はっぱのきもち

古典から児童書、外国作品までの感想。
あらすじを知りたい方や読む前の参考にしたい方におすすめします。

作品の中の「極限の餓え」

2008-11-25 12:37:57 | 考えさせられる本
人が人を食べるという、禁忌の最たるものがあります。


数百年も昔は、飢饉のときにそういうことがあったというのは知っています。
でもそれは人智をはるかに超えた天災という異常な事態でのこと。
現代では、少なくともありえないと言っていいでしょう。


でも、ほんの数十年前に実際にそれはありました。
それを描いたのが武田泰淳「ひかりごけ」です。
これは戦後の話ですが、それよりももっと前、
明治以降初めて人が人を食べるという問題を提起した物語がありました。


「海神丸」野上弥生子です。

この物語は、実際に暴風雨で難破し
二ヶ月も太平洋を漂流していた事件をもとに創作されたお話です。
大正11年。1922年発表です。


物語では、極限の飢餓状態から一人の船員が、
船長の甥である三吉という若者を「食べる目的で」殺してしまいます。
そしてそこに至るまでの狂気が恐ろしいほどに
語られているのです。


目の前にたくさんの寿司やうどん、刺身などが幻覚となって現れる。
そしてそれが幻覚と知ったときの激しい絶望と悲しみ。
それが何度も繰り返されるうちに、精神がおかしくなってくる様子が
描かれています。

やがて恐ろしいことに、仲間の足が、
いつか見た肉屋の吊り下げられた肉と重なって感じられる。
そしていかにもうまそうに思える・・・


この、寄る辺ない大海原に漂流している、難破船という小さな
極限の世界で人が人をうまそうだとまで思ってしまう恐ろしさ。


しかし結局は殺しても食べることはしませんでした。
ほんの少し残っていた人間の心が、
無残な死体を前にしたときに我に帰るのです。
その後救助された船員達ですが、
彼らは人を食べるために行われた殺人について語らなかったのですが、
死んだ仲間に対する申し訳なさと自分の犯した罪にむせび泣きます。


もうひとつの作品は「野火」大岡昇平です。

こちらは戦争という極限状態です。
「海神丸」が抗えない自然の力によって作り出された地獄なら、
この「野火」はジャングルの中で繰り返される
殺し合いによって出来た地獄です。


「野火」は、見えない敵とジャングルに加えて、
餓えという三つの苦しみが襲ってきます。


私が一番恐ろしいと思ったのは、主人公が、
すぶぬれの地面の上で横たわる将校の姿を見て、

「その腹がうまそうに見えた」と思ったことです。

この将校は日本に家族を残し、ジャングルで死に絶えることに絶望し、
なおかつ自らの体を指差して「ここを食っていいよ」と明るく言うのです。


こんな世界が現実としてあるのが戦争というものなのでしょうか。
怖いとか悲惨とかいう言葉で表すことは、もはや不可能です。


今私たちは、親や子供を愛し、他人に対する慈しみを持つことが出来ます。
ちょっとしたことに幸せを感じたり、感謝したり。
そういうことができるのが人間でもあります。
そんな心が失われるとき・・・

想像するのも恐ろしいです。


自然に人は勝てないと私は思いますが、
少なくとも戦争によって引き起こされる極限状態、
地獄だけは決して作り出してはならないと思います。


こんな身の毛もよだつような恐ろしい作品。
時々あたりを見回して、現実ではないことを確かめずには
いられません。
「ああ、実際自分が体験してなくてよかった」。


この安堵が永遠でありますように・・・
























「傍観者であってはならない」・魯迅

2008-11-24 15:11:10 | 自伝、手記、ドキュメンタリー
魯迅(ろじん)といえば、真っ先に思い出すのは「故郷」です。

確か中学校の国語の教科書にのっていたと思うのですが、
当時は何とも後味の悪いお話としか思えませんでした。


主人公が久しぶりに故郷に帰ると、そこにいたのは意地悪く
醜い大人になってしまったかつての知り合いばかりだったのです。
少年時代の美しい風景と、優しい人々はすでに失われていた・・・
というような内容でした。


大人になってから故郷を訪れて、時の流れと変化に失望する・・・
どんなに重い気持ちになるだろうと思ったのです。


この「故郷」を書いた魯迅は、たぶん自分の経験をもとに書いたのでしょう。


魯迅は1881年(明治14年)に、
中国の紹興酒で有名な地に生まれました。
代々「科挙(かきょ)」という国家試験に合格して官吏になるという
名家の長男です。
裕福な少年時代を過ごしましたが、
ときの中国は清朝が半分倒れかかっていて、
同時に欧米諸国が次々と国を分割して植民地化している時代でした。


魯迅は家が没落した後、
医学を志して苦しんでいる同胞を救おうと決心します。
なぜなら、父親を漢方医のでたらめな治療によって亡くしていたからです。
魯迅の父は、苦しみながら死にました。



でも、私たちが知っている魯迅は医者ではなく「作家」です。
なぜ彼は医学の道を進まなかったのか?


それは、日本に留学中に衝撃的な写真を見たからでした。


日本で留学中、授業の時間が少し空くと、
教師は映写機を使ってスライド写真を生徒に披露しました。
ちょうど日清戦争を経て、日露戦争にも勝利した時代。
勇ましく戦う戦地での日本兵を映した内容のスライド写真でした。


しかし、次々と映し出される写真の中に、
日本兵が中国人を処刑している場面のものがありました。


魯迅は凍りつきます。


彼がもう一度写真を見ると、処刑場のまわりには
無表情に被害者を取り囲む中国民衆の姿がありました。
自国の人間が殺されるというのに、
悲しむでもなく抗議するでもなく、ただ見つめるたくさんの顔・・・


魯迅は思います。


「自分達中国人は、何千年もの因習や習慣によって
 すっかり奴隷根性が身についてしまっている。」

「こんな国民、医学で助けたって何にもならない。
 ちっとも国のためになぞならない」


魯迅はこうして医者をやめ、
中国を真の民主主義の国とするには、人々の精神を
変えていかねばならないと痛感し、文学でそれを目指したのです。



その後発表された有名なものに、「阿Q正伝」があります。


内容だけいうと、
「阿Q(あきゅう)」と呼ばれる愚か者が主人公の話です。
阿Qはどんなに馬鹿にされても、本当は自分がいちばん偉くて強いのだと
ねじ曲げて考え、最後には銃殺されてしまうものです。


魯迅はこの阿Qを通して、誇りばかり高くて本質を見ようとせず、
場当たり的な対処ばかりしていると破滅していくであろうと
強く警告しています。



文学の道に進んだ魯迅は、人々に受け入れてもらえずに孤立し、
大変な苦労をしました。
しかし彼は中国国内の文学、版画界に多大な影響をもたらし、
革命と大戦の嵐の中死亡します。



彼が死んだとき、一般市民の弔問客が列をなし、
二日間で一万人にもおよんだそうです。


彼は天国で、巨大な龍となった祖国を見てどう思うのでしょうか。


原題 魯迅のこころ
著者 新村徹































































魔女と炎の記憶・「魔女が丘」

2008-11-18 08:50:16 | 児童書・(ミステリー、戦争、悲しい話)
イギリスの作家のスリラーものです。
どちらかというと中学生以下が対象でしょうか。
少しサスペンスや長編を読む楽しみを知り始めた年代には
うってつけだと思います。


この「Witch Hill 魔女が丘」
マーカス・セジウィック

という物語は、現代のイギリスが舞台です。
「ヒル・フィギュア」と呼ばれる、丘陵に描かれた巨大な絵が物語の発端です。

この「ヒル・フィギュア」は、ミステリーサークルやナスカの地上絵を
思い浮かべてもらうといいかもしれません。
その巨大な石灰で描かれた絵は、古代のケルト人が描いたとも言われている
そうですが、はっきりしません。
現代でもいくつか実在しています。



主人公の少年ジェイミーは自宅が火事になり、
しばらくは地方に住む親戚の家に住むことになりました。
彼は恐ろしい火事の光景がトラウマになっていて、
両親のそばを離れたくなかったのですが、周りの大人たちは
「離れた場所で落ち着いたほうがいいだろう」と判断したのです。


ジェイミーには二歳の妹がいるのですが、
自分だけ親戚に預けられたのは、両親が妹のケアに専念したいから
邪魔者扱いしているのでは?という気持ちが拭えません。

そして、炎の恐怖と絶望の記憶に苛まれます。


そんなひとりぼっちの、
そして炎に包まれる恐怖感から逃れられないでいた少年は
何百年も前の魔女裁判を記した古文書に書かれた少女とリンクして
しまったのです。


たった16歳で、魔女として炎に包まれた少女と。


ジェイミーが住むことになった親戚の村で、
「王冠」と呼ばれるヒル・フィギュアを整備するイベントが行われました。
ところが、イバラをかきわけ雑草をとってきれいにしたはずの絵は、
王冠ではなく、巨大な裸の老婆の絵に変わっていました。


「王冠(クラウン)」の形をした絵があることから、
「クラウンヒル」と村の名がついたのだと聞いたのに、
それは表向きの理由。
本当は最初から老婆の絵があったのです。


では、なぜ老婆の絵を王冠に作り変えたのか?
村の名はなぜ途中から変わったのか。もともとの名は何だったのか?


こういった謎解きに、ジェイミーの見る恐ろしい魔女の夢や
魔女裁判の古文書などが絡み合ってきます。




続きが気になって途中でやめられず、一気に読んでしまった本ですが、
読後感は重くなく、最後は「よかったなぁ」と思えたのが良かったです。
内容も大人の読む重厚なホラーサスペンスから見たらライトですが、
これだと安心して子供に読ませられると思います。


あんまり残酷だったりするのはちょっと・・・という方にもおすすめです。


原題 魔女が丘
著者 マーカス・セジウィック

Witch Hill―魔女が丘
マーカス セジウィック
理論社

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