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Armed Forces of Philippin,AFP2

2013-03-26 17:45:17 | 日記


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[編集] 大戦後

モロ・イスラム解放戦線の兵士。

1946年7月、フィリピン第三共和国が成立し、正式に独立が達成された。

しかしアメリカへの依存関係を脱却するには至らず、軍事的にも、1947年に締結された比米軍事基地協定によって冷戦構造の中で合衆国の反共主義の前線基地として位置づけられ、実質的な独立を達成できなかった[6]。

大戦中、フィリピン軍・アメリカ極東陸軍を母体とするユサッフェ・ゲリラとともに、農民運動を母体とした抗日武装組織としてフクバラハップが結成されていた。

大戦中は両者の関係は良好であり、しばしば協同して作戦行動を行なった。

しかし戦後共和国政府は徹底してフクバラハップを敵対視し、1948年3月にはロハス政権によってフクバラハップと全国農民同盟は非合法化され、ルソン島では政府軍と地主の私兵とフクバラハップとの間で戦闘が繰り広げられた。

フクバラハップは、一時は首都攻略まで噂されるほど勢力をのばしていたものの、アメリカからの軍事援助を受けたフィリピン軍が勢力を盛り返し、ラモン・マグサイサイ国防相による討伐作戦によって1950年10月には共産ゲリラの司令塔だったフィリピン共産党 (PKP)が壊滅し、翌1951年にはフクバラハップそのものも実質的に壊滅に追い込まれた。

しかしフクバラハップ支持の源泉であった農村問題に対する農地改革は不徹底に終り、1965年以降のフェルディナンド・マルコス大統領による独裁体制に対する反発もあり、1960年代末にはフィリピン共産党 (CPP)の武装部門である新人民軍(NPA)および民族民主戦線(NDF)、1970年にはモロ民族解放戦線(MNLF)が武装闘争を開始、フィリピン軍は再び対反乱作戦を余儀なくされることとなった。

この一方で、フィリピン軍は、国連軍の一員として朝鮮戦争に参戦した。韓国派遣フィリピン軍(PEFTOK)は、第2,10,14,19,20の計5個大隊戦闘団より編成され、兵力7,500名、国連軍で4番目に大きな勢力であった。

また、フィリピン軍は国際連合平和維持活動など、海外での戦争以外の軍事作戦にも積極的に参加している。主な参加活動は下記のとおりである。

国際連合コンゴ活動(1963年)

国際連合カンボジア暫定統治機構(1992~1993年)

東ティモール国際軍→国際連合東ティモール暫定行政機構(1999年)

国際連合東ティモール支援団(2004~2005年)

国際連合リベリア・ミッション(2003年~)

国際連合ブルンジ活動(2004~2006年)

国際連合ハイチ安定化ミッション(2004年~)

国際連合コートジボワール活動(2004年~)

国際連合インド・パキスタン軍事監視団(2009年~)

国際連合兵力引き離し監視軍(2009年~)


[編集] 国防改革プログラム

国防改革プログラムのロードマップ。

1999年10月、フィリピン国防省とアメリカ国防総省は、共同防衛評価(JDA)計画を開始した。

2003年に発表された報告書(2003 JDA)は、フィリピン軍には、もっとも重要な任務であっても、部分的に遂行できる程度の能力しか備わっていないという、驚くべき指摘を行なった。

2003 JDAは、具体的に、下記の各領域での問題点を指摘した。

政策立案への体系的なアプローチ

人事管理とリーダーシップ

防衛費と予算

装備の取得

補給・整備

既存装備の品質保証

施設支援


2003年10月、ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領がフィリピンを訪問した際、グロリア・アロヨ大統領とともに、JDAにより指摘された問題点を解決するための施策の推進を発表した。

これを受けて2004年、フィリピン軍は、フィリピン国防改革プログラム(Philippine Defense Reform,PDR)を開始した。

これは、国防部門の短期的・長期的改革を目的としたもので、下記の10要件を備えている[7]。

複数年度防衛計画システム(MYDPS)

情報・作戦・教育訓練の能力向上

兵站の能力向上

専門能力開発プログラムの改良

人事管理システムの改良

複数年度能力向上プログラム(CUP)

防衛予算の最適化とマネジメントの改善

専門要員による、国防装備の取得に関する中央管理システム

戦略レベルでの通信能力の開発・獲得

情報管理の開発プログラム


PDRは、フェーズ1: 下地作り(2004~5年)、フェーズ2: 防衛体制の確立(2005~7年)、フェーズ3: 改革の遂行と制度化(2007~10年)の3つのフェーズに分けて進められる計画であった。

計画の進捗はおおむね順調であるが、主に予算不足により、その影響は、期待よりも限られたものとなる恐れが指摘されている[8]。


[編集] 編制

フィリピン軍は、平時より統合運用を行なっている。すなわち、全ての実戦部隊は、7つの地域別統合軍(方面隊)のいずれかに編入されており、各軍種はフォース・プロバイダーの役割に徹している。

これは、アメリカ軍の統合軍方式に近い体制である。

北ルソン方面隊 (NOLCOM)-タルラック州タルラック市に所在しており、ルソン島北部を管轄している。

第5歩兵師団(陸軍)

第7歩兵師団(陸軍)

第1戦術航空団(空軍)

北ルソン方面海軍部隊(海軍)

南ルソン方面隊 (SOLCOM)-ケソン州ルセナ市に所在しており、ルソン島南部を管轄している。

第2歩兵師団(陸軍)

第9歩兵師団(陸軍)

南ルソン方面海軍部隊(海軍)

首都圏方面隊 (NCRCOM)-ケソン市に所在しており、マニラ首都圏を管轄している。

中央方面隊 (CENTCOM)-セブ州セブ市に所在しており、ヴィサヤ諸島を管轄している。

第3歩兵師団(陸軍)

第8歩兵師団(陸軍)

第2戦術航空団(空軍)

中央方面海軍部隊(海軍)

西部方面隊 (WESCOM)-パラワン州プエルト・プリンセサに所在しており、パラワン州に加えて、南沙諸島の一部(カラヤーン群島)を管轄している。

西部方面海軍部隊(海軍)

東ミンダナオ方面隊 (EASTMINCOM)-南ダバオ州ダバオ市に所在しており、ミンダナオ島東部を管轄している。

第4歩兵師団(陸軍)

第6歩兵師団(陸軍)

第10歩兵師団(陸軍)

東ミンダナオ方面海軍部隊(海軍)

第3戦術航空団(空軍)

西ミンダナオ方面隊 (WESTMINCOM)-サンボアンガ独立市に所在しており、ミンダナオ島西部を管轄している。

第1歩兵師団(陸軍)

第2レンジャー斥候大隊(陸軍)

第1軽即応大隊(陸軍)

西ミンダナオ方面海軍部隊(海軍)

第3戦術回転翼航空団(空軍)


[編集] 陸軍

フィリピン陸軍は、120,000名の常備軍を擁している。

陸軍司令部はマニラ首都圏タギッグのボニファシオ基地に所在しており、陸軍軍人の最高位は陸軍総司令官で、少将が補職される。


[編集] 編制

戦略単位として師団、作戦単位として旅団、戦術単位として大隊が採用されている。

師団長は少将、旅団長は准将/大佐が補職される。

師団の上部組織は各統合軍であるため、これより大規模な陸軍部隊は編成されていない。

なお一部の部隊は、予備役であるCAFGUによって充当されている。

これは日本の即応予備自衛官に相当するものである。

第1歩兵師団- 第101~104の4個歩兵旅団に編成

第5歩兵大隊(CAFGU)

第10歩兵大隊

第18歩兵大隊(CAFGU)

第32歩兵大隊

第33歩兵大隊

第35歩兵大隊

第44歩兵大隊

第51歩兵大隊

第53歩兵大隊

第55歩兵大隊

第2歩兵師団- 第201,202,204の3個歩兵旅団に編成

第1歩兵大隊

第4歩兵大隊

第16歩兵大隊

第59歩兵大隊

第68歩兵大隊

第74歩兵大隊

第76歩兵大隊

第80歩兵大隊

第3歩兵師団- 第301,302など3個歩兵旅団に編成

第4歩兵師団
- 第401~403の3個歩兵旅団に編成

第8歩兵大隊

第23歩兵大隊

第29歩兵大隊

第30歩兵大隊

第36歩兵大隊

第50歩兵大隊

第58歩兵大隊

第69歩兵大隊

エヴァンジェリスタ基地病院(CESH)

第10野戦砲兵大隊(10FAB)

第4師団訓練隊(4DTU)

第4陸軍訓練群(4ATG)

第5歩兵師団- 7個大隊を3個歩兵旅団に編成

第6歩兵師団- 13個大隊を4個歩兵旅団に編成

第7歩兵師団- 第702,703の2個歩兵旅団に編成

第3歩兵大隊

第24歩兵大隊

第48歩兵大隊

第56歩兵大隊

第70歩兵大隊

第71歩兵大隊

第3機械化歩兵大隊

第71~73師団偵察中隊

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