「ミャンマー」というと何を連想するでしょう?
日本人カメラマンの死亡や動乱などでよく耳にします。
思い浮かぶのは
アウンサン・スーチー女史の軟禁問題、仏教国、軍事政権、首都移転・・・
いろいろあるかと思います。でも、大抵の場合は
「遠い遠い、仏教の、貧しい国」というイメージではないかと思います。
その昔、「ビルマの竪琴」という映画がありましたが、
この名の通りもともとは「ビルマ」という名でしたが、
1997年に軍事政権が「ミャンマー」と国名を変更しました。
貧富の差が激しいこの国で、女性達はどういう生活をしているのか、
どんなことを思い考えているのか。
そういったものを代弁している、女性作家の短編を集めた本です。
貧しい家庭のために金持ちの妾となった若い娘が、
その生活に耐えられなくて実家に戻るものの説得され、
魂と現実の間で死ぬ苦しみを味わう話があります。
おそらくこういったものは「イメージ通りの話」と感じるかもしれません。
でも、
赤ん坊が生まれたために、自分の自由時間がなくなったことを
嘆く母親の話や、
実家におかずでも持って親の助けに行きたいと思いつつ、
日々の忙しさとお金のやりくりに追われ、
なかなか実行できない主婦の持つ罪悪感の話、
転職するたびに職場で下っ端扱いされることに対して
ウンザリする女の子の話など、
どれもとても身近に感じるような話ばかりです。
同じ女性としては身につまされるような話も多く、
これらが決して遠い国の異文化の人々とは思えないのです。
少し変わったのもでは、
インチキまがいの宗教家をやりこめる話が面白いです。
これらの作品に登場するのは、おそらく等身大の女性達。
ただ、「なんだ、国の違いなんてないな」と安心して
終わるわけにはいかないと思うのです。
なぜなら、彼女達の立場はとても抑圧されたものだからです。
日常的な夫婦間の暴力、
女性が離婚することへの世間の非難や、頻繁な性的暴行。
性に関する決定権はすべて男性が持ち、中絶は非合法です。
女性の価値は「処女性」「純潔」「貞節」にのみ重きをおかれ、
学歴や社会への貢献などは一切関係ありません。
これ、少し前の日本と同じですね。
でもミャンマーの女性は賢いです。
勇気だってあるし、間違いを間違いと理解する判断力もある。
もちろん自我だって。
でも、敬虔な仏教徒ゆえに
「夫に従う」といった教えに代表される規範に背くことに対し
強い罪悪感がつきまとってしまうようです。
それに、なんの後ろ盾もない女性が世間に対抗していくのはかなり難しい。
「こんなひどい男、なんでさっさと別れないの!」
とじれったく思っても、
ミャンマーでは離婚は夫の承諾がなければできないことや、
ほとんどの夫はそれを承諾してくれないという事実を知れば、
無責任なことも言えません。
これらの小説ほとんどは現実にあった話をもとにしているそうです。
中には実話のものもありました。
そう考えると、
「おいしいものをいっぱい食べておしゃれもしたい」
という願望を持った若い娘が、
地位も金もある男に利用され捨てられ、
危険な闇での中絶で命を落とした話はかわいそうでなりませんでした。
きっとありふれたお話なのでしょう。
こんなささやかな願いを叶えるために
命が犠牲になってしまうなんて・・・
「おいしいものをいっぱい食べておしゃれをしたい」。
女の子なら誰でも持つ願望なのに。
民主化への騒乱は、いまのところ沈静化したように見えます。
でも、その影にたくさんの人々が生活している。私達と
変わりなく、彼らは日常を紡いでいるでしょう。
ニュースでミャンマーを見ると、
いつもこの本を思い出しました。
原題 アジアの現代文芸 ミャンマー現代女性短編集
著者 南田みどり編訳
日本人カメラマンの死亡や動乱などでよく耳にします。
思い浮かぶのは
アウンサン・スーチー女史の軟禁問題、仏教国、軍事政権、首都移転・・・
いろいろあるかと思います。でも、大抵の場合は
「遠い遠い、仏教の、貧しい国」というイメージではないかと思います。
その昔、「ビルマの竪琴」という映画がありましたが、
この名の通りもともとは「ビルマ」という名でしたが、
1997年に軍事政権が「ミャンマー」と国名を変更しました。
貧富の差が激しいこの国で、女性達はどういう生活をしているのか、
どんなことを思い考えているのか。
そういったものを代弁している、女性作家の短編を集めた本です。
貧しい家庭のために金持ちの妾となった若い娘が、
その生活に耐えられなくて実家に戻るものの説得され、
魂と現実の間で死ぬ苦しみを味わう話があります。
おそらくこういったものは「イメージ通りの話」と感じるかもしれません。
でも、
赤ん坊が生まれたために、自分の自由時間がなくなったことを
嘆く母親の話や、
実家におかずでも持って親の助けに行きたいと思いつつ、
日々の忙しさとお金のやりくりに追われ、
なかなか実行できない主婦の持つ罪悪感の話、
転職するたびに職場で下っ端扱いされることに対して
ウンザリする女の子の話など、
どれもとても身近に感じるような話ばかりです。
同じ女性としては身につまされるような話も多く、
これらが決して遠い国の異文化の人々とは思えないのです。
少し変わったのもでは、
インチキまがいの宗教家をやりこめる話が面白いです。
これらの作品に登場するのは、おそらく等身大の女性達。
ただ、「なんだ、国の違いなんてないな」と安心して
終わるわけにはいかないと思うのです。
なぜなら、彼女達の立場はとても抑圧されたものだからです。
日常的な夫婦間の暴力、
女性が離婚することへの世間の非難や、頻繁な性的暴行。
性に関する決定権はすべて男性が持ち、中絶は非合法です。
女性の価値は「処女性」「純潔」「貞節」にのみ重きをおかれ、
学歴や社会への貢献などは一切関係ありません。
これ、少し前の日本と同じですね。
でもミャンマーの女性は賢いです。
勇気だってあるし、間違いを間違いと理解する判断力もある。
もちろん自我だって。
でも、敬虔な仏教徒ゆえに
「夫に従う」といった教えに代表される規範に背くことに対し
強い罪悪感がつきまとってしまうようです。
それに、なんの後ろ盾もない女性が世間に対抗していくのはかなり難しい。
「こんなひどい男、なんでさっさと別れないの!」
とじれったく思っても、
ミャンマーでは離婚は夫の承諾がなければできないことや、
ほとんどの夫はそれを承諾してくれないという事実を知れば、
無責任なことも言えません。
これらの小説ほとんどは現実にあった話をもとにしているそうです。
中には実話のものもありました。
そう考えると、
「おいしいものをいっぱい食べておしゃれもしたい」
という願望を持った若い娘が、
地位も金もある男に利用され捨てられ、
危険な闇での中絶で命を落とした話はかわいそうでなりませんでした。
きっとありふれたお話なのでしょう。
こんなささやかな願いを叶えるために
命が犠牲になってしまうなんて・・・
「おいしいものをいっぱい食べておしゃれをしたい」。
女の子なら誰でも持つ願望なのに。
民主化への騒乱は、いまのところ沈静化したように見えます。
でも、その影にたくさんの人々が生活している。私達と
変わりなく、彼らは日常を紡いでいるでしょう。
ニュースでミャンマーを見ると、
いつもこの本を思い出しました。
原題 アジアの現代文芸 ミャンマー現代女性短編集
著者 南田みどり編訳