまで生が来ていて、
伯社長から今日連絡が入ったということなんだ』
蒼 「はい…」
10日も早い旅立ち…
奏士とも今日あんなことがあったのにどうしよう…
私達どうなるの…
東 『…それで、明日から毎日スター・メソド出社して欲しいんだ。
交通費は明日会社で申請書を渡すからね』
私はお酒を飲んでいたのと、
今日1日の目まぐるしい変化についていけない自分がいて、
急に動悸と息切れを感じ、目の前の景色がぐるぐる回りだした。
そしてふらっとした後、携帯を持ったままその場に倒れたのだ。
カシャッ(携帯を落とす音)
東 『もしもし。蒼さん?…』
女性「ちょっと!貴女大丈夫ですか!?」
ちょうど前を通り掛かった女性が、
倒れた私に気がついて駆け寄ってきた。
女性「大丈夫ですか!?あの!誰かすみません!」
女性の叫び声にコンビニにいたお客さんや、
通りにいた人達が数人集まってきた。
男性A「救急車呼んだらどうだ!意識ある!?」
女性 「呼びかけても意識が無くて」
男性B「脈や呼吸は!」
当たりはざわざわしている。
コンビニから出てきた真一さんも倒れた私に気がついて駆け寄った。
真一 「蒼さん!どうしたんですか?」
女性 「電話してたみたいですけど、私の目の前で急に倒れて」
男性A「あんたの知り合いか!?」
真一 「はい!友人です。
病院に連れて行きますので、
すみませんが誰かタクシー呼んで下さい!」
男性B「よし!俺が呼ぼう」
女性 「私、病院に電話します!
尾久の医療センターでいいですよね!?」
真一 「はい!お願いします。
(蒼の傍の落ちた携帯を取り)もしもし!?東さんですか」
東 『もしもし!あの、貴方は!?蒼さんに何かあったんですか!』
真一「東さん!紺野です!蒼さんが倒れて、
今から医療センターに連れて行きますから一度電話切ります!」
東 『え!?紺野さん!医療センターってどこの!?』
真一「今町屋なんで。また連絡します(携帯切る)蒼さん!」
真一さんは私のバッグを肩に掛け、私を抱いて髪を撫でていた。
そうするうちにタクシーがコンビニの前に着き、
真一さんは私を抱きかかえて、
通りにいる人達にサポートして貰いながら、
タクシーに乗り医療センターに向かった。
私はめまいの中、また夢を見ていた。
また、穂乃佳さんが湖に佇み微笑んで話しかける。
蒼 「穂乃佳さん…」
穂乃佳さんは私に鎖のついた鍵を渡し、透き通った声で言った。
穂乃佳「シャロン・アン・シャンパーニュ…
レビュブリック広場のホテル…」
蒼 「穂乃佳さん。この鍵は?レビュ…何?広場のホテル?」
穂乃佳「蒼さん…光世をお願い…鍵を…お願い…(後ろを向く)」
蒼 「穂乃佳さん、行かないで!お願いだから分かるように教えてよ」
穂乃佳「お願い…お願いよ…」
穂乃佳さんはまたそういうと霧の中へ消えていった。
蒼 「お願いって…穂乃佳さん…行かないで…
もう…奏士…私どうしたらいいの…教えて…」
(尾久、救急医療センター)
私は病院で治療を終えて処置室のベッドで眠っていた。
真一さんは救急医の病状説明を聞いていた。
救急医「検査の結果、貧血がありました。
赤血球の数値も鉄分も数値が低かったので、
貧血からくるめまいで倒れられたようですね」
真一 「そうですか」
救急医「治療中に意識が戻りましたし、
今は処置室で点滴をしています。
お酒を飲まれていたようですが。
様子を見て落ち着いたら帰られていいですよ」
真一 「はい。ありがとうございました」
救急医「では、お大事に」
真一さんは診察室を出て処置室に入ると、
私の眠るベッドの横に来て、椅子に腰掛けた。
そして手を握ると自分の頬に近づけた。
真一「蒼さん…」
私は、傍らで心配する真一さんが居ることも知らずに、
夢の中で必死に霧の中を走り回り、
奏士くんと穂乃佳さんを探していたのだ。
私自身が深い深い霧の中に迷い込んだ迷子のように…
(続く)
この物語はフィクションです。
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