演奏中に踊り場ホールからウルマスとリューカの姿が消えたのも気がついた。楽器の片付けなどをキジローに頼んで探しに出ると、村主に親指で”来い”と合図された。多分ここだろうなと予想つけた場所にいた。裏手の池の傍でリューカがベンチに伸びていた。
「だから言っといただろう」村主がペットボトルの水を差し出しつつ言う。ヤツは何だかんだ言いつつも面倒見がいいような気がする。リューカとの付き合いは俺より長そうだ。
「わいも、アルモニカは大丈夫やったんですよ。ピアノも慣れたし」
「まあ、今日は右近が調子に乗って増幅してたからな。ムリせずこれを使えばよかったのに」
ウルマスは自分の耳から何か柔らかい素材らしい耳栓を取り出した。俺の視線に気づくと「チビさん達には内緒にしてくれ」とウインクした。この2人の視聴覚範囲が他の人間と違うことには気づいていた。街中で暮らすとそれなりに苦労が多そうだ。
「今のうちに渡しておこう。あんたにでいいのか」
村主がベルベットのような布の巾着袋をウルマスに手渡した。
「わかってると思うが、そいつも今日の琵琶並に面倒臭いらしい。適当なとこに置かない方がいい」
「わかってる」
ウルマスは眩いような笑顔を見せた。だいぶん慣れたとはいえ、この狭い裏庭に村主とウルマス、リューカが集まっていると、これから何かハリウッド映画の撮影かというような非日常感が漂う。3人とも半端なレベルではない美形なのだ。
「それ、例の宝珠かね?」
裏庭にカロ先生も出て来た。
「そう。アルのお手柄でギリシャの孤島の修道院の聖遺物として収まってたのを、うまいこと救い出して来てもらった」
アルというのは、俺もイタリアで一度会ったことがあるが、村主の兄貴分に当たる男だ。瑠那がイタリアにいる間、面倒みてもらっていたらしい。どうやら人間らしいが、まあ、普通の人間ではない。鷹史と同類だ。
「よくそんなもの、貰い受けて来たね」
カロ先生が感心すると、ウルマスがニヤリとした。
「その辺はほら、蛇の道は何とやら。奇跡で聖遺物になったのならもう一度奇跡を起こせばいい。この石はロザリオに組まれていたんだが、聖女がこの宝珠を必要としている、とそのまま説明しただけだよ」
「メノウさんなら聖女として通用しますし」
リューカもニヤリとした。どうやらこいつがひと芝居打ったらしい。しかしさすがにバチカンに通さないといけない案件なので、結局石を見つけてから半年近くかかってしまった。
メノウというのは住吉神社に昔からいる妖魔か精霊のような存在らしい。俺はちゃんと見たことがないが、サクヤに言わせると綺麗なお姉さんということだ。桂清水の精霊、黒曜とともに住吉の守り神をやっていたのだが、新さんが亡くなった時に、2人ともいなくなった。具体的に何が起こったのか、俺にはわからない。ウルマスが言うには、メノウの8粒の宝珠が奪われてメノウが実体を保てなくなり、その隙に黒曜が拐われたらしい。それで住吉の防御が手薄になったから、うちの都は不安定な住吉にいるより安全だろうと関東に逃げることになったわけだ。
ウルマスが濃紺の巾着袋から無造作に中身を引っ張り出した。
「おい、気をつけろ。それなりに力のある水晶で封じてあるが」と村主が言うより早く、ウルマスは数珠の糸を放つ。3つの赤い石と5つのそれより小ぶりの水晶は空中でくるくると弧を書いた。
「よしよし。窮屈だったろう。ここの水は美味しいから、ちょっと泳いでおいで」
ウルマスがすっと腕を動かすと8つの石はくるくる回りながら黒い岩に囲まれた池に消えた。水面がふっと明るくなって赤、青、白と目まぐるしく輝いて、ふっと明かりが消えた。
「あーっ。パパー。ここにいた。池が綺麗。これが、今回のパパーのお仕事?」
桐花と魅月が咲さんと池のところに来た。桐花も3歳児と思えないぐらい利発にしゃべるが、魅月は語彙が幼児と思えない。魅月は瑠那のことは日本語でお母さんと呼んでいるが、村主のことはイタリア語でパパーと呼ぶ。村主と2人で瑠那の話をする時はマンマと言っているのを聞いた。どうやらイタリア語と日本語、同じぐらいの語彙力があるらしい。いわゆる天才児だが、住吉のメンバーは鷹史で慣れているので、あまり頓着せずに普通の子供のように扱っている。
「充電中だ。まだ触るんじゃないぞ」
村主が親らしいことを言っている。2人の幼児はキラキラ輝く池の水面に手を突っ込んではしゃいでいた。
「メノウちゃんの石だよねえ? これでメノウちゃん、帰って来れる?」
桐花はどこまでわかっているのだか、無造作に聞く。
「メノウの宝珠は8個だからね。やはり3つじゃ難しいんじゃないか」
カロ先生がウルマスの方を見ると、彼は肩をすくめた。
「”本体”はあってないようなものなんだから、依り代さえあれば石3つでも顕現できるだろう。実際、ギリシアでも一度”降臨”したんだろう?」
問われてリューカはなんとかベンチから身体を起こした。
「あん時は紫(ゆかり)ちゃんに来てもらったから。それでもすごく消耗してましたよ。咲さんが黒曜を降ろすのだって短時間だからなんとかなってるんでしょ」
「そうね。でもやっぱり終わるとものすごくお腹がすくの。次の日は丸一日寝ちゃったりするし」
咲さんが巫女姿で黒曜の憑坐になっているのは一度だけ見たことがある。5分足らずだったが大変そうだ。
「それでも、今、メノウに来てもらえば心強いわ。もう桜さんはいないし。私は関東と行ったり来たりして、東北の方までカバーしてるでしょ。紫ちゃんにはひとりで西日本を見てもらってるし。やはり住吉にもうひとり、強い巫女が欲しい」
もう桜さんがいない。このことがずっと我々の心に重くのしかかっていた。2人の人並外れた幼児が育っている。この2人は強力な助っ人になってくれるかもしれないが、襲われたら守れる手が足りない。先生を始め、住吉のホタル陣では桜さんの代わりになれないのである。
「このコたちのベビーシッターが要るわ」
咲さんが思いつめたような面持ちで言う。桜さんがいない今、実質、咲さんが住吉最強の魔女なのだ。しかしこれだけの大所帯がいて、日本中あっちもこっちも断層が歪んでいて、弟子の都も頑張っているらしいが、やっぱり手が足りないのである。
「だからさ、九州の眠れる美女を起こしに行こうよ」
ウルマスが能天気とも言える笑顔で提案する。
「このコたちとこの宝珠があればきっと起きてくれるよ」
さっと右手を閃かすと、池からすっと3つの強いオレンジに輝く宝珠と5つの水晶が現れた。指揮をするように両手で空間を招くと8つの石が惑星のようにくるくる回ってリューカの胸元に落ち着いた。
どこから現れたんだか、黒い紐に綴られてちょっと洒落たネックレスの形になった。
「わああ、リューちゃん、いいなあ。似合う似合う、綺麗」
「確かに似合ってるわね。いいわ、あんたに預けといてあげるわ」
2人の幼児に褒められて、リューカが笑った。さっきまで息も絶え絶えという顔をしていたのだが、石を身につけたら元気になったようだ。
「九州、行くの? パパーも一緒に行く?」
「やったあ。きさちゃん、起こしに行くのね。きさちゃん、きっと右近と仲良くなるよ」
「九州か。いいね。僕も行こう」
カロ先生も乗り気である。どうやら最高の布陣で南方遠征に臨むことになりそうだ。
「別料金と言いたいところだが、うちの娘が行くなら仕方ない。俺もついて行ってやろう」
村主が凶悪と言ってよい、キレのいい笑顔を見せた。やれやれ。きっとまた俺がイジメられるんだろうな。だが仕方ない。このメンツだと俺が添乗員だ。こき使われること必至である。やれやれ。