人が人を食べるという、禁忌の最たるものがあります。
数百年も昔は、飢饉のときにそういうことがあったというのは知っています。
でもそれは人智をはるかに超えた天災という異常な事態でのこと。
現代では、少なくともありえないと言っていいでしょう。
でも、ほんの数十年前に実際にそれはありました。
それを描いたのが武田泰淳「ひかりごけ」です。
これは戦後の話ですが、それよりももっと前、
明治以降初めて人が人を食べるという問題を提起した物語がありました。
「海神丸」野上弥生子です。
この物語は、実際に暴風雨で難破し
二ヶ月も太平洋を漂流していた事件をもとに創作されたお話です。
大正11年。1922年発表です。
物語では、極限の飢餓状態から一人の船員が、
船長の甥である三吉という若者を「食べる目的で」殺してしまいます。
そしてそこに至るまでの狂気が恐ろしいほどに
語られているのです。
目の前にたくさんの寿司やうどん、刺身などが幻覚となって現れる。
そしてそれが幻覚と知ったときの激しい絶望と悲しみ。
それが何度も繰り返されるうちに、精神がおかしくなってくる様子が
描かれています。
やがて恐ろしいことに、仲間の足が、
いつか見た肉屋の吊り下げられた肉と重なって感じられる。
そしていかにもうまそうに思える・・・
この、寄る辺ない大海原に漂流している、難破船という小さな
極限の世界で人が人をうまそうだとまで思ってしまう恐ろしさ。
しかし結局は殺しても食べることはしませんでした。
ほんの少し残っていた人間の心が、
無残な死体を前にしたときに我に帰るのです。
その後救助された船員達ですが、
彼らは人を食べるために行われた殺人について語らなかったのですが、
死んだ仲間に対する申し訳なさと自分の犯した罪にむせび泣きます。
もうひとつの作品は「野火」大岡昇平です。
こちらは戦争という極限状態です。
「海神丸」が抗えない自然の力によって作り出された地獄なら、
この「野火」はジャングルの中で繰り返される
殺し合いによって出来た地獄です。
「野火」は、見えない敵とジャングルに加えて、
餓えという三つの苦しみが襲ってきます。
私が一番恐ろしいと思ったのは、主人公が、
すぶぬれの地面の上で横たわる将校の姿を見て、
「その腹がうまそうに見えた」と思ったことです。
この将校は日本に家族を残し、ジャングルで死に絶えることに絶望し、
なおかつ自らの体を指差して「ここを食っていいよ」と明るく言うのです。
こんな世界が現実としてあるのが戦争というものなのでしょうか。
怖いとか悲惨とかいう言葉で表すことは、もはや不可能です。
今私たちは、親や子供を愛し、他人に対する慈しみを持つことが出来ます。
ちょっとしたことに幸せを感じたり、感謝したり。
そういうことができるのが人間でもあります。
そんな心が失われるとき・・・
想像するのも恐ろしいです。
自然に人は勝てないと私は思いますが、
少なくとも戦争によって引き起こされる極限状態、
地獄だけは決して作り出してはならないと思います。
こんな身の毛もよだつような恐ろしい作品。
時々あたりを見回して、現実ではないことを確かめずには
いられません。
「ああ、実際自分が体験してなくてよかった」。
この安堵が永遠でありますように・・・
数百年も昔は、飢饉のときにそういうことがあったというのは知っています。
でもそれは人智をはるかに超えた天災という異常な事態でのこと。
現代では、少なくともありえないと言っていいでしょう。
でも、ほんの数十年前に実際にそれはありました。
それを描いたのが武田泰淳「ひかりごけ」です。
これは戦後の話ですが、それよりももっと前、
明治以降初めて人が人を食べるという問題を提起した物語がありました。
「海神丸」野上弥生子です。
この物語は、実際に暴風雨で難破し
二ヶ月も太平洋を漂流していた事件をもとに創作されたお話です。
大正11年。1922年発表です。
物語では、極限の飢餓状態から一人の船員が、
船長の甥である三吉という若者を「食べる目的で」殺してしまいます。
そしてそこに至るまでの狂気が恐ろしいほどに
語られているのです。
目の前にたくさんの寿司やうどん、刺身などが幻覚となって現れる。
そしてそれが幻覚と知ったときの激しい絶望と悲しみ。
それが何度も繰り返されるうちに、精神がおかしくなってくる様子が
描かれています。
やがて恐ろしいことに、仲間の足が、
いつか見た肉屋の吊り下げられた肉と重なって感じられる。
そしていかにもうまそうに思える・・・
この、寄る辺ない大海原に漂流している、難破船という小さな
極限の世界で人が人をうまそうだとまで思ってしまう恐ろしさ。
しかし結局は殺しても食べることはしませんでした。
ほんの少し残っていた人間の心が、
無残な死体を前にしたときに我に帰るのです。
その後救助された船員達ですが、
彼らは人を食べるために行われた殺人について語らなかったのですが、
死んだ仲間に対する申し訳なさと自分の犯した罪にむせび泣きます。
もうひとつの作品は「野火」大岡昇平です。
こちらは戦争という極限状態です。
「海神丸」が抗えない自然の力によって作り出された地獄なら、
この「野火」はジャングルの中で繰り返される
殺し合いによって出来た地獄です。
「野火」は、見えない敵とジャングルに加えて、
餓えという三つの苦しみが襲ってきます。
私が一番恐ろしいと思ったのは、主人公が、
すぶぬれの地面の上で横たわる将校の姿を見て、
「その腹がうまそうに見えた」と思ったことです。
この将校は日本に家族を残し、ジャングルで死に絶えることに絶望し、
なおかつ自らの体を指差して「ここを食っていいよ」と明るく言うのです。
こんな世界が現実としてあるのが戦争というものなのでしょうか。
怖いとか悲惨とかいう言葉で表すことは、もはや不可能です。
今私たちは、親や子供を愛し、他人に対する慈しみを持つことが出来ます。
ちょっとしたことに幸せを感じたり、感謝したり。
そういうことができるのが人間でもあります。
そんな心が失われるとき・・・
想像するのも恐ろしいです。
自然に人は勝てないと私は思いますが、
少なくとも戦争によって引き起こされる極限状態、
地獄だけは決して作り出してはならないと思います。
こんな身の毛もよだつような恐ろしい作品。
時々あたりを見回して、現実ではないことを確かめずには
いられません。
「ああ、実際自分が体験してなくてよかった」。
この安堵が永遠でありますように・・・