軍歌のCDを買ってしまいました、結構たくさん。
タイトルを眺めていると少し何かが見えてくるような気がします。
視点にオルタナ界隈も含めて。
親が買い与えてくれたレコードやカセットテープは、クラシックや童謡、英語教材、そしてアメリカの映画音楽などでしたので、軍歌はテレビから流れてくるのを聴くくらいだったのですが、子どもの頃から気になってはいました。
軍歌もですが、その時代というものに。
幼い頃は親に連れられてパチンコ屋に行きパチンコを打ったりして遊んでいました。
そこでは軍艦マーチがいつも流れていたことを覚えています。
いわゆる飲み屋というか酒場という場所でバイトした時に、カラオケで軍歌を熱唱するおじさまたちが何人もいて、そこで軍歌を少し覚えました。
数人で肩を組み合唱するお姿は今でも瞼に焼き付いています。
軍歌が流れる時代を生きた人々にとっては様々な思い入れがあるのかもしれません。
以前、尋常小学校の国語と修身の教科書(復刻版)を読んだことがあります。
修身は道徳心を養う内容でした。
戦争礼賛描写について問題とされることがあるようですが、その部分を除けば今の私たちに必要な、今の時代に失われつつある心の在り方を養う内容が多かったように感じました。
国語については高学年の内容が、現在の高校生レベルと言いますか、ともするとそれ以上のレベルなのではないかと思うほどの文章だったことに驚きました。
小学生であの内容であれば、旧制中学や女学校が大学相当と言われるのも納得です。
それも現在の誰でも入れるレベルの大学ではなく。
戦前より教員をされていた方のお話をうかがったことがあります。
とても知性に溢れた、お人柄も立居振る舞いもご立派な方でした。
戦後のこの国の復興を支えてきた方々はあの方のような教員の方によるあのような教育を受けたことにより作られたのだと妙に納得したものです。
自分の周囲を眺めてみても、戦後の教育を受けて育った団塊世代と呼ばれる人たちと、戦前の方々とはその知性や精神性が大きく違うと感じています。
もちろん全ての方ではないでしょう、いつの時代にもいろんな方がいますので。
ですがその子ども世代、団塊ジュニア世代とそれ以前の世代でもやはり精神性が違っているのですね。
集団イジメが蔓延し出したのは団塊ジュニア世代なんです。
自分の知る団塊以前の方々は、弱気を助け強きを挫く、的な精神をお持ちの方が少なくなかったのだと思います。
やはり思うのは、何かの節目ごとに人々の性質が変化してしまうということです。
明治悪が言われますが、悪いばかりではなかったと思うのですね。
教育勅語には現在にこそ必要な内容が書かれていたりもします。
わたしの知る団塊以前の人々は、ご立派な方々が多かったのてす。
社会的地位や財産の有無に関係なく。
周囲に恵まれていたのかもしれませんが。
そんな方々がこの国を支え守ってきてくださったのだと思います。
(平成以前はそれぞれの勢力の人々がわりと自由に活動されていたと聞いたことがあります。日本の良心とも言われることもあるこの国の奥の院が機能していたのかもしれません)
軍歌のCDからそんなことを思い出しました。