白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

月夜のピアノ・マン (その8)

2021年03月29日 18時12分19秒 | 星の杜観察日記
 新幹線の駅はいつも緊張する。天井が高くて建物が大きいし、とにかく人通りが多い。お店が多くて目が回る。でも王子様の護衛が3人も一緒なので大丈夫。ノン太と鷹史さんと先生。
 実はあの夜以来、鷹史さんと話すのを避けていた。何と言っていいかわからなくて、できるだけ考えないようにしていた。だいたいノン太とセットなので、鷹史さんと2人で話す機会などないから、避けていてもなんとかなったのだ。
 今日は人混みの中で先生が大丈夫かという方が気になって、鷹史さんと気まずいのを忘れていた。面白いことに、先生にぶつかる人は誰もいなかった。すり抜けるというわけでもなく、人の方がスルリと避けて通って行くのだ。

「到着ホームまで迎えに行って来るから、先に店に入って席取っておいて」とノン太が言って、構内に消えて行った。どうやらお母さんがちょっとのんびりした人で、人混みに流されて自分がどこにいるのかすぐわからなくなっちゃうらしい。指定席番号を把握して、出口で捕獲するのが一番確実なのだとノン太は言った。大人ってみんなしっかりして自分のことは何でもできるものかと思っていたけど、大人でもそんなぼんやりした人がいるんだ。私は何だか、ノン太のお母さんが好きになった。でも都ちゃんに会うのは緊張する。いろんな話を先に聞き過ぎて、期待が大きい分、期待し過ぎてがっかりしたらどうしようという気持ちもあるのだ。好みの本がバッチリ同じだった。これまでノン太や咲さんに聞いた話も、好印象なエピソードばかり。友達になれるかな。でも会って、私のことがっかりされたりして。いつも内心不平不満ばっかりで怒ってて、ぐちぐち考える鬱陶しいコなんて嫌がられるかも。

「瑠那。ちゃんと前を見なさい。迷子になるぞ」
 先生に肩をぐっと押された。考え込んで手足がお留守になっていた。先を歩いている鷹史さんが手招きしている。抹茶スイーツの人気店だ。都ちゃんとノン太のお母さんが楽しみにしているらしい。雑誌やテレビでも紹介されて一時期は行列のできる店だったらしいが、今日はそれほど待たずに入れた。
「後から3人来ます」
「では5人ですね」
 先生は勘定に入っていない。私がちらっと先生を見上げると、大丈夫だ、というようにニコッと笑った。ホタルはいつも半分浮いているようなものなので、椅子に座らなくても疲れないらしい。
(ここ、時間かかるからもう注文しておこう)と鷹史さんがメニューを差し出した。
(都と希さんの注文は聞いてあるから。瑠那は何にする)
 え。どうしよう。抹茶スイーツばかり20種類ぐらいあるのだ。すぐには決められない。
「都ちゃんは何にするの?」
(抹茶シフォンケーキの抹茶ソースかけ抹茶アイスセット。希さんは抹茶フラッペ二色白玉団子粒あん入り)
 悩んだが抹茶チョコのフォンダンショコラ抹茶アイス添えにした。
「先生にも味見させてあげるね」
「ありがとう」
 先生は笑っている。今日は神社を出てからずっと笑っているのだ。これまで商店街の買い物や小学校もいつも先生と一緒だけど、こんなに遠出をしたのは初めてだ。私が先生を守ってやらなきゃと張り切っていたのだが、何の問題もなくスムーズに人混みをスタスタ、いつもの着流しと雪駄で歩いているので、やや拍子抜けしたぐらいなのだ。
「先生の分、何か頼んであげようか? コーヒー、好きでしょう」
「鷹史からもらうからいいよ。一杯丸ごとでは持て余してしまう」
「そうなの?」
 鷹史さんの方を見るといつもの5歳児のような顔でニコニコしている。

 ダメだな。こうやってまた私は問題から逃げてしまう。でも突き詰めていい問題とそうでないものがある。住吉の問題は、私がよくわからないままズケズケ踏み込むには、わからないことが多過ぎるのだ。

 鷹史さんがふいっと顔を上げると席を立って、店の外に出て行った。そしてすぐ4人の人を連れて戻って来た。
 ノン太と並んで立っているのは多分、希さん。鷹史さんが手をつないで連れて来たコは私と同じくらいの背格好だった。このコがきっと都ちゃん。そしてもうひとり。都ちゃんの後ろに新さんがいた。
 私も学習した。東京から着いた新幹線に新さんが乗ってたはずがない。つまりこの人はホタルなのだ。

 テーブルで合流してノン太が2人を紹介してくれた。希さんにはぺこっと頭を下げた。
「瑠那です。初めまして」
「やっと会えた。うれしいわあ。都もすごく楽しみにしてたんよ」
 希さんはちょっとふわふわした関西弁だった。

 日本人の小学生が初めて知り合った時、普通、握手はしないだろう。でも私たちは握手をする必要があった。なぜなら都ちゃんの目は明らかにじーっと先生を見つめていたからだ。私たちはほぼ同時に右手を差し出した。そしてぎゅうっと握った。握ったままお互いの背後を見て、ほっとして、何だか笑い出してしまった。都ちゃんの後ろにいた新さんは、握手した途端、水色の綺麗な長い髪のほっそりした青年になった。王子さまみたいな顔。そして何だか鷹史さんに似ている。私が王子様と鷹史さんを見比べていると、都ちゃんが真っ赤になってしまった。失敗。こんな明らさまに見比べたりしちゃいけなかった。
 顔を寄せて小さな声でひそっと言った。
「ごめん。あの、あなたのホタルは何て名前?」
 都ちゃんがさらに真っ赤になった。
「ドナウ」
「あっ、そうか。青くて綺麗だから」
 私が言うと、都ちゃんがものすごく嬉しそうに笑ってくれた。
「瑠那ちゃんのホタルは、前、桜さんについてた人ね。何て呼んでるの?」
「先生。みんなもそう呼ぶから」
「そうなのね。ドナウのことはみんなドンちゃんって呼ぶの」
「ドンちゃん。いいわね」
 2人してまた笑ってしまった。ドンちゃんもニコニコ笑っている。着流しに雪駄、長髪の白髪の先生は見えたらけっこう目立つ風貌だと思うけれど、ドンちゃんはさらにケッタイな外見だった。青みの強い水色に光った髪が膝の当たりまで伸びている。目の色も青のような緑のような紫のような。みんなでテーブルを囲んで座ったソファの背後でふわふわ浮いているが、私たち以外の人には見えていないようだ。

 都ちゃんも綺麗だった。色白で、外国の女の子みたいにそばかすが散っていて、髪はうす茶色に金髪と銀髪のメッシュでくるくる巻き毛になっている。目は琥珀色で少し緑がかっていた。私は隣の席に座ってまじまじと見てしまった。
「髪、綺麗。触ってもいい?」
 都ちゃんはまた真っ赤になってしまった。
「ごめん。イヤならいいの。でもすごく綺麗。映画に出て来る人みたい。私、子供の頃、こんな明るい髪だったらいいのにってすごく憧れてたの」
 私がそう言うと、都ちゃんがポロポロ泣き出してしまった。ビックリしてまた必死で謝った。ノン太も希さんも”大丈夫。イヤで泣いてるわけじゃないから”と言ってくれた。後で話を聞いたら、変わった髪や目の色のせいで学校でイヤな目に遭うことが多かったそうだ。何それ。そんなの許せない。こんなに綺麗なのに。私が一緒だったら、そんな嫌がらせするヤツ、ぶっ飛ばしてやるのにと言ったら、また泣き出してしまった。

 抹茶スイーツの味はあまり覚えていない。私は都ちゃんと話が合ってものすごくテンション上がって、会話のボルテージもどんどん上がってしまって途中ちょっと目眩がしたぐらいだ。
「ちょっと休憩して、とにかくおやつ食べてしまえ。この後、ケーキ屋と豆腐屋にも寄るからな」 ノン太にどうどう、落ち着け、と言われた。
 買い物の間もずっと2人できゃあきゃあ話していた気がする。私が好きだと思う本も映画も、都ちゃんは全部好きだった。2人でしゃべっていると、ノン太が笑った。
「おまえら、よく似てるな。顔形が似てるってわけじゃないけど、印象というか雰囲気が双子みたいに似てるよ。前世か何かで姉妹だったかもな」
 前世で姉妹。何て素敵。

 買い物して住吉に着くともう夕方だった。希さんは時々こっちに来て、咲さんやノン太に会ったりしていたらしいが、都ちゃんは2歳で関東に移って以来初めてのことらしい。みんなで母屋まで歩きながら、都ちゃんは時々立ち止まって樹を見上げたり、景色を確かめたりしているようだった。石段を上がって最初の山門を潜った時は見ものだった。ざっと見回して30羽ぐらいのニワトリが集まっていたのだ。足元にも木の上にも。よく探したらもっといただろう。いつも5、6羽の家族単位でした見かけないので、こんなにたくさんいたなんて知らなかった。全部集合して都ちゃんに挨拶しているようだった。
 山門から母屋までの間は、今度は猫が右からも左からも出てきて、都ちゃんの足にスルリと身体を擦りつけてまた消えて行った。次の山門を超えたところで今度は鹿が7、8頭、私たちを待っていた。特に近寄って来るわけでもなく、脇に立ってじっと観察している感じ。すると今度はたくさん鳥が現れた。小さな小鳥もムクドリもヒヨドリも、それぞれ十羽くらいの小さな群れだが次々に私たちが歩いている参道の、目の高さぐらいの枝に止まってしばらく枝から枝に渡ってついて来たりする。カラスは十羽で済まなかった。ちょっと怖いぐらいの大群が集まって来た。
 
 パンパンっと大きな柏手が響いた。咲さんだ。
「はい。あんた達、後にして。久しぶりに来て、都は忙しいんだから。何日か滞在するんだから、落ち着いてからおいで。解散解散」
 咲さんの言葉がわかったかのように、カラスも鹿も散って行った。すごい。ディズニーのアニメみたい。桜さんは、私に魔法使いの血が入っていると言ってたけど、都ちゃんは本物だ。本物の魔女だ。

「騒がしいから迎えに来たのよ。さっき猿も来てたけど、まだ参拝客もいる時間だから遠慮してもらったの。夜にはアナグマとかキツネも来るかもね」
 すごい。私も都ちゃんにくっついていよう。キツネ、絶対見たい。
 希さんと咲さんは2歳違いの姉妹だ。単体で見るとあまり似ている印象なかったけど、こうして並ぶとなるほど似てる。
「都ちゃん、弓引く? 道場、開けてあるわよ」
 都ちゃんは咲さんが来て、明らかにほっとした様子だった。次々にいろんな動物が押し寄せるこの状況をコントロールできるとしたら、住吉最強の魔女、咲さんだ。桜さんも最強だけど、ちょっとベクトルが違う。
「ドンちゃんは桂清水に浸かって来なさい。明日までお休みしていいわよ」
「しかし桜さまにも挨拶せねば」
「いいから。長旅で疲れたんでしょう。そんな煤けたむさ苦しいなりで桜さんに会っちゃダメよ。綺麗になっておいで」
「かたじけない」
 煤けているかどうかはわからないけど、桂清水はホタルには元気の元らしいから、咲さんはドンちゃんのためにそう勧めたのだろう。
「久しぶりだろう。案内してやろう。他の連中も顔を見に来るだろうし」
 先生が申し出た。ホタルにはホタルの付き合いがあるのだろう。
「私も一緒に行きます。そして、ついでに”北側”を見て来ます」
 都ちゃんが言うと、咲さんはすぐ気がついたようだった。
「そうね。日が沈む前に済ませておいた方がいいかもね。お神酒持って行く?」
「いいえ。私のお寺の水とクロモジの枝をお土産に持って来ました。挨拶と報告をして来ます」
 都ちゃんと咲さんが話していると、魔女とその弟子の魔女見習いという感じがする。それにしても”北側”とは何だろう。
「瑠那ちゃんも会って来たらいいわよ。都ちゃんがいない時は寝てるから」

 アラジンの魔法のランプのジニーみたいなものかな? 先生と都ちゃんが一緒で、咲さんが薦めるなら危険はないだろう。私も一緒に行くことにした。

「俺らも見て大丈夫かな?」
 希さんと都ちゃんの荷物を母屋に運んで来たノン太と鷹史さんが追いついて来た。
「俺は見えないかもしれないけど」
 さすが6歳から住吉に出入りしていることはある。ノン太は元より、ここで起こることを全て理解したり目撃したりできないと納得している感じだ。都ちゃんは一瞬判断に迷った感じで、ちらっと鷹史さんの方を見た。
(平気だろ。ノン太だから)
 ”ノン太だから”という評価に愛というか信頼がある。都ちゃんもホッとしたように笑った。

 都ちゃんを見ていて気づいたことがある。どうやらノン太よりも鷹史さんと一緒の時の方がリラックスしている。ノン太が言うには、実の兄(母親違いの兄妹)のノン太よりも、従兄弟(叔母の息子)の鷹史さんの方が頻繁に関東に飛んで都ちゃんに会っているらしい。何せ、鷹史さんは空が飛べるのである。新幹線が必要なノン太よりも気軽に都ちゃんが修行して寝起きしている秩父の山寺に出没できるらしいのだ。母親違い、という部分でも気を遣う要素があるのかもしれない。私は会ったことないけど、ノン太のお兄さんの希さんに対する反発がけっこう大きかったらしい。家族っていろいろある。

 桂清水まで戻るまでもなく、あっちからもこっちからも新さんが現れた。ドンちゃんを歓迎しているらしい。私もだんだん見慣れて来て、もうホタルが全部同じ顔には見えない。みんな新さんっぽいけど、ちょっとずつ違う。
「どうせ覚えきれないだろうが、母屋周りでよく働いてるメンバーは少しずつ覚えたらいい」
 咲さんやきーちゃんの用事を頼まれやすいメンツを何人か教えてもらった。名前を覚えて個別のイメージが出来ると、顔や声も見分けられるようになって来る。ドンちゃんは奈良の綺麗な渓流から花の苗について来たそうだ。都ちゃんを産む時に、希さんは住吉に身を寄せていたので、光さんが希さんの好きそうな山野草や樹の苗を神社の一角に植えたのである。そのコーナーを見せてもらった。神社の東側の、ハナショウブやカキツバタが見られるように木道や東屋が作られているコーナーだ。小さな滝や池、流水があって夏でも涼しいので、散歩客が多い。
「秋に咲きます」
 ドンちゃんが、自分のついて来た花を教えてくれた。光さんが上手に育てて株分けして、この10年余りで100以上の株になったそうだ。今の季節は池に睡蓮がたくさん咲いている。

 睡蓮池から神社の外回りの遊歩道を通って北側の石段がある鳥居まで歩いて来た。
「日が沈むと何か問題あるの?」
「夜になると大きくなっちゃうので、話すのに骨が折れるの」
「ふうん」
 これから会うモノは、どうやら昼と夜で大きさが違うらしい。
「でも、夜明けと夕暮れが一番”見易い”から」
 そう言って、ノン太の方をちらっと見た。なるほど。”初心者向け”というわけか。しかしノン太だって普通の人に比べるとかなりいろんなものを見ているし、素人というわけではないのだろうけど。

 北側の石段は、表玄関の西側の石段に比べると人通りが少ない。石段の幅が狭く、段差が大きいので登るのがちょっとやっかいだ。ドングリのなる樹の自然林なので、昼間でも何となく鬱蒼と薄暗い。鳥居をくぐって石段を登り始めるとすぐにニワトリが7羽ばかり出てきた。神社の警備担当部隊だ。しばらく私たちの足元や、石段の手すりを渡ってついて来たがいつの間にか消えた。この石段を登ると、二の蔵に繋がる。でも二の蔵に用事のある人はたいてい車で車道を通るので、この石段は余計に”裏道”という雰囲気なのだ。

 石段のちょうど中間地点に鳥居があって、二段、幅広い石段を上がると白い石を敷き詰めたちょっとした広場のようになっている。眺めが良くて、人通りが少なくて何だか落ち着くので、私は時々、おやつや水筒のお茶を持ってここに来る。考え事に良い場所だ。広場のひと隅に黒い三角系の石が埋め込んである。表面に何か書いてあるようにも見えるが、古いものらしく文字が読めない。その石の横がちょうどベンチぐらいの高さで座りやすいので、私の指定席なのだ。
 今日は一同でこの広場に着くと、都ちゃんは広場を囲っている手すりをひらりと飛び越えて、森の中にガザガサ身軽に入って行った。鷹史さんもすぐ後ろに続く。
(そこから見えるから、瑠那はそこにいな)
 鷹史さんがこちらを振り返る。一瞬迷ったけど、ノン太もドンちゃんも広場にいるので、鷹史さんの言う通り、待っていることにした。

 鷹史さんと都ちゃんは深いヤブの中を特に危なげもなく、歩き回って何かしている。ヤブの切れ目から、都ちゃんがトートバッグの包みから出した枝を地面に挿して、ペットボトルの水を少しふりかけているのが見えた。2人は広場をぐるっと囲んで、何箇所かに枝を挿して水をかけているようだ。最後に広場に戻って来ると、三角系の黒い石の両側に枝を挿し、石の上から残った水を全部かけた。
 石の横に立つと、都ちゃんはちらっと鷹史さんを見上げた。鷹史さんがこくっとうなづくと、パンっと柏手を打った。

 それは普通の柏手じゃなかった。鼓膜が変になるぐらい大きく響いた。鳴った途端、鳥居を囲む樹々がざわっと揺れた。カラスだ。今までいることに気付かなかった。何百羽いるだろう。ぶわっと樹全体が持ち上がるように見えた。一斉に舞い上がり、アア、アア、アア、と鳴きながら飛び交い始めた。
 鷹史さんがもう一度、パアンッと柏手を打つと、都ちゃんが歌い始めた。歌というのとは違う。声。音。弦楽器のような独特の響き。歌うながら舞始めた。踊りというのとは違う。動き。躍動。すっと爪先立ちになって大きく一歩跳躍。そこでくるりと旋回。また爪先立ちになる。両腕を広げて、大きく見えを切る。まだ爪先立って跳躍。タタンと足踏み。爪先立ち。足踏み。
 不思議で綺麗な舞だった。都ちゃんの跳躍に合わせて、鷹史さんがパアンッと柏手を打つ。タタン。パアンッ。タタン。パアンッ。独特のリズム。不思議な抑揚。カラスの声。さっきまでののんびりした午後と全然違う。不吉というわけでもない。でもすごい緊張感。ここは、もう、別の空間だ。

 カラスのアア、アア、アア、という鳴き声の合間からオオオ、オオオオオ、という声のような音のようなものが響き始めた。
 すぐに気づいた。その音は三角系の石から鳴り響いていた。

 何かが、石から流れ出している。

 水のようにも見えるが水じゃない。ドライアイスの湯気のようだけど湯気じゃない。透明でドロリとした、水飴のようなものが石から出て来て広場に流れ出た。避ける暇もなく、私の足も水飴の中に浸かってしまった。横を見るとノン太も固まって、石を見ているので見えているらしい。
 水飴は広場の面積全体を覆って、どんどん水位を上げて行き、とうとう鳥居を超えて透明な柱が出来た。都ちゃんの歌は水飴の中でもくぐもることなく、綺麗に響いていた。水飴に足を取られて踊りにくくないかな、と心配したが、都ちゃんは水飴の中を泳いで柱の中を縦横に舞っている。そして鳥居の上に泳ぎ着くと、そこにすっと立った。
 鷹史さんがパアンッと柏手を打つと、カラスの声がぴたりと止んだ。全部、樹に落ち着いてこそとも動かない。

 都ちゃんの歌が変わった。明るい、優しい、愛おしい旋律。水の柱は鳥居の横にそそり立って揺れていた。鳥居の、ちょうど都ちゃんの身体の横に、よく見ると顔のような二つの穴が見えている。よく表情はわからないけど、何だか喜んでいるように感じる。10年ぶりに都ちゃんに会えて、このコはうれしいんだ。良かった。良かったね。気づくと私は泣いていた。寂しかったんだね。会いたかったんだね。良かったね。

 水の柱から2本、腕が現れて透明な手のひらのように都ちゃんを包んだ。都ちゃんは滑り台のように、するりと柱の中を滑り降りると、すとっと三角形の石の横に下り立った。
 柱は静かに揺れながら少しずつ小さくなって、最後に都ちゃんと同じぐらいの高さになるともう一度都ちゃんの顔を水の手のひらで包んだ。綺麗な水の空間の中で、都ちゃんが微笑んだ。水の中に金と銀の髪は広がって、とても綺麗だった。目が明るい緑色に輝いている。
 都ちゃんが両腕を上げて自分のほおを両手で包んだ。そして水の柱をほおから離すと、両手を水の人型とつないでいるように見えた。水の表情は読めない。寂しそうなのか。満足したのか。都ちゃんの手を引っ張るように、つるつると三角形の中に水が流れ込んで行って、消えた。

 鷹史さんがパアンッと柏手を打つのを解散の合図に、カラスたちがまた飛び立った。何だか今度は呑気な声で、カアカア言いながら三々五々、神社の森から散って行った。

 ノン太は呆然としていた。都ちゃんが神社の仕事をしているところを見たのは初めてらしい。

 都ちゃんは私とノン太の方を見ると照れくさそうに笑った。その顔は、さっき駅で会った時と全然違っていた。同じだけど違う。髪が全体に金色に光っていて真っ直ぐで背中まで長い。輪郭とか目の形の違う。美少女。人間離れした妖精のような透明な美しさだった。
 
 鷹史さんと都ちゃんはまた広場の手すりをひらりと超えると、森の中を一周してさっき挿した枝を全部回収して来た。どうやらそのままにしておくとダメらしい。鷹史さんはいつも通りニコニコしていた。先生は都ちゃんのことを”天狗の弟子”と呼んでいた。ということは、鷹史さんは天狗ということだ。なるほど、天狗なら妖怪を従えた総大将をやれるだろう。
 
「コレ、は何なんだ? だいだらぼっちみたいなものかな?」
 人文学者らしく、ノン太は何か分類して名前をつけたいらしい。
「私はタタラと呼んでるけど」
「タタラか。一本ダタラとかそういう類かな。峠に現れたり、先見をしたり」
「ちゃんと”話した”ことないからわからない」
 ノン太は都ちゃんの外見の変化は気にならないようだ。タタラの出現に興奮しているらしい。

「おー。さすがだな」
 石段の上からきーちゃんが下駄でカラコロ降りて来た。今日は水泳のクラブがあって日中、留守だったのだ。
「この石、前から気になってたんだ。こんなヤツが入ってたとは。都が呼ばないと出てこないのか? 俺も呼んでみようかな」
「どうだろう。私はずっとはいられないから、きーちゃんが話し相手になってあげてくれるといいかも」
「都がいる間に、俺に引き合わせてくれよ」
「うん。やってみる」
 話しながらきーちゃんがじっと都ちゃんを見ている。どうやらきーちゃんは、都ちゃんの変化が見えるらしい。それにしても美少女だ。妖精の世界の王女さまみたい。

 素敵な友達が出来た。綺麗で強くて面白い。最高だ。住吉の人はみんないい人だけど、同じくらいの年の仲間って今まできーちゃんしかいなかった。女の子同士の友達。私はサクヤさんの義理の妹だから、都ちゃんとも親戚ということになる。うれしい。ここの子になって良かった。ここでずっと知らずに居心地いいと思ってた場所に、こんな綺麗な妖怪がいたというのもうれしい。私は都ちゃんみたいに触ったりできないだろうけど、一方的にでも話し相手になってやろう。学校の愚痴を聞いてもらうのだ。

「そろそろ夕食だ。おふくろが張り切ってたからご馳走だぞ」
 きーちゃんが言った。途端にお腹がすいて来た。
「都も腹減っただろう」
 都ちゃんは真っ赤になった。”力”を使うとすごくお腹が減るらしい。
「行こ」
 私は都ちゃんに手を差し出した。ひとつ上の綺麗なお姉さん。こんな素敵なお姉さんが出来て、みんなに自慢したいような気持ちになった。
 ノン太の様子を見るに、この美しい姿は誰にでも見えるわけではないのだろう。それでもいいや。妖精に化けなくても、都ちゃんは綺麗だもの。10年ぶりの住吉のいろんな景色を、一緒に回ってシェアしよう。この場所が、前よりきっとずっと好きになる。

 私、住吉に来て良かった。




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