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【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.49

2024年04月05日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  ヒーローは栄光の中で讃えられ、悲劇的な死によって哀悼される存在である。

 『西行』高橋英夫(1993)岩波書店より

 英雄と呼ばれる存在の扱われ方が昔と今では、だいぶ違うような気がします。
 また、日本では正統派の英雄―いわゆる、欠点がない聖人君主、優れた人格、輝かしい業績、誰にも真似できない能力の持ち主―よりも、悲劇のヒーローの方が人気があるかもしれません。

 何不自由ない恵まれた環境で才能を開花させ名声を得るよりも、経済的に貧しかったり、大災害に見舞われたり、身体的な障害を抱えているなどの逆境にありながらも立ち上がり、成功したというような、いわゆる「苦労人」であることが評価されたりします。
 けれども、正統派の英雄と見なされる人でも、まったく苦労していないわけではないし、地道に努力したからこその能力であり、業績だと思うのです。

 20~30年前の社会では、そうした隠れた努力を理解している人がほとんどだったような気がしますが、昨今のSNSでの投稿や報道のされ方を見ると、世間の注目を浴びるようになった人の才能や成功を、ただただ妬むかのように誹謗中傷したり、何か落ち度がないか粗探しを楽しむ傾向にあると感じます。
 まるで、栄光を手にした人を不幸のどん底に突き落としたいと望んでいるかのようです。
 いったい、ヒーローとはどんな存在なのでしょうか。
 多くの人がとうてい成し得ない神業を容易く行い、世間の注目を集める「英雄」に自分はなることができないが、その「英雄」の隠された秘密を見つけて、それを世間に暴露することで、英雄が英雄ではないことを証明してやったと得意気になり、自分の心を満足させているのでしょうか。

 そもそも、完璧な人間など存在しません。自分が不完全だと思うからこそ、努力をして完璧を目指すのだと思います。
 その結果として、「英雄」が生まれるのであって、それは決して「英雄」が完全無欠だということではないのです。

 「英雄」と呼ばれる人も、一人の人間です。
 前人未踏の大記録を打ち立てたアスリートや世界中の有名大学で教授をしている学者、世界中で愛される作品を創作した作家など、現在の日本で「英雄」のように注目されている人たちは、当然ながら一般の人たちと同じ人間であり、家庭を持ち、幸せな生活を送りたいと願っているのだということを忘れてはいけないと思います。

 特に若くして、天才的な能力を発揮している「英雄」たちは、今後の日本を文化的に科学技術的に豊かなものへと導いてくれる存在なのですから、彼らが遺憾なくその才能を活用できるように社会全体で見守っていく必要があるのではないでしょうか。
 間違っても「英雄」を「悪役」に変えてしまうような愚民にはなってはならぬと、私は肝に銘じておこうと思います。


ヒトコトリのコトノハ vol.49


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