年は変わり2009年1月末。
真剣稼働から3ヶ月が過ぎていました。
問題の収支は、多少なりとも上向いたとは言え、ノルマ(35万円)には程遠い20万円前後。
やはり、どうにもならない数字でした。
よくある銀行の借金枠を使い、それも枯れ果て、お次は生命保険の枠・・・。
いよいよ最後は消費者と名のつく消費者がもっとも踏み入れてはいけない地獄の一丁目。
怯え、のたうち、そんなことを毎日のように逡巡しながら稼働に明け暮れる毎日。
少し前の処分に困った大量の胃薬(風邪時で処方された)さへ無くなる始末。
精神的にも限界が近づいていました。
当時の時給1200円。
今となっては、その原因究明も簡単なのですが、それでも致し方ない部分もあったりなかったり・・・。
この場で言えるとすれば、(ピン稼働)こそ本当のプロでしか成し得ないハードルの高い所業だったのです。
35万などという寝惚けた話は「一昨日きやがれ!」的な類でしかありませんでした。
調度そんな頃、運命を変える弟からの電話がかかってきたのです。