「彗揚会賞」記念メダルが卒業から36年を経て届きました。
「彗揚会」とは福岡大学工学部建築学科の同窓会で、「彗揚会賞」は在校生の卒業計画で優秀な作品に与えられるもので、賞状と、記念品が卒業時に授与されています。
大学の卒業時、ずいぶん前の話です。なぜ今頃、受け取ることになったか、実は、私の卒業時はまだ記念品ができていない時期で、記念メダルの目録のみいただいていました。
この記念メダルは卒業生の善意による寄付によって造られたもので、卒業後7~8年してお金が集まり、同窓会の時、授与式があったようですが、出席ができず、そのままになっていたというわけです。
今年になって、事務局の方から連絡があり、今さらとは思いましたが、郵送して頂けるということでしたので、お願いしておりました。無事届きました。少しの間、初心に返るというか、純粋?な時の自分を感じる機会になり、良かったと思います。ありがとうございました。
彗揚会賞 受賞者
メダルの表は写真等で、見ることもありますが、なかなか見る機会のない記念メダルの裏です。準銀製 51.5 gで、受賞年の刻印があります。1980年、36年前ですか。歳をとりました。
本当に今さらなのですが、ちょっとの間、当時を思い出してみました。
今考えると、恥ずかしい限りで、「彗揚会賞」に値するか疑問が残ります。見栄えの問題でしょうか。
現在では、区画整理が行われて、ずいぶん変わってしまった福岡市東区香椎駅前地区の整備計画の中心施設を考えたものでした。
現実の立地条件、地区整備計画にはあまり深く関わらずに、単に場所的に香椎に「COMMUNITY ART CENTER」を計画しましたという感じで、笑ってしまいます。
A1サイズのケント紙 11枚(図面10枚+完成予想図)の作品でした。当時はCADもワープロもなく、文章も手書きで、図面は鉛筆で下書きして、墨入れで仕上げ、さすがに烏口は使ってませんでしたが、修正もきかず結構たいへんでした。
当時のエスキスが約50枚ぐらい残っています。赤書きは、故加藤隆一先生の添削部分です。加藤先生は残念ながら今年の初めに亡くなられました。
20数年前、私の結婚式の時お会いしたのが最後になりました。
30数年経って、当時のエスキスを見ていると、今と同じようなことやっているなあと思います。
だいたいにおいて、切羽詰まらないと、本気になれないのは今に始まったことではないのです。
卒業計画にしても、実際、取りかかりがおそく(就職が決まった頃から)締め切りに間に合わないかもしれないという恐怖と戦いながら進めていました。
エスキスの3枚目にカレンダーが残っていますが、図面開始が12月15日となっています。1次提出1月19日、最終締め切りが2月4日と書き込みが残っているので、図面11枚を1ヶ月あまりで、仕上げるわけで、1枚3日のペースです。お陰で、この1ヶ月半の間は、ほとんど睡眠時間3時間というブラック企業真っ青という感じでした。
最終提出の日、車を運転して帰るとき、信号で止まると、思わず居眠りしていました。国道を走っていて、センターラインの縁石に乗り上げて、何回目をさましたことか、家にたどり着くまで、怖かったことを覚えています。
この時、「しまった。職業を間違えた。」と思いました。その後、思った通り、同じような生活が待っていました。一般の人にはなかなかわからない感覚です。