“ぱちぷろのはなし”は以上です。
全編を通して私が表現したかったのは、いまだ世間ではあらゆる意味で認知されないパチプロの存在というものについてです。
きっかけとしては・・・
当初は、「ほんとうにいるの?」なんていう牧歌的なもの。
または、「どうしたらなれるの?」という願望的なもの。
そういった質問が当編集部に溢れている様を知り、今一度ペンを執ったというものでした。
しかし、我ながら驚いたことは、書き重ねるにつれ、何かが私の中で変わっていったことです。
その結果、思いもよらぬ感情といいますか、感覚に包まれていました。
もちろん、発端は田山氏の「パチンコ日記」でしょう。
彼の卓越した感性がならしめたものなのか?
縦約80cm、横約50cmに過ぎない空間に自らをおとしめてドラマを語り続ける。
そして、私はと言えば、そんな彼の生き様に自らをおとしめて反芻したのでした。
同じ虚業に生きる者同士、これも人生。
決して、彼の立ち振る舞い(稼働)を真似るということではありません。
我々のような伸びきったバネのごとき感性でパチンコを打つ態度に一つの疑問符が浮かんだのです。
本音を申しますと、ここに至り、「パチプロって存在するの?」なんて、どうでもよくなりました。
信じる者も、信じない者もパチンコを打っている。
いわんや、稼げる者も、そうでない者もです。
勝てば、普段では味わえない爽快感で換金所に並ぶ。
また、その逆に負けた帰路、得も言えぬ嫌悪を感じる。
これこそが、パチンコなんです。
「なぎのごとく平凡な日常に吹く風のごとし」
前回書いたこの表現こそ、一つの答えかもしれません。
皆さん、パチンコを大いに楽しんでください。
勝てる人も、そうでない人も。
つまるところ、それが当編集部の究極の願いであります。
最後に余談を。
その昔、寺山修司という競馬をこよなく愛する劇作家がいました。
「競馬なんて平均的に負けちゃうでしょ?」
ある人に揶揄された彼は、こう切り返しました。
「あなたの人生は平均的に勝っていますか?」
パチンコであれ、競馬であれ、ある主体を通して、人は風を欲している。
自らの心を動かす手法を持ち得た人は幸せです。
それを世間は“感動”と呼ぶのですから。
それも一つの勝利と言えないでしょうか?
おわり